カテゴリー「長野の世界」の記事

2015年3月27日 (金)

いまさらながら、善光寺についての勉強会。

間もなく、善光寺の御開帳が行われる。
数えで7年に一度の大きな行事で、
二ヶ月間にわたって催されるのだ。

それに先立って、
定休日にスタッフで勉強会を開いた。
せっかく遠くからお客様がお見えになるのだから、
私達も、善光寺について知っておかなければね。

ご案内いただいたのは、
門前に40近くある宿坊の一つ、
「薬王院」の執事さん。
限られた時間ながら、
いろいろと教えていただいた。

Photo
善光寺のご本尊は、
日本に最初に伝わった仏像の一つで、
阿弥陀如来のお姿だという。
この仏様は、死後の極楽往生を約束してくれるという。

でも、善光寺のご本尊は、秘仏ということで、
厨子に納められていて、直接拝むことができない。
「この阿弥陀様は、
お姿は見えないけれど、心で拝む仏様なのですよ。」
とのこと。

御開帳というのは、
そのご本尊に似せて造られた「前立本尊」を、
扉を開けて拝ませていただけるのだ。
その「前立本尊」は、普段は、近くの蔵の中に収められている。
この御開帳のときだけ、
本堂に据えられ、姿を見ることができる。
そして、その指から五色のひもで結ばれるのが、
本堂の前に建てられる「回向柱(えこうばしら)」だ。

つまり、
その柱に触ると、
仏様のご利益を受けることになるらしい。

説明していただいたが、
善光寺は、古い時代から、
その教えを広めて歩く坊さんがいた。
善光寺聖(ぜんこうじひじり)と呼ばれる、
その坊さんたちによって、
善光寺信仰が全国に広まったという。

人は亡くなると、
一度善光寺にやって来るのだそうだ。
そして阿弥陀如来の導きによって極楽浄土へ行くことができるという。
宗派によっても違うが、
人が亡くなった時に、
枕元に「一膳めし」を供えるのは、
善光寺までの、お弁当なのだそうだ。
なるほど。

自分が死んだ時に極楽往生が出来ますように、
そして、亡くなった方が、
無事に極楽へ行けますように、
そう祈るのが、本来の善光寺の信仰だったのだね。

本堂の下の暗闇を通る「戒壇めぐり」も、
みんなでガヤガヤと入り、
ご本尊の下の鍵をガチャガチャと鳴らして過ぎてしまったが、
あれも、ひとつの「あの世」の体験なのだろうか。
でも、全く光のない世界を体験出来るだけでも、スゴイなあ。
壁に触っていなければ、どちらが上か下かもわからず、
バランスを崩してしまいそうだ。

善光寺を管理するお寺の一つ、
大勧進では、昭和天皇の泊まられた部屋を見せていただいたし、
この世の利益を守る不動明王の話を聞いたりした。
宿坊の薬王院でも、
気さくな住職さんから、
お話をお聞きした。

そして、精進料理をいただいてりして、、、。
善光寺の奥行きを、
また一つ感じた機会だったなあ。

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2015年2月23日 (月)

江戸時代から言われていた「信州人は大食い」。

もう、だいぶ前に読んだ信州を紹介する本に、
「信州人は大食いで、
店に食べに行っても、
御飯の量が多い。」
というようなことが書かれていた。

私は東京生まれで、
20歳を超えてから長野に移ってきたので、
そのことについては、合点がいった。
とにかく店に食べに行くと、
特に、昔からあるような食堂やレストランでは、
食事の量が多いのだ。
食欲旺盛な若いころは、
ずいぶんと特をしたような気分になったものだ。

今では、もう長く、信州に暮らしているので、
果たして、他の地域に比べて、
信州の食事の量が多いのか少ないのか、
よくわからないが、
調べてみると、「信州人は大食い」というイメージは、
実は江戸時代に作られていたのだね。

北信といわれる、長野県北部は、
冬になると、
農地は深い雪で覆われる。
なんの稼ぎもないから、
仕方なく江戸へ出稼ぎに行く人が多かったそうだ。

これといった技術も持たない田舎者の働くのは、
それは肉体的にきつい仕事ばかりだったらしい。
例えば冬に需要の多い、米俵や酒樽を運ぶような、
力仕事ばかりだったようだ。
当然腹も減って、
飯をたくさん食う。

ということで、
はたから見ると、
飯ばかり食べているようにみえたのだ。
だから信州人は大食漢と思われたそうだ。

それを、やはり、冬になるとやってきて、
貪欲に餌をあさる椋鳥(むくどり)に例えて、
江戸の人たちは、信州人を馬鹿にした。

「雪降れば椋鳥江戸へ食ひに出る」

などと、川柳に歌われたりした。

やはり北信濃の出身の俳人、
小林一茶も、江戸ではそう呼ばれたのだろうか、
こんな句を残している。

「椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉」
(むくどりと ひとによばるる さむさかな)

とにかく冬になると、
信州から人が一団となってやってきて、
散々に食べて帰っていくというふうに、
江戸の人には見えたのだね。
それなりの仕事もこなしていたのに。

そんなことで、
「信州人は大食い」と言われ続けて来たようだ。

でも、本当に今でも大食いなの。
もしそうならば、
マクドナルドは、少し大きな信州バージョンバーガーを出してもいいし、
ガストの定食のご飯の量が、信州だけ多いはずだし、
丸亀製粉のうどんも、普通より15本ほど多く入っているはずし
スシローのにぎり寿司が少し大きくなっていてもいい。
、、が、そんな話は聞かない。

大盛りを売りにする店も何軒かあるが、
それは、何も、信州に限ったことではないだろう。

あえて言うならば、「信州人は大食い」というのは、
それだけ身体を活発に動かしている人が多いということではないかなあ。

ちなみに、そばの一人前の量は、
東京では110グラムぐらいが多い。
もちろん店によって違うけれど。
私の店では一人前は135グラムにしている。
なお、これは「信州人は大食い」とは、
一切関係のない事情によるもの、、、、です。


Soba

 

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2013年5月13日 (月)

長野県民は日本一、いや、世界一の長生き。

少し前にニュースで話題になったが、
私の店のある長野県は、
日本で一番の平均寿命の長い県となった。

日本の男女合わせた平均寿命は、
世界一なので、
言い換えれば、
長野県は、世界一、
長生きする人の多い地域ということになる。

すごいなあ、
確かに周りは、元気なお年寄りばかり、、、
いえ、もちろん、元気はつらつな若い方も、
働き盛りの壮年の方もいらっしゃるが。

長野県は、
豊かな自然に囲まれ、
水も食べ物もおいしいから、
長生きするのだね、、、
などとお客様から言われたりする。

たしかに、それもあるかもしれない。
でもねえ、
長野県民が長生きできるようになったのには、
そうなるように、
努力した人たちがいたのだ。
けっして、自然に恵まれているから、
それだけで長生きになった訳ではない。
多くの人たちの、たゆまない、努力によって、
このような、結果になったのだ。

そのことを知っておかなかれば。
いや知っていただきたいなと、
ちょっと、紹介しておきたいのだ。

実は、長野県は、
50年前には、脳卒中で亡くなる人が、
もっとも多い地域だった。
塩分の多い漬け物やみそ汁が、
毎日、好まれて食べられていた。
海のない県なので、
魚は塩漬けのものを食べる。
だから、一日にとる塩分の量が多かったのだ。

そこで、
一部の医師たちが、
地域の人たちを巻き込んで、
減塩運動に取り組んだそうだ。
「漬け物の塩分を減らす。」
「みそ汁は具だくさんにして一日一回。」
「うどんやラーメンの汁は残す。」

最初は狭い地域だけで行われていたその運動が、
やがて全県的に広がり、
脳卒中になる人がだいぶ減ってきたという。
それでも、
まだまだ、高いレベルにある。

でも、この運動のおかげで、
県民の健康への意識が強まったのだね。

長野は人口あたりの病院数は、
それほど多くない。
そして、65歳以上の高齢者の医療費は、
全国最低レベルなのだ。
つまり、医者にかかっている人が少ないということだろう。

これには減塩運動ばかりでない、
他の理由もある。

先ず野菜の摂取量。
これは、全国のトップ。
さすが野菜の産地だけある。
そして、果物も豊富にあるし、
キノコの生産地でもある。
意識せずとも、そういうものを口に運ぶことになる。

そして、高齢者の就業率も日本一。
高齢になっても働いている人が多いのだ。
就業というほどのことでもなくても、
自宅で畑仕事をしている人は多い。

次に、煙草を吸う人が少ない。
以前は多かったのだそうだが、
今の喫煙率は33%で全国でもかなり下位。

そして、面白いのが、
人口あたりの公民館の数が、
全国で一番多いのだ。
つまり、地域活動が盛んなこと。
この中心となっているのが、
高齢者の方々なのだ。

私も暮らしていて実感するのだが、
公民館ごとにクラブを作って、
園芸だ、ゲートボールだ、踊りだ、カラオケだと、
皆さん元気に参加されている。
こういう活動を通じて、
生きがいを持てることも、
長生きにつながりそうだ。

そんなこんなで、
長野の人は長生きなのだ。
様々な雑誌とかメディアに紹介されて、
だいぶ話題になったけれど。

だけど、
残念ながら、
こういう話はまったく出て来なかったなあ。

長野の人は「そば」を食べるから、
寿命が長い、、、、、
、、、とは。

皆さん、
長野の空気を吸って、
長野の野菜や果物を食べて、
そして、時々は「そば」を食べて、
元気に長生きしましょう。


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2013年4月18日 (木)

花の善光寺とお土産少々。

やっと咲いた長野の桜も、
はらはらと花びらを散らすようになってきた。
春の歩きは早い。
ちょっと、仕事にかまけているうちに、
いつも、春の足どりに、取り残されてしまう。

そこで、ええいと、
善光寺の周辺を一回りしてきた。

Hanami
善光寺入り口の大門の交差点にある、
「紅しだれ桜」。
やや、色があせてしまったが、
春の風に、長い枝をなびかせている。

Hanami2

経蔵の横にある桜は、
春の日差しの中に光っている。

Hanami1
東側から見れば、
善光寺は桜ばかりでなく、
コブシ、花桃、馬酔木(あせび)、ユキヤナギ、レンギョウ、
などの花々に囲まれている。
これからは、まだまだ、いいろいろな花が咲いていくことだろう。

観光の方々も多く訪れていて、
門前の仲見世も賑わっているみたいだ。
その中でも大きな土産物屋の「たきや」さんで、
かねてから話を聞いていた、
「三国一そば餅」を一箱買ってみた。
6個入りで640円。

Hanami5
これは、実は、
近くにあった、今は閉店してしまったまんじゅう屋さんの看板商品だったもの。
もうだいぶ前に、店が無くなっていたので、
もう食べられないと思っていた。
そうしたら、そこの職人さんが、今は、
ここで作っていると聞いたのだ。

数に限りがあるせいか、
店のカウンターには小さな表示しかない。
まだ早い時間だったせいもあるが、
頼んだら「5分ほど待って下さい」といわれ、
どこからか、箱が届けられる。
そば餅は、時間が経つと固くなるが、
さすがつくりたて、
持ち帰って口にしてみれば、
ふんわりとした甘さと風味が広がる。
甘いものは苦手なはずの私も、
つい、続けて二つもいただいてしまった。

酒と同じで、
甘いものは苦手なのだが、、、
ああ、「まんじゅう怖い〜〜」。

そして、
善光寺を管理している二つのお寺。
本堂に近い「大勧進」のお札所で、
こんなものを見つけた。

Hanami4
写真の写りがよくないが、
小指の先ぐらいの石に、
お地蔵様の顔を描いたもの。
「ふところ地蔵」というのだそうだ。
一個300円。

そして「大本願」では、
マスコミにも取り上げられた、
こちらの地蔵。

Hanami3
左の手で握って、
心を鎮めることができるのだそうだ。
顔の表情などは、一つ一つ違うという。
一つ千円。

ということで、
善光寺はすぐ近くなのに、たまにしか行かない不信心な私。
それでも、歩いてみると、
いろいろな発見があるものだ。
せっかくだから、
善光寺やその周辺のことも、
もっともっと、
皆さんに知ってもらいたいし、
自分も学びたいと思っている。


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2013年1月27日 (日)

守る人がいるから温泉がある。

案内してくれたおじさんが、
温泉の井戸のところで何かをしている。

Gensen1
そして、
長い金属の棒を使ってバブルを回すと、、、、

Gensen2
なんと、お湯が吹き上げてきた。
このお湯、90度以上の高温。

Gensen3
地下70メートルから、
自然に沸き上がって来るのだそうだ。

Gensen4
高さ五、六メートルまで吹き上げている。
いや、雪模様でよくわからないが、それ以上かな。

Gensen5
山ノ内町の渋温泉、
そこの金具屋という宿に泊まったのだが、
そこの宿では、三カ所ある源泉を案内してくれる。

驚いたのは、
旅館の建物のすぐ下にも、
源泉があることだ。
深さ五メートルぐらいの岩の割れ目から、
湯が滲み出ているのだと言う。

その他にも、温泉街の中に、
こちらは空気圧を使ってくみ上げている温泉井戸がある。
そして、この自噴泉だ。

この90度という温度を利用して、
旅館の暖房を、数年前から、
温泉を使ったものに切り替えたのだそうだ。
そのため、石油の使用量が、ぐっと減ったという。

へえ、
地球温暖化防止にも、
役に立っているのだ。
こういう高温の温泉は。

金具屋には、
この他にも、この上の地獄谷から引いた湯もあり、
三種類の、違った湯を、
なんと、八ヶ所の趣の違う風呂場で楽しむことができる。
それぞれに、ペーハー(酸性度)も違うし、
肌に柔らかかったり、ぴりぴりとした感じを受けたりする。
同じ湯でも、雰囲気が違うと、
また、印象が違ったりする。

で、
そんなこんなで温泉三昧。

Utiyu1_3
Utiyu2_2
Utiyu3
Utiyu4
Utiyu5
Utiyu6
Utiyu7

さすがに、他にお客様がいらっしゃるところは、
写真に撮れなかったけれど。

その上、渋温泉といえば、
外湯めぐりでも有名。
街中に地元の人が使うための外湯が九カ所あり、
宿泊する人には、その入り口の鍵を貸してくれるのだ。
これらの湯も、それぞれに源泉が違い、
湯の質が変わっていたりする。

これらの風呂は、
地元の人たちが管理し、
使っている。
もともと、観光客のための施設ではないので、
簡素なもので、それなりのマナーが大切。
でも、そこに入れたいただく気持でいくつか巡ってみる。

Sotoyu3_3
Sotoyu1
Sotoyu2  
Sotoyu6
Sotoyu4_2
ということで、
温泉三昧の時を過ごせた。
宿泊した金具屋をはじめ、
渋温泉の人たちも、
自然の恵みである温泉を、
大切に守っているのだな、と感じる。

そして、
加熱したり、水を加えたり、循環させたりすることのない、
本来の温泉場の姿が、
こんな身近にあったのだなあ、、、、
と、つくづく思った次第、、。

皆様も
写真を拡大して、
温泉におつかりください。

Sotoyu7

 

 

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2013年1月25日 (金)

遊び心

この休みに泊まった宿に、
こんな窓があった。

Kanaguya3
なんと、富士山に月、、、
という見立てのようだ。
まるで風呂屋の看板絵のような、
俗っぽい仕掛けだ。
太宰治が見れば、
そっぽを向いて、
「富士山には、、、、がよく似合う、、。」
などとつぶやくだろうか。

昭和の初期に建てられた、
木造四階建て。
屋根まで届く通し柱を十数本使ったという、
当時ならではの工夫を凝らした客室は、
今でも使われている。

例えばある部屋の入り口には、
こんな仕掛けが。

Kanaguya6_2

いやはや、なんとも大業な、、。
つい、拝みたくなってしまう、、ぱん、ぱん。

階毎に雰囲気も変わっていて、
水車の歯車を埋め込んだ床もあれば、
ケヤキの一枚板を使った床もある。

外から見るとこんな感じ。

Kanaguya2
国の登録有形文化財に指定されているのだそうだ。
あるアニメの舞台のモデルになったのではないかという、
噂もある、、、。

今回泊まったのは、
長野から北へ行った志賀高原の玄関口にある、
渋温泉というところ。
古くから、地元の人たちの療養の場として親しまれてきた温泉場だ。

長野に住んでいながら、意外と、
地元の温泉って、よく知らなかったりする。
そこで、かねてから名のしれた高級旅館である、
この「金具屋」さんに泊まりたかったのだが、
なにぶんにも、懐が、、、、。
と思っていたら、ネットで見たら、
冬季の平日限定で、なんとか手の届くところで泊まれそうではないか。

ということで、
電車に乗って(長野電鉄のスノーモンキー号)湯田中へ。
そこからバスで10分のこの温泉にたどり着いた。
私たちの泊まったのは、文化財の部屋ではないけれど、
それでも、なかなかの趣のある部屋。
そして、旅館全体が、
懐かしい、昭和の匂いに包まれている。

Kanaguya1
Kanaguya5

Kanaguya4_2
Kanaguya8_2
今時の、
直線定規を組み合わせて作られた建物と違い、
さまざまな、工夫と、遊び心が、散りばめられている。

こういう、遊び心というのは、
大切なのだね。
でも、職人さんの、しっかりとした腕があるからこそ、
できる遊びなのだろう。

私の作るそばにも、
そんな遊び心を組み込めたらなあ、、。
つい、自分だけ遊んでしまいがちなのだけれど、
お客様に遊んでいただくように、しむけていかなければ。

などと、
この古い建物を、
少しずつ手を入れながらも、
守り続けているこの宿を、すっかり気に入ってしまった。

でもね。
今回の宿泊で、
もっとも驚き、
そして印象深かったのは、
温泉のこと。
いや、温泉を守り、
誇りにしている人たちのこと。

そんな話はまた次回。

Kanaguya9

金具屋のホームページはこちら→http://www.kanaguya.com/

 

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2012年11月11日 (日)

善光寺の庭園の紅葉が見頃。

今日の日曜日は、
朝からどんよりとした天気。
夕方からは雨の予報なので、
さすがに、長野の街中を歩く人も少なく、
日曜日としては、静かな営業となった。

こういう時は不思議なもので、
雰囲気を察してか、
ゆっくりお酒を召し上がるお客様が多かったりする。

二時頃から予報より早く雨が降り始め、
夕方3時には閉店。
日曜日は夜の営業がないので、
片付けと仕込みの残りを後回しにして、
久しぶりに善光寺へと足を向けてみた。

善光寺へは、「かんだた」から歩いて十分ほどで、
参道の入り口にたどり着く。
すぐ近くなのに、
今年はずいぶんとご無沙汰してしまった。

雨に濡れる、
江戸時代に寄進されたという石畳の上を、
仁王門に向かう。

Zenkouji1
ほら、宿坊の入り口に植えられた木々が、
かなり色づいている。

そして、善光寺。
Zenkouji2
さすがに、雨降りで人は少ない。
ましてや日曜日の夕方4時少し前。
天気のせいもあって、もう薄暗い。

七五三の衣装の青い着物を着た男の子が、
雨の中を走り回っていて、
それ以上に着飾っていた母親に、
大きな声で怒られていた。

それでも本堂の中は、
けっこう参拝の方がいて、
おごそかな雰囲気。
この空気が好きだ。

本堂を西側に出て一巡り。
そこで、毎年、楽しませてもらっているカエデの木。

Zekouji3
本堂の周りには、
たくさんの灯籠が奉納されている。
江戸の評判だった花魁(おいらん)、
高雄のために奉納された灯籠もあり、
なんとも、艶っぽい気分も感じさせる。

こちらは、
松代藩の城主の真田家の供養塔。

Zenkouji4
東側に回れば、
一茶の句碑も雨に濡れている。

Zenkouji5
今年になって、その隣に、
江戸終わりから明治の初めに生きた俳人、
井上井月(いのうえせいげつ)の句碑も作られた。

その井月に影響を受けた、
放浪の俳人、種田山頭火(たねださんとうか)の句碑も、
その近くのある。

そして、
やはり本堂の東側に、
最近建てられたお堂がこちら。

Zenkouji6
ここに納められているお地蔵様は、
昨年の東北の震災で被害にあった、陸前高田の松原の、
その松の木を使って彫られたたもの。

「おやこ地蔵」ということで、
善光寺が大小四体の地蔵を作ったのだが、
三体は陸前高田のお寺に、
そして、一体が、ここ善光寺に奉られているわけだ。

ということで、久しぶりのぐるり善光寺。
この寺には、本堂だけでなく、
たくさんの人の思いが溢れている。

少しは離れているけれど、
その門前で、そば屋を営ませていただいていることに、
深く、深く、感謝しなければいけない。

 

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2011年5月30日 (月)

長野の町には、キツネ様がたくさんいる。

久しぶりにメールマガジンを配信させていただいたが、
今回のテーマは、
そば好きのキツネ、
いや、キツネに姿を託した稲荷大明神のお話。
その稲荷大明神が、
人間の姿をして、寺で修行をし、
門前のそば屋に通ったというから、
話がややこしい。

稲荷信仰は古くからあり、
農業を始め、商売、産業の守り神といわれている。
だから、歴史のある町には、
必ずどこかに稲荷を祀った社がある。

「かんだた」の近くにだって、
ちょっと路地裏に入ってところに、
こんな社がある。

Inari1

この小さな社の、屋根には、
稲荷らしく、キツネの彫り物がある。

Inari2
反対に歩けば、こんな稲荷神社もある。

 

Inari3
他にも、神社の境内や、ビルの横などに、
小さな稲荷の社を見つけることができる。
歴史に育まれた、善光寺の表参道。
様々な、信仰や想いがしっかりと残されているのだ。

さて、
その中でそば屋という商売をしている私。
ひょっとして、
ひょっとして、
そういうキツネが、
いや稲荷大明神様が、
人間に姿を変えて、そばを食べにきているかもしれない。

時々、それらしき人がいらっしゃるのだけれども、
まさか、聞く訳にも、、、、。

ということで、
どなたも、お稲荷様の仮のお姿だと思って、
畏れ多い気持で、お迎えしなければ、、、。

メールマガジン「そば屋の楽しみ方」は→こちら


 

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2010年2月 9日 (火)

善光寺のライトアップが始まった。

Templ_rojo
国宝である善光寺本堂の写真。

別に、火事で燃えている訳ではありません。
パソコンのソフトで、画像をいじった訳ではありません。

先週の土曜日から始まった、
第七回「長野灯明祭り」。
そこで、善光寺の本堂が、
五色の光で照らされているという訳。

正面は、この赤い照明。
横を回れば青と紫の光。
経蔵の緑、鐘楼の黄色と、
折から降り積もった雪の中に、
ホンワリと、歴史の染みた建物が浮かび上がっている。

14日(日)まで続くこの期間中、
参道には、切り絵を張った灯籠が並べられて、
訪れる人の目を楽しませてくれる。
いつも見慣れた善光寺とは、
また違った雰囲気の楽しめるこの祭り、
寒さの中を歩いてみるのも楽しいかも。

善光寺の参道の周りの宿坊でも、
それぞれに趣向をこらしたイベントを開いている。
ぜひそちらにもお立寄を。

普段は、見られない仏様などを、
この機会に拝むことが出来たりする。
例えば、仲見世から東に入った世尊院では、
いつもは閉じている、
国の重要文化財の「釈迦涅槃像」が公開されている。

仲見世から一本西にある通りの徳寿院では、
善光寺にまつわる伝説の紙芝居が演じられる。
11日(木)、13日(土)、14日(日)の、
夜六時半から、入場無料。
ボランティアの人たちが、
この日のために練習を重ねてきたんだね。
詳しくは、「歴史の町長野を紡ぐ会」のホームページへ。
こちら

ともかく、いつもは訪れる機会の少ない、
夜の善光寺界隈。
こういう祭りに、ぜひ歩いていただきたいと思う次第。
そうして、人でにぎわう参道を離れて、
静かな、自分だけの空間を探してみるのも、
面白いかもしれない。

Boukouji

かんだたも、この期間中は、
灯明を灯しています。

 

 

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2009年11月 6日 (金)

そば屋の休日〜善光寺から往生寺、葛山、頼朝山へ。

善光寺のある平野は、
善光寺平と呼ばれて、山に囲まれている。
街から、少し離れれば、
すぐに山歩きを楽しむことができる。

ということで、
久しぶりの山歩きを楽しんだ、
「そば」の出てこない「そば屋の休日」。

今回選んだのは、
善光寺の西側にそびえる(?)葛山(かつらやま)。
前々日に初雪が降ったが、
天気は良さそうなので、手ぶらで出発。

写真は、クリックすると大きくなります。

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出発は善光寺。朝の九時。
平日でもあるし、この時間は静かにお参りが出来る。
本堂から西側(左側)にでて、往生寺方面に進む。

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すぐにあるのが湯福神社。
樹齢900年のケヤキの木がある。

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往生寺への坂は、リンゴ畑の中を通る。
つい、手を伸ばして採りたくなるような、真っ赤なリンゴ。

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かるかや伝説につながるお寺往生寺。
この、境内を横切って、お稲荷社の横から、
山道に入る。

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松や杉の植えられている混成林。
なだらかな登りの山道が続く。

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所々に、このような標識があって、
地図がなくともわかりやすい。

Katura7

頂上直下に、ちょっときつい登り。
それを過ぎれば、広々とした頂上。
さあ、サッカーでもするか。

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広々としているのは当たり前。
ここは、お城の跡なのだ。
川中島の戦いのとき、
この城は、激しい戦いの末に、
武田勢によって攻め落とされた。

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ちょっと霞んでいるけれど、
長野市街がよく見える。
東側の志賀高原方面、
北の飯綱山の眺めもいい。

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頼朝山方面への下り。
今度はカラマツの林で明るい。

Katura10

一度下って、5分ぐらいの登りでつく頼朝山。
この山頂もベンチやあずまやがあり公園みたいだ。
ここからも、長野市街がよく見渡せる。

Katura11

途中にあったハイキングコースの看板。
少しわかりづらい。

Katura12_2

山道から、民家が現れたところにある「瓜割り清水」。
昔は、戸隠街道を行く人たちの、
のどを潤したそうだ。

Katura13

下りたところは新諏訪町。
このままこの通りを東に行けば、
善光寺の仁王門に出る。

ということで、気持ちのいいハイキングが出来た。
こんな町中から、気楽に行けるのが、長野のいいところ。
でも、今回は、山の中で、誰にも会わなかったなあ。

善光寺→往生寺→葛山→頼朝山→善光寺
のコースで、ゆっくり歩いて3時間半。
夏は暑いので、今のような晩秋や初春におすすめのコース。

興味のある方は、
里山歩きの情報サイトとして人気の、
「信州山歩きマップ」にも載っているのでご参考に。
http://w1.avis.ne.jp/~nakajima/maphoku/mkatura.htm

 

 

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