カテゴリー「長野の世界」の記事

2009年11月 6日 (金)

そば屋の休日〜善光寺から往生寺、葛山、頼朝山へ。

善光寺のある平野は、
善光寺平と呼ばれて、山に囲まれている。
街から、少し離れれば、
すぐに山歩きを楽しむことができる。

ということで、
久しぶりの山歩きを楽しんだ、
「そば」の出てこない「そば屋の休日」。

今回選んだのは、
善光寺の西側にそびえる(?)葛山(かつらやま)。
前々日に初雪が降ったが、
天気は良さそうなので、手ぶらで出発。

写真は、クリックすると大きくなります。

Katura1

出発は善光寺。朝の九時。
平日でもあるし、この時間は静かにお参りが出来る。
本堂から西側(左側)にでて、往生寺方面に進む。

Katura2

すぐにあるのが湯福神社。
樹齢900年のケヤキの木がある。

Katura3

往生寺への坂は、リンゴ畑の中を通る。
つい、手を伸ばして採りたくなるような、真っ赤なリンゴ。

Katura4

かるかや伝説につながるお寺往生寺。
この、境内を横切って、お稲荷社の横から、
山道に入る。

Katura5

松や杉の植えられている混成林。
なだらかな登りの山道が続く。

Katura6

所々に、このような標識があって、
地図がなくともわかりやすい。

Katura7

頂上直下に、ちょっときつい登り。
それを過ぎれば、広々とした頂上。
さあ、サッカーでもするか。

Katura15

広々としているのは当たり前。
ここは、お城の跡なのだ。
川中島の戦いのとき、
この城は、激しい戦いの末に、
武田勢によって攻め落とされた。

Katura8

ちょっと霞んでいるけれど、
長野市街がよく見える。
東側の志賀高原方面、
北の飯綱山の眺めもいい。

Katura9

頼朝山方面への下り。
今度はカラマツの林で明るい。

Katura10

一度下って、5分ぐらいの登りでつく頼朝山。
この山頂もベンチやあずまやがあり公園みたいだ。
ここからも、長野市街がよく見渡せる。

Katura11

途中にあったハイキングコースの看板。
少しわかりづらい。

Katura12_2

山道から、民家が現れたところにある「瓜割り清水」。
昔は、戸隠街道を行く人たちの、
のどを潤したそうだ。

Katura13

下りたところは新諏訪町。
このままこの通りを東に行けば、
善光寺の仁王門に出る。

ということで、気持ちのいいハイキングが出来た。
こんな町中から、気楽に行けるのが、長野のいいところ。
でも、今回は、山の中で、誰にも会わなかったなあ。

善光寺→往生寺→葛山→頼朝山→善光寺
のコースで、ゆっくり歩いて3時間半。
夏は暑いので、今のような晩秋や初春におすすめのコース。

興味のある方は、
里山歩きの情報サイトとして人気の、
「信州山歩きマップ」にも載っているのでご参考に。
http://w1.avis.ne.jp/~nakajima/maphoku/mkatura.htm

 

 

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2009年8月18日 (火)

夏の信州の味

この季節、長野のスーパーの魚売り場に、
奇妙な格好をしたものが売られている。
それも、山となってね。

Sioika

なんなんだ、これは?
と、根っからの信州人ではない私は、
気味悪がって手を出さなかった。

しかし、あるとき、
これを口にしてから、
「おお、いけるじゃないか。」
ということで、好んで作るようになった。

長野の夏に売られている、
「塩丸いか」。
これを水に浸けて塩出しをし、
刻んだキュウリと、揉んだ酒粕であえて食べるのだ。

Sioika2_2

私の場合のキュウリは、
もちろん、自家製無農薬栽培の善光寺キュウリ。
夏の暑い季節でも、
酒の進む一品。

でも、なんで、信州で「塩漬けされたイカ」なのだろうか。

ある説によると、こうだ。
信州は山国、海がない。
そこで、塩は、日本海側などから運ばれた貴重品。
その塩を運ぶ時に、
海でたくさん採れたイカの腹に詰めたのが始まりだとか。

さておき、この「塩丸いか」は、
長野県以外では売られていないそうだ。
他県に移った長野県出身者が、
帰郷の折に大量に買っていくこともあるという。

意外なところにあった、
「信州の味」。
「そば」ばかりではないのだ。



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2009年8月12日 (水)

14日(金)15日(土)は「善光寺お盆縁日」。

やっと、やってきた夏の日差し。
夕方見えたお客さまは、
顔も腕も真っ赤に日焼け。
今までの調子で、
何も塗らずに、一日ゴルフをされたそうだ。

見るからに、ゆでだこ状態。
「いやあ、アルコールも入っているからね。」
という、ご本人の言い訳もほほえましい。

やっと夏になったのかなあ?

ということで、
明日からは、月遅れのお盆。
みなさん、お休みになって、
ふる里に帰られるのだろうか。

長野は、今日は「お花市」。
お盆に飾る花を求める人たちで、
町の中は賑わったようだ。

そうして、
14日、15日には、
善光寺本堂前で、盆踊りが催される。
「第三回善光寺お盆縁日」

近所の人の話では、
「お坊さんたちが、
 踊る気満々だよ!」
とのこと。

国宝善光寺の本堂の前で、
お坊さんと踊る盆踊り。
たくさんの人の輪が、
あの本堂前を埋め尽くすことになりそうだ。
その人込みにまぎれて、
阿弥陀様も、えんま様も踊っているのかもしれない。

店の営業があるので、
見にいけないのが悲しい。
とほほ。

これにあわせて、参道では、
様々なイベントが行われる。
その一つに、善光寺にまつわる伝説を、
「紙芝居」で紹介するステージがあるので、
ぜひぜひ、御覧あれ。
また、地元の人たちによる、
模擬店もあるので、お立ち寄りを。
(えっ、今年は、焼そばがおいしいって?)。

そうして、善光寺本堂の前の踊りの波の中。
その上に張り巡らされた「ちょうちん」の中に、
ひょっとしたら、
「かんだた」の名前を見つけることができるかもしれない。

もし見つけた人は、
少なくとも30秒間は、幸せな気分になれることだろう。
そうして、
死ぬまで「長生き」できることを保証しよう。


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2009年8月 2日 (日)

8月5日(水)のSBCスペシャルは長野の路地を探訪。

長野は、善光寺を中心に広がった
歴史の深い町。
自動車の通り抜ける表通りから、
少し奥に入ると、昔ながらの小路が、
静かに歩く人を迎え入れてくれる。

私は、猫になった気分で、
そういう狭い路地を歩くのが好きだ。

地元のテレビ局、SBCの番組で、
そういう路地を訪ね歩く特集を組んだそうだ。
人々の、暮らしの息づかいが感じられる、
そして、人とのふれあいを求めて、
長野の路地を探ってみるという。

そんな路地には、
どんな出会いがあるのだろう。
ひょっとして、
路地裏の目立たないところに、
怪しいそば屋があったりして、、、、、。

ということで、
ぜひ、次の番組を御覧下さい。
(長野以外の地域の方、ごめんなさい。)

SBCスペシャル
「そこを曲がって路地へ 〜長野夏さんぽ〜」
放送時間   8月5日(水) 午後7時55分〜8時49分

いつもながら、
カメラを向けられながらのそば打ちは緊張する。
どのように映っているか、
ちと、恐いなあ〜。


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2009年7月14日 (火)

長野の夏の風物詩になるといい。

小さな川沿いの暗闇、
大きな木が何本か立っていて、
ちょうど、その下は、
星明かりさえ届かない。

折しも、生温い風が、
その闇の中から生まれ、
私の首筋をなでていく。

足下の草は、しっとりと濡れている。

その時、
ほのかな灯りが、、、

「出た〜〜〜〜〜〜〜〜!」


ということで、
まるで、発光ダイオードのような、
ホタルの冷ややかな光を目の当たりにした。

よく見れば、ほかにも数点の光が、
ゆっくりと、空中を動いている。
さらに良く見れば、
川岸の石垣の間にも、
ぽつぽつと光るものがある。

夜の十時過ぎという遅い時間ながら、
しっかりとホタルの灯りを見ることができた。
久しぶりだなあ、ホタルをこんなに見るなんて。

別に、遠くに出かけたわけではない。
場所は長野市内、
どかりと構える県庁から、
川沿いに5分も歩いたところ。
水路を改修したのだが、
ホタルが住めるように、設計されたのだ。

もちろん、地元の人たちも、
幼虫を移したりして、保護をしてきたという話。

長野市内には、ホタルの見える場所がいくつかある。
それこそ、かんだたのある権堂からすぐ、
鍋屋田小学校の校門前の水路にもホタルがいる。
夜の12時頃行って、
たった一匹だけ見つけることができた。
早い時間の条件のいい時なら、
もっと見られるに違いない。

ここは、小学生たちが保護する活動をしているんだね。

確認はしていないが、
善光寺の、鐘楼の東側にも、
ホタルの幼虫が放たれているらしい。

夕暮れの街中の散歩。
そばをズズッと手繰って、
ホタル狩りなんぞ、
いかが。


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2009年6月29日 (月)

回向柱は長い時間をかけて、土に還っていく。

善光寺の御開帳が終わり、
ガク、ガク、ガクと静かになった、
長野の表通り。
御開帳の期間の人出を思うと、
全く別の街になってしまった。

前にも書いたけれど、
今さらながら、
善光寺の、阿弥陀様の、
人を呼び寄せる力のすごさに、
舌を巻かれる思い。

今回の御開帳で目立ったのは、
回向柱に触るための人の列。
多くの方が何時間もかけて、この柱に触るために、
行列をされていたのだ。

その回向柱。
御開帳が終わっても、
しばらく建てられていたが、
先週になって、撤去された。

その柱、どこへ行ったのかというと、、、、

Ekoubasira2

本堂の西側、
経蔵の裏の当たりに、
土に埋められて、しっかりと建っている。

今なら、待ち時間なしで触り放題。

ついでに、前回の御開帳のときの柱も、
その前の御開帳のときの柱も、
その前も、もっと前も、、、、
ここに埋められている。

多くの人の願いや思いがこもった回向柱。
こうして、少しずつ、少しずつ、
土に還っていくのだねえ。

ということで(脈絡はないけれど)、
昨日は茶そばの日。
皆さん、暑い中をご来店ありがとうございます。

変わりそばの定番ではあるけれど、
このそばは、やっぱりおいしい。
お茶の苦さが、そばの甘みを引き立てているのだね。

色で楽しめ、
香りで楽しめ、
味で楽しめる。
昔の人は、こういうバランスを大切にし、
それ故に、今でも伝わっているのだろうなあ。

7月26日(日)は
「トマト切り」の予定。
これは、少しも伝統的ではないが、
トマトの酸味が、、、☆★☆だから、、
↑→→◎←な気分が味わえるはず。
請う、ご期待!


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2009年5月19日 (火)

あと十日余りを残す善光寺ご開帳。

御開帳が行われている善光寺には、
相変わらず、大勢の方々が訪れているらしい。

週末には、一日に二十万人以上の参拝。
境内は人で、溢れかえっているそうだ。

あるお客さまの話では、
本堂前に建てられた回向柱に触るだけで、
三時間の行列をされたとか。
さらに内陣に入り、本堂下の真っ暗な空間を歩く、
「戒壇めぐり」に二時間の列。

そうして、お参りを済ませて、
ネットで調べた、路地裏の暇そうなそば屋に行ったら、
ここでも一時間の行列。
(すみません、お待たせしました。)

ついでにいうと、
善光寺の駐車場に車に入れるだけで、
二時間近く待たれたそうだ。
朝の七時に長野に着いて、
そばを食べたのは午後三時近く。
それでも、満足されて帰って行かれた。

それだけ待って、お参りをされたので、
きっと御利益も大きいことだろう。

私も、お参りに行かなければ、
と思って出かけた、ある、雨の日の夕方。

Ekou2

さすがに人出は少なく、
本堂前の回向柱も触り放題。
この柱、「善の綱」によって、
御開帳されている「前立本尊」と繋がっている。
つまり、この柱を触ることによって、
ご本尊様と結びつくことが出来るわけ。

Ekou1

だから、多くの方が、
この柱に触りたがる。
それぞれの思いを込めてね。

三時間かけて、並んだ人と、
ひょいと、触ってしまった私と、
どちらがご利益があるのかなあ。
この柱への「思い」ということでは、
並んでまで触った方々には、とてもかなわない気がする。

そば屋だって、
ひょいっと入ってしまった店よりも、
一時間以上待って、食べたそばの方が、
きっと、おいしく感ぜられることだろう、、、、

などと、罰当たりのことを考えてはいけない。
みなさん、ご迷惑をおかけしております。

残すところ、後、十日ばかりとなった善光寺ご開帳。
最後に向けて、ますます混雑が予想されるようだ。

訪れる人の重みで
長野の標高が沈みませぬように。
訪れるすべての方に、
仏様のご慈悲が行き渡りますように。
そして、出来るだけたくさんの方に、
おいしいそばを食べていただきたいなあ。

がんばります!



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2009年4月22日 (水)

御開帳で認識する善光寺の力

今月から始まった「善光寺御開帳」。

連日、大勢の方が、
善光寺に参拝に訪れていらっしゃるようだ。
特に、週末は、ものすごい人で、
ごった返しているという。

かくゆう、
善光寺本堂前から、徒歩で20分。
空き店舗の目立つ、権堂アーケードのさらに路地裏にある、
怪しいそば屋。
そんな店でも、
土曜日曜には、
開店と同時に席が埋まってしまうくらいなのだから。
きっと、表通りは、
人で溢れかえっていることだろう。

皆様には、
ご迷惑をおかけしています。
特に、ご常連の皆様、お待たせしてすみません。
遠方から、わざわざお越しの皆様。
並んでいただいて、ありがとうございます。

お客さまの話では、
ご本尊とつながっている、本堂前の回向柱に触るだけで、
一時間近く並ばれたそうだ。
ニュースによると、
この前の日曜日には、
一日で20万人の人が、善光寺に参拝されたとか。

遠くから、大勢の人を惹き付ける、
善光寺の魅力。
その地元で、商売をしながら、
改めて、その偉大さに気付く、
のろまなそば屋の店主。

せめて、せっかく長野にいらした方々に、
きちんとしたそばをお出しし、
そして、楽しい時間を過ごしていただくように、
精いっぱい努めなければ。

長野は、善光寺を中心とした門前町として発展したところ。
そんな、町中には、
様々な言い伝えや信仰の跡がある。
そんな、長野の町を案内する、
ボランティアのガイドツアーに参加されるのはいかがだろうか。
長野の町の姿が違って見えるかもしれない。

→ 歴史の町長野を紡ぐ会。

また、古いマックを使っている私は見られないのだが
インターネットで、
善光寺本堂の様子を見れるライブカメラもある。

→ 善光寺御開帳インターネットライブ配信


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2009年3月 8日 (日)

御開帳への準備が進んでいる善光寺

Tem4

先日の水曜日、
平日とはいえ、昼時に閑散としている善光寺境内。
やはり、今の季節は、
訪れる方が少ないのだろうか。

Tem

本堂前の、御開帳を知らせる高札。
来月4月5日より、5月いっぱいにかけて、
ここ、善光寺では御開帳が行われる。

インドから伝わったという、善光寺の仏様は、
誰も見ることのできない絶対秘仏。
そこで、同じお姿の前立本尊を、この期間に公開するのだ。

本堂の前には、高さ10メートルほどの回向柱が建てられ、
前立本尊と紐でつながれる。
つまり、その回向柱に触ることによって、
仏様と縁が結ばれることが出来るのだ。

この期間中は、
たくさんの方々が、参拝にやってくる。
六年前の前回には、600万人もの人が、
善光寺を訪れた。

ええと、約二か月だから、
一日平均10万人の人出。
正月の三が日並みの混雑が、二か月も続くのだ。

だから、今の静けさが嘘のようだ。

Tem1

しかし、着々と準備は進んでいる。

本堂前の植え込みには、
真新しい竹垣が作られた。
これは、地元の職人さんが奉納したもの。

Tem3

説明の看板も新しくなった。

門前のそば屋さんや土産物屋さんには、
この御開帳期間のアルバイトを募集する張り紙がある。
表通りの店で聞いたら、
とにかくすごい人出なのだそうだ。

「手打ちそば屋 かんだた」は、
オープンしてまる4年。
まだ、御開帳を経験していない。

まあ、ちょっと離れた、分かりにくい路地裏の私の店までは
来られる方は少ないかもしれない。
でも、少しは来ていただきたいなあ。

ということで、
土曜日曜と、五月の連休中のアルバイトスタッフ募集中。


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2009年1月 9日 (金)

悪いことをするのは今のうち、御印文頂戴(ごいんもんちょうだい)

地獄に堕ちてくる人が減ってきた。
おかげで、血の池も針の山も、
かってのにぎわいを無くしている。
これでは、派遣で雇っている、
鬼どもを解雇しないといけないな、
等と、悩んでいる閻魔大王。

部下の報告では、
信濃の国、善光寺で、
押してもらえると極楽へ行けるというハンコがあるという。
それを押してもらった人々が、
みんな極楽へ行ってしまうので、
地獄は、クリスマス過ぎのお菓子屋さん状態。

うううううん、と考えた閻魔大王、
そのハンコを、信濃の国、善光寺から盗んでこい、
と命じるのだ。
そうして、やり玉に挙がったのは、
地獄でも釜ゆでを味わっている石川五右衛門。
かくて、泥棒のプロフェッショナル、
善光寺の、極楽行きのハンコを盗みに来るのだ、、、、

というのが、ご存じ落語の「お血脈」のお話。

その、極楽浄土へ、
導いてくれるというハンコを押してくれる儀式が、
善光寺で始まった。

Zenkouji 見に行ってみると、
長い行列が出来て、
順番に、そのハンコを頭に押しいだいておられる。

なるほど、神妙な顔をして、それを受けている。
みなさん、そんなハンコをもらわないと、
極楽へ行けないような、
罰当たりなことをしているわけだ。
行列の長さを見る限り、
そんな、胸に思い当たることの多い人が、
こんなにも多いのだね。

私なんぞ、そんなハンコを貰わなくとも、
いつも清く正しいから、そんな心配は、
全く、、、、、、、、ない、

ということで、
しっかり、ハンコを
頭に押し抱いていただきました。えへん!。

善光寺の御印文頂戴(ごいんもんちょうだい)は、
15日まで。

えっ、あの世の極楽ではなく、
この世の極楽を経験したいって。
そういう時は、路地裏のそば屋で、
ずずっとそばを手繰ろう。

ずずっとね。

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2008年12月20日 (土)

権堂アーケードのイルミネーション

この十二月は、
結構暖かな日が続いているようだ。
今日の朝は氷点下1℃。
しかし、晴天の昼間には12℃ぐらいまであがったらしい。

こう暖かいと、
あまり、長野の年の暮れという感じがしない。
もうじきクリスマスだが、
街にはそんなムードが漂っているのだろうか。

Luses 店の近くの、権堂アーケードのイルミネーション。

今年から、通常の照明を早めに落とすことにしたので、その明かりが引き立つようになった。
こうしてみると、結構、きれいなものだ。

写真をクリックして、拡大して御覧あれ。

でも、あれ!
全然人が歩いていない。

真夜中ではない。
おととい木曜日の夜9時ごろ。

暮れの飲み会の、一次会がちょうどはねた時間帯なのだけれどね。

世の中のせいか、
誰かのせいか、
単にこの街が廃れているせいなのか、
よくわからない。

街というのは、
人と人が出会う場所。
その中から、新しい関係が、
始まる場所。
その中から、今までにない力が、
湧いてくる場所。

せいぜい、クリスマスには、
この街が、
人々の優しいざわめきで溢れてほしい。
いや、きっと、
そうなることだろう。

でも、
「かんだた」は、
クリスマスイブの24日は、
定休日で休み。
あれ、水をさしているのかな、、、、
関係ないのかな、、、、。


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2008年11月24日 (月)

すんだ冬の空気に花火が映える。

久しぶりに外食をしたら、
生煮えのリゾットを食べさせられてしまって、
お腹がむかむかして、気持ちが悪い。

レストランというのは、
ラテン語の「修復する」という意味の言葉からできた、
という話を聞いたが、
「修復」どころか、
気分も時間も、お腹も「破壊」されてしまった気がする。
値段は一流だったけれどね。
こっちのダメージも大きい。

Hanabi2 さて、昨日は長野市の初冬の風物詩、
恵比寿講の花火大会。
毎年、打ち上げ場所近くの、
知人の仕事場に招かれて見にいく。

多くの知り合いが集まるので、
花火を見ているより、
もっぱら、話をしたり、
用意された液体を消費したりするほうに、
熱心になってしまう。

今年は、それほど寒くなく、
風も少しはあって、
いい花火の夜となった。
寒さの中に空気が澄んで、
一段と花火が映える。

打ち上げ場所の土手は、
人でびっしりだったそうだ。
有料の桟敷席も、早々と完売されたそうだ。
真上にあがる花火は、
迫力そのものだ。

最近は、音楽と合わせて花火を打ち上げるプログラムもあって、
なかなか、飽きさせない。

Hanabi1 さて、この花火、
何の形に見えるだろうか。

実は、スポンサーは、
キノコ屋さん。
そう、
毎年キノコの形の花火をあげているのだ。
あっ、あれはシメジだ、
これは、エノキだなどといいながら、
どんな、形が現れるのか、
つい、期待して見てしまう。

さて、そば屋が花火を打ち上げるとすれば、
どんな形がいいのだろう。
ナイヤガラでは、当たり前すぎるし。

よおし、そのうちに、
「そば」の花火を打ち上げるぞ。
みなさんご期待を。
(いつのことだろう?)


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2008年11月 7日 (金)

長野の楽しみ「えびす講」

今日は、暦の上では立冬。
いよいよ、秋から冬を迎えることになる。

さて、「手打ちそば屋 かんだた」のある、
権堂界隈も、歩いてみると、何となく華やかな気がする。
そう、アーケードに、「えびす講」の赤いのぼりが立ったのだ。

Ebisukou 「えびす講大売り出し」ということで、
商店街は、押すな押すなの大混雑と思いきや、
大変に歩きやすい状態になっている。

かっての長野で一番の繁華街も、時代の波に揉まれている、いや、埋もれかけているようだ。

ところで、この「えびす講」。
長野に来てから初めて知った。
東京でいえば、「お酉様」のようなもの。
善光寺近くの西宮神社に、
多くの露天が出て、
縁起物の熊手を売っているところは同じなのだ。
でも、長野の場合はそれだけではない。

昔は「えびす講」というと、
周辺の農家の人たちが、
一年の収穫を終え、冬を越す準備のための買い物をする、
一大イベントだったそうだ。
ほんの30年ぐらい前には、
このアーケードは、身動きできないぐらいの人で溢れたらしい。
様々の催し物もあり、地元の人たちにとっては、
一番楽しみな時だったようだ。

そうして、その楽しみは、
今でも続いている。

今や「えびす講」というと、
そっちの方のことを指すようになった。
商店街の売り出しのことではない。
本来の由来である、神社へのお参りのことではない。
大きな熊手を値切って買うことではない。

長野では、もう雪が降ろうという11月の終わりに、
盛大な花火大会が行われるのだ。
題して「長野えびす講煙火大会」。
今年も23日に行われる。

なんでこんな寒い時に花火なんだよ!
会場の河川敷に、
皆さん厚着をし、時にはストーブを持参し、
あれ、中にはコタツまで持ってくる人もいる、
そうして、寒さ除けをしながら、
夜空の花火を見上げるのだ。

商店街に「えびす講」ののぼりが立つと、
ああ、花火が近いのだなあ、、、
と、思う人が多いことだろう。

間違っても、あののぼりを見て、
ああ、新そばの季節なのだなあ、、、
と、思う人はいない、、、ようだ。

人影のまばらな商店街を抜けたら、
これまた人影の少ない、
路地裏のそば屋で、ズズッとそばを手繰ろう。


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2008年8月 3日 (日)

夏祭りの季節

昨夜は、長野の町中では、
恒例の夏祭り「びんずる祭り」が行われた。
私は、未だ持って、このびんずる祭りをよく見たことがないのだが、
会社やサークルなどが、さまざまな連を作って、
車を閉め出した通りで踊るらしい。

新聞に依ると、
一万一千人が、この踊りに参加したそうだ。

「かんだた」は、その踊りが行われる中央通りから、
少し入って、右に曲がって、
さらに右に曲がった突き当たりの、
薄暗がりの中の蔵だから、
その祭りの喧騒も届かない。

昨日は、コースのご予約の方が、
二組ほどあったので、
静かに召し上がっていただくために、
「満席」とさせていただいた。

せっかく来られた方、
申し訳ございません。

といっても、
ご常連の方々は、
一階のカウンターは空いていることを知っておられるので、
静かに入られて、
こちらの手間の合間を見計らって注文をしていただける。
「かんだた」はいいお客様に恵まれているなあ。

その、お客さまのお話。
歩道は人がいっぱいで、
歩くことができないぐらいだったそうだ。
遅くなって来られた、群馬からおいでのお客さま。
「いやあ、長野は、活気があっていいですねえ。」
いえいえ、昨日一日だけの話。

私が仕事を終えた頃には、
表通りは、ほとんど人が歩いていない。
そんな人出があったなんて、
外から遮断された店の中にいると、
まったく想像ができないのだ。

でも、今日の朝の6時。
スタッフの人や、踊りに参加された連の代表者の方々で、
一斉に、町中の掃除が行われていた。
眠い目をこすりながら、
夕べの興奮の余韻をまだどこかに残しながら、
路上のゴミを拾い集めていた。

ひょっとして、
このお祭りで、一番美しい光景ではないだろうか。

普段は静かな中心部も、
ほんの一瞬、
お祭りの嵐が通り過ぎたようだ。
でも、一万人以上の人が踊るなんてすごいねえ。

と思っていたら、
同じ日に松本でも似たような祭りがあって、
なんと、2万6千人が踊ったんだって。

まあ、数が多ければいいという話ではない。
せっかくの善光寺のお膝元、
せめて、質で認められるようにしたいものだ。

私の店も、お客さまの数ではなく、
そのお、お客さまの、し、し、し、、、、。
その前に、店主の質を高めろって!
ごもっとも。

月遅れのお盆の、13日から15日にかけては、

善光寺の本堂の前で盆踊りが行われる。

こちらにも、御参加を。


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2008年6月12日 (木)

サバの缶詰が売れる季節。

六月も中旬になり、
長野を取り囲む山々の緑も、
だいぶ濃くなって来た。

この季節に、食料品店では、
あるものが、たくさん売れる。
スーパーでも、目立つところに積んであるし、
国道沿いのコンビニにも、山と置かれている。

それは、「サバの水煮」の缶詰。

Sabakan これはどうも、
長野県でも、
北信地方と呼ばれる、
ここ、長野市周辺だけの習慣らしい。

とにかく、六月は
このサバ缶がよく売れるのだ。

海のない地方で、
新鮮なサバが手に入らないから、
缶詰のサバで我慢しているわけではない。

缶詰のサバでなくてはいけないのだ。
通に言わせると、
新しいものより、
2年ぐらいたった、缶詰の方がいいという。
へえ〜。

地元の人は、もちろんご存じだろう。
「今年はもう、サバ缶を食べたかい?」
なんて、聞かれるのだから。

実は、この季節に高い山で採れるのが、
ネマガリダケの竹の子なのだ。

Nemagari 雪深い高山の急斜面を、
ビッチリと覆っているネマガリダケ。
その、竹の子の季節。

いったい、
誰がいつ頃から始めたのか知らないが、
この竹の子を、サバ缶とともに煮るのが、
この地方の食べ方なのだ。

この竹の子の、
ちょっと、アクっぽくて、
淡白な味と食感が、
サバ缶のサバ入りの味噌汁に、
とても良く馴染む。
もう、これ以外の食べ方はないだろう、、というくらい。

以前は、誰でも山に入って採れたのだが、
今は、規制がかかって、自由に採れる場所が少なくなってしまった。
でも、山に、鍋とサバの缶詰を持っていって、
採ったその場で煮て食べるというのは、
最上の楽しみだったそうだ。

そうして、この、サバ入りの竹の子汁を食べた後は、
そばをズズッと手繰るのが、よく似合う。
だから、竹の子狩りの後のそば屋は、
大混雑になる、、、という習慣は、
まだ、
未だに、
根付いていないようだ。


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2008年4月24日 (木)

三門の上からの眺めは。

さて、昨日は善光寺で、
五年間にわたる修理を終えた三門の、
落慶法要が行われた。
ちょうど店の定休日なので、見に行きたいと思っていたが、
何しろ、ネギの植え付けの時期。
600本の苗を、一日で植えてしまわないといけないので、
法要には参加せず、
「歴史の町長野を紡ぐ会」が門前の西方寺で行った、
三門についての勉強会にだけ、顔を出させていただいた。

Sanmon 写真は、去年の秋に、ずっと囲まれていた三門の足場が、半分だけ取り外された時のもの。
間口が二十メートル、高さも二十メートルあるという、堂々たる建物だ。
国の重要文化財に指定されている。

建立は1750年。
出開張といって、各地を回り、資金を集めたそうだ。
二階には、知恵をつかさどる文殊菩薩像が安置されているそうだ。

ところで、どうして、三門というの。
山門とは違うのだろうか?

ならば、教えてしんぜよう。エヘン、
この門をみると、人の通るところは、
柱で三つに別れている。
つまり、通路が三か所あるから、
それで三門と名付けられたのだ。エヘン。

だと思っていたら、まったく違う。
「三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏の国に至る門、三解脱門(さんげだつもん)を表すとされる。」
のだそうだ。

この三門は、今日から、7月まで、二階に上がることができる。
この門の上からの眺めは、素晴らしいものらしい。
京都知恩院の三門に登った石川五右衛門に習って、
「絶景じゃ〜、絶景じゃ〜。」とうなって見るのも面白い。
もちろん、その後は、
国産そば粉を使った手打ちそば屋で、
ズズッとそばを手繰ろう。



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2008年4月22日 (火)

お騒がせな聖火リレー

Hataどうなるのだろう、この土曜日に行われる、オリンピックの聖火リレー。

「長野オリンピックの時を思い出しながら、応援に行きたい。」
「○○ちゃんの走るところだけ見たいわ。」
「オリンピックなんか、グローバルなコマーシャリズムのシンボル的イベント。みんなで無視しよう。」

などと言っているうちに、流れはオリンピックとは関係のないものになってしまったようだ。

善光寺表参道には、かなり前からスポンサーの名前の入ったフラッグが掛けられて、歓迎ムードを、盛り上げようとしていた。
でも、当日は、スポンサーも宣伝カーを出さないそうだ。そのかわり、長野県の警察が、存在をアピールするに違いない。

国宝善光寺の本堂が落書きされたり、見なれない街宣車が走り回ったり、なにやら、町の中が騒々しい。せっかく飾った歩道の花も、当日は撤去するように指導されているそうだ。

十年前に行われた長野冬期オリンピック大会。
まさに官製のお祭り騒ぎ。「オリンピック」という印籠をふりかざされて、あっという間に、道路や巨大な建物ができ、住民も旗ふりをさせられた。

オリンピック終わると、その印籠の効果は無くなり、その巨大な施設を持て余すようになった。
建てる時には、天井が開くことを売りにした広大なアリーナは、まだ、その天井の開くのを見たことがないし、現代アートのような曲がりくねったパイプのコースは、さびが浮き出て、一流選手が滑ったスキー場では、そのラインをたどることもできない。
オリンピックに刺激されて、スケートやスキーが盛んになったという話もあまり聞かない。

うがった見方をすれば、長野のオリンピックは、思い出と借金以外は、残っていないようだ。
あっ、先日行われた、長野マラソンは、しっかり形で残っているいい例だ。
でも、それは少しだけ。
表参道にある、屋外競技の表彰式会場であるセントラルスクウェアは、今やただの、いや、一時間百円の駐車場になっている。その奥にある表彰台は、さびが浮き出て、秋には枯れ葉のたまり場になる。
先を考えず、ただ、お祭り騒ぎに終わった、長野のオリンピックの姿を、象徴しているような気がする。

そこで沸いてきた、北京オリンピックの聖火リレーの話。
オリンピックの幽霊を、もう一度みさせようとしたんだね。
でも、幽霊どころでは無くなってしまった。

今から、
返上することはできないのだろうか。
聖火はエベレストにも登るそうだから、
修験者の山、戸隠の山頂でやるのはどうだろうか。

などと好きなことを書いている。
懸命にやっている関係者の方々に申し訳ない。
聖火が通るのは、ちょうどそば打ちをしている時間。
恐いもの見たさもあるが、
私は応援する気にはなれない。

皆さん、この騒ぎが終わって、一段落したら、
ズズッとそばを、手繰ってみよう。
そして、何ごともなくて良かったとほっとしよう。


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2008年3月11日 (火)

3月15日は涅槃会

江戸時代の俳人、小林一茶の句に、
こんなものがある。

御仏や寝ておはしても花と銭

なるほど、仏様は、寝ていても、
花とお金が入るのだ。
一茶らしい、皮肉のきいた作品。

でも、寝ている仏様って、
何なのだろう。

寝ているというのは、
眠っていることではない。
お釈迦様が、今、
まさにお亡くなりになろうとする時、
横になって臥せておいでなのだ。

その、お亡くなりになるお釈迦様の、
等身大の仏像が、
善光寺の境内のお寺にいらっしゃる。
銅で作られた、500キロもある重たいもの。
あまり重たいので、
国の重要文化財に指定されている、、、そうだ。

善光寺の仁王門をくぐった、土産物屋の並ぶ仲見世。
その真ん中辺りに、右に入っていく路地があり、
突き当たりにあるのが、世尊院釈迦堂。
ここに、先ほどの寝仏像が置かれている。

普段は閉まっているが、
行事のあるときには、上がってみることが出来るのだ。
時には、ご住職自ら、この像について説明してくれる。

それによると、この像は、
鎌倉時代の作品だとか。
お釈迦様は、亡くなることによって、
肉体の持つ煩悩から離れ、
本当の悟りの境地へと入っていかれたのだそうだ。

ふ〜っむ、なるほど。
そうして、悟りを開くことを涅槃(ねはん)と呼ぶそうだ。
だから、お釈迦様の亡くなった日には、
涅槃会(ねはんえ)という行事を開いて、
お釈迦様を偲ぶのだ。

一茶も、この世尊院釈迦堂で行われた涅槃会に参加し、
初めに紹介した句を詠んだのだ。

涅槃会には、この寺に伝わる、
大きな涅槃図が、広げられる。
たくさんの弟子たち、人々、
そして、動物たちが、
嘆き悲しむ中、静かに息をひきとる、
お釈迦様の姿が描かれているのだ。

そして、絵解きをして、
その絵に描かれているものを説明してくれる。
これがまた、面白い。
私は、信心はないが(何たる不埒な)、
二年前にこの絵解きを聞いた時に、
思わず話に引き込まれてしまった。
身近な、長野の街に、こういう世界があるんだね。

涅槃会は3月15日。
今年は土曜日になる。
絵解きは午後一時半から。
信心のある方も、私のように信心のない方も、
花と銭にあやかりたい方も、
涅槃会に、出かけられることをおすすめする。

絵解きをなさる、小林玲子さんのブログはこちら。
小林玲子の表参道日記

さて、調べてみると、
この涅槃の日には、
そばを食べるという習慣があったらしい、、、、

、、、というのは、どこにも書いていない。
食べられるのは「やしょうま」
皆さん、「やしょうま」って知っていますか。
私も長野に来るまで、知らなかった。
「やしょ、うまかった。」なんて。

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2007年11月 4日 (日)

何気なく歩く石畳だけれど。

「落ち葉」とか「枯葉」という言葉は、
ある種の情景を呼び起こすみたいで、
歌の文句にもよく使われている。

ちょっと思い出したって、
そんな歌詞の浮かぶ曲がある。
五輪真弓の「恋人よ」、
はしだのりひことシューベルツの「風」、
ガロの「学生街の喫茶店」、、、

えっ、どこの国の歌だって?
ちょっと古いなあ。
最近の曲でも、
「落ち葉」や「枯葉」の出て来る曲があるのだろうか。

さて、表参道から善光寺への参道に入ると、
びっしりと敷き詰められた石畳の道となる。
これが、仁王門、仲見世、三門へと続いている。

この敷石の枚数、全部で7777枚あるそうな。
これだけ敷きつめるのも、大変だったのだろうなあ。

でも、これは、ある個人によって、
寄進されたものなのだ。
善光寺の本堂が再建されてから、
数年後の1714年、
江戸の大竹屋平兵衛という人が、
ぬかるみに難儀している参拝者の姿を見て、
大枚を差し出したのだ。

実は、この平兵衛さん、
人の世の、深い無常感を背負っていた。

この人は、江戸で商売に成功したが、
放蕩息子がいて、家に寄り付かない。
あるとき、家に賊が入ったので、
平兵衛さん、思わず槍で突き殺してしまった。
そして、その殺した賊を見てみると、
なんと、わが子だったのだ。

Sikiisi 人生のはかなさを感じてしまった平兵衛さんは、
以後、仏門に入って生涯を過ごしたのだ。

その人の哀しみが、
今も、善光寺の参道の石畳となって、
私達を助けているんだね。

何気ない町の風景の中にも、
はかなさや、無常を感じてしまった人たちの、
ちょっとした足跡が残されている。

落ち葉の舞う季節、
そんな感傷を拾いながら、
町を歩いてみるのもいかがだろうか。

そして、そんな、人たちの想いを感じながら、
ズズッと新そばを手繰ろう。

やっぱり、最後はこうこなくっちゃ。


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2007年11月 3日 (土)

この石のある辺りを岩石町と呼ぶ。

落ち葉が街を舞うようになると、
何となくシャンソンの「枯葉」のメロディが、
頭に浮かぶ。

ジュリエット・グレコが歌って、
有名になったこの曲だけれど、
私はジャズで聞くのが好き。

ジャズで「枯葉」といえば、
大御所のマイルス・デイヴィスのものが有名。
音量を抑えた、トランペットの音は、
心にすっとしみ入ってくる。

パパパッパ〜、パパパッパ〜、
ここで舞う枯葉は、
ちょっと感傷的な、
それでいてどこか軽妙な響きがある。
マイルスも、キャノンボール・アダレイも、
もう亡くなってからだいぶ経つけれど、
こうして、いい音だけは残っているのだね。

そうして、800年前の人の話も、
長野の街に残っている。
やはり、人生に無常を感じてしまった人のお話。

「曽我兄弟の仇討ち」といえば、
こういう話が好きだった、
昔の人たちによって、ずっと語り継がれてきたお話。

鎌倉幕府を開いた源頼朝が、富士で狩りをした時に、
それに乗じて、
親の敵を打ち遂げた、若き兄弟がいた。

それが、曽我十朗、五郎だった。
親の仇討ちを成し遂げた彼らは、
その場で殺されてしまう。
あわれ、若き兄弟よ。

敵討ちを生涯の目標としていた彼らには、
家族はなかった。
でも、兄十朗には、恋人がいたのだ。
その恋人こそ、大磯の「虎御前」。

曽我兄弟が死んだとき、
まだ十九才の花盛り。
それでも彼女は、
残りの一生を、
亡き恋人、曽我十朗の菩提を弔うために、
過ごすことに決めるのだ。

虎御前は、善光寺にもやってきて、
庵を結び、何年かを過ごした。
その庵は、同じ志の尼僧によって引き継がれ、
つい最近まであったという。

Toragatuka 表参道から少し入った路地裏に、
ぽつんと一つの石が置かれている。
地元の人以外、ほとんど通ることのない道。
そこに置かれている石が「虎が塚」。
この下には、
曽我十朗と、虎御前の遺品が埋められているそうな。
ええと、
鎌倉時代の話だよ。

恋してしまった男は、
親の敵に、復しゅうの炎を燃やす男。
いつかは、そうなることを知りながら、
運命に逆らえなかった女のさが。
そういう心情に、共感する人たちがあったから、
この話は伝えられ、
そして、この石は、
片づけられもせずに、
長野の街の路地裏に、しっかりと置かれているのだ。

俳句の世界では、
「虎が雨」なんて季語があったっけ。
旧暦の5月28日、
つまり、曽我兄弟が仇討ちをした日に降る雨をさす。
新暦では6月の終わりから7月の初め。
ちょうど雨の多い季節だ。

今は、雨が降っていなくても、
近くの神社の落ち葉が降っているかもしれないなあ、
この石の上に。

まあ、そんな女性がいたことを、
ちょっとは頭にかすめて、
ほんのり、ほんとにほんのり緑色の、
新そばを手繰ろう。

人には、さまざまな人生があるのだなあ。
そばにも、
さまざまな「そば生」があるのかもしれない。

人生の空しさを感じてしまった人、
えっ、まだいるの。

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2007年11月 1日 (木)

身勝手な父親で子が苦労?でも、、

善光寺表参道の街路樹は、
この数日で見事に色付き、
葉を落とし始めた。

通りに面した店は、
この季節の掃除が大変だろうなあ。
でも、落ち葉の掃除って、
意外と気持ちのいいもの。
自分でやらないからいえるけれど、
人の落としたものではないもの。

落ち葉が風に舞う光景は、
何となく人を感傷に誘う。

ええい、まとわりつくな、私に。
せっかくの新そばの季節、
そんな感情に、浸っている暇はないのだ。

さて、人の世のはかなさを感じてしまった人。
深い深い無常感の穴に、落ちてしまった人。
そういう人が、昔、いたそうな。

昔といっても、今から800年以上前、
筑紫の国の領主に加藤某という方がいたそうな。
今の九州は福岡県辺りのことだろう。
領主として、それなりの暮らしをしていたのだが、
なにを血迷ったか、
突然、出家してしまう。

つまり、坊さんになって、
九州からは遠い、高野山に籠ってしまったのだ。

後に残された家族は、
ただ、おろおろするばかり。

やがて、十四才になったその息子、
意を決して、高野山に、
父親を訪ねていく。

きっと、一言、
親の務めを怠った父親に文句を言いたかった、、、
なんて、どこにも書いていない。

我が父恋しさに、
その幼い子、石堂丸は、
広い高野山の中を訪ね歩くのだ。

Karukayaそして、出会ったある僧に、
自分の身の上を語り、
父の居場所を問うのだ。

その問われた僧こそ、
まさに、
石堂丸の父親、そのものであった。

はるばる九州からやって来た石堂丸。
ここでめでたく親子の再会と相成るや、、
ジャジャジャジャ〜ン。

ところが、ところが、
この頑固者、ひねくれ者の父親。
仏に仕える身としては、
親子の情は邪魔になる、、
トカなんとか思って、
「お前の父親は遠い所へ行ってしまった。」
そう言うのだね。

世のはかなさを知ってしまった、
人間の強さか、薄情か。

その父親、苅萱上人と呼ばれ、
やがて善光寺のお膝元の落ち着く。

長野の中央通り、表参道にある、
かるかや山西光寺は、その苅萱上人のいわれのあるお寺。
絵解きで、この話を聞かせてくれるので、
ぜひ、お聞きを。

この写真は、その西光寺境内にある、
親子再会の像。

その後、石堂丸も仏門に入り、
苅萱上人を追って、長野に来たそうだ。
だから、駅前辺りに、
「石堂」という地名が残っているのだね。

普段から見なれている、
長野の町の風景の中にも、
そんな話が埋もれているんだね。

ええい、そんな感傷にとらわれず、
先ずは、ズズッとそばを手繰ろう。
ふわっと茹で上がった感触は、
新そばならではのもの。
世の中の憂いと、
中日の優勝と、
全く縁のない、
ハナシ、、、、、。

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2007年10月30日 (火)

ものの哀れを感じる季節。

さて、昨日は、お客さまから、
大切な、カエデの葉っぱを頂いた。
今日も善光寺表参道を歩いてみると、
街路樹の桂の木が、
黄色く色付き、落葉が始まっていた。

この、落ち葉と共に、この季節は、
何か気分も感傷的になる。
人を、ものゆい、はかない気分にさせられる。

歌人として、漂泊の僧として名高い西行(さいぎょう)も、
当時のエリート武士の肩書きを捨て、
出家したのは、伝えによると、この季節だという。

ええ、西行って、テレビに出てる人?
はい、テレビにはでていないけれど、
教科書には必ず載っている有名な人。
鎌倉時代の少し前、
源平の戦いの最中に生きた人だね。

北面の武士として、将来を期待されていた西行は、
23才の時に、突然出家を宣言する。
四才になる娘が、すがってくるが、
それを縁側から蹴落として、
世を捨てる決心をしたそうだ。

何が、わが子を蹴落としてまで、
西行を出家させたのだろう。
世の無常を感じたと、
物の本には書いてあるけれど、
「無常」って、一体なんなのだろう。

さて、西行は、日本のあちらこちらに、
その足跡を残す。
長野の善光寺にも参りに来た。

長野の中心市街地のまん中に、
「新田町」と呼ばれる交差点がある。
少し前までは、ここが、
長野で一番の人通りのあるところだった。

でも、町中なのになんで「新田町」?
それは、昔はここに川が流れていたからだ。
西行はこの辺りで、こんな句を残したそうだ。

  この奥にさくらの里のあればこそ
         裾花川と人はいふなれ

Sinnden
その場所は、今や、
新しいビルのまぶしい場所になってしまった。
これが無常ってことか。

ちと違うなあ。

何はともあれ、
そんな、ものの哀れを考えながら、
そばを手繰ってみよう。
さすが新そば、
このもちもち感がいいなあ。

そんな、人生のはかなさを感じてしまった人。
あれ、まだまだ、長野にも、
たくさんいるぞ。


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2007年9月21日 (金)

久しぶりの風景

いやあ、久しぶりに屋根が見えた。
ずっと、白いシートで囲まれていたので、
それを外されると、
なにか、新しいものを見るような、新鮮な気がする。

Sanmon 善光寺の三門は、
五年にわたり、修理を続けてきた。
それがまもなく終わろうとしている。

この門は、1750年に建てられた、
国の重要文化財。
この門が作られた年に、
おぎゃあと生まれた赤ん坊は、今年で満257才になっているはず、、、。

以前の屋根は、大正時代に修理された、
ヒノキの皮を敷き詰めた「檜皮葺(ひわだぶき)」だったが、
今回は、造られた当時の姿を再現して、
「栩葺(とちぶき)」という屋根になったそうだ。
何でも、サワラの板を重ねて屋根にしたのだ。

だから、前とは、ちょっと印象が違うのだね、

この三門のシンボルと言うべき、
「鳩字の額」も、ちゃんとかけられている。

Hatojigaku この額は、江戸時代末期の1830年から、
ここにかけられているらしい。

ここには五羽の鳩が隠れていると言われている。
皆さん、お分かりだろうか。
画像を大きくして、御覧あれ。

もう、その主人公であるハト除けの金網が張られているのが、ご愛嬌ではあるけれど。
また、善光寺の「善」の字が、牛の顔に似ているとも云われている。
そう、「牛に引かれて善光寺」の言い伝えを受けているのだ。

古い建物も、こうして、きめの細かい修復作業を加えることによって、
また、ずっと、後世まで、残していくことが出来るのだ。

皆さんも、自分の身体、
ちゃんと、メンテナンスしておられるだろうか。

自然の野菜と、
心のこもった手打ちそばで、
メンテナンスを。
200年生きることは、保証できませんが。

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