カテゴリー「かんだたの世界」の記事

2017年4月25日 (火)

ただいま、胃のピロリ菌除菌中。

またしても、個人的な話題で申し訳ないのですが、、。

大腸の検査をしたので、
これを機会に胃の方も診てもらうことにした。
なんとなく、胃のあたりが、
重たいような感覚があったからだ。

ということで、
上部消化管内視鏡検査なるものを受けることにした。
要するに、胃カメラを飲むことだね。

この検査をするのは十数年ぶり。
先生が麻酔をしますかと聞くので、
お願いしますと答えた。
以前に、胃カメラを飲み込む時に、
ずいぶん苦しかったからだ。

麻酔といっても、意識がボオーとするぐらいだと思っていたら、
注射を受けて、間もなく意識を失い、
看護婦さんに起こされて眼を開けたときには、
もう検査は終わっていた。
何の痛みもなく、本当に胃カメラを入れたのかな、
などと、疑いたくなるような気持ちだ。

しばらく休んでから、
医師の説明を聞いた。
「診たところ、慢性胃炎ですね。
 あと、逆流性食道炎の痕跡があります。」
胃炎とは、胃の粘膜がただれていることなのだそうで、
写真を見せていただいたが、よくわからない。

なんでも、胃の中に住むピロリ菌の影響かもしれない、
とのことで、尿の検査をしたら、
ドンピシャリ。
医師のいうことには、
この菌がいても、
放おっておいても大丈夫な人もいるし、
胃がんに進む人もいるという。

今はいい薬があるので、
その、ヘリコバクター・ピロリ菌というやつを、
かなりの確率で、取り除けるという。
副作用のリスクもあるが、
その除菌薬を飲むことにした。

とにかく7日間、
連続して薬を飲み続けないといけないらしい。
抗生物質なので、腸などにも影響があるかもしれないそうだ。

ということで、
只今、ピロリ菌除菌中。
5日目だけれど、今のところ、
副作用もなく過ごしている。

話は変わるが、
私はこの頃、自分で勝手に、
「六時間眠ろうキャンペーン」を試みている。
少なくとも、そのくらいは眠らないと、
体によくないと言われているからだ。

ところがこのキャンペーン、
達成率は、30%まで届かない。
つまり、定休日も含めて、
月に7日か8日しか六時間以上寝ていないのだ。
細かい仕事に追われて、
どうしても、五時間を切る日もあるような状態。

医師のいうことには、
十分な睡眠を取ることも、
胃の健康につながるのだそうだ。

私も60歳を超えて、
無理の出来ない体になってきている。
店の作業の能率を上げ、
一日の仕事量を、ぐっと搾る努力をしないといけないねえ。

体がいい状態だからこそ、
いいそばが打てるのだから。

、、て、なんだか、年寄りのぐちになってしまった。


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2017年3月30日 (木)

入院して、久しぶりにゆっくり。

いやいや、今月は、四日間の入院をした。
といっても、
具合が悪いわけではない。
とにかく安静が必要とのことで、
点滴と、釜を洗った湯のような重湯の食事で、
ベットの上で過ごしていたのだ。

昨年の夏の市民検診で、
大腸がんの発見のための、
便の潜血検査に反応が出てしまった。
店の近くの病院で、
大腸の内視鏡検査を受けると、
なんとまあ、5ミリほどのかわいいポリープが見つかった。

その病院では、切除が出来ないとのことで、
他の病院を紹介された。
最初はある大病院を紹介されたのだが、
あそこは、人が大勢居て、
落ち着かないことは経験済み。
そこで、
前に女将が入院した小さな病院にいくことにしたのだ。

大腸の内視鏡検査は、
ご存知のように、
腸をきれいにするために、
二リットルの下剤を飲まなければならない。
そして頻繁にトイレに通わなければならないのが、
なんともうっとうしい。
しかし、内視鏡を使ったポリープの切除手術そのものは、
それほど痛みも苦痛もなく、
結構簡単に終わってしまった。

手術中、腸が動くというので、
モニターが見えない方向に向けられてしまったのが残念。
でも、あとで写真で見せていただいた。
切ったあとは、
洗濯ばさみのような3つのクリップで、
出血しないように留められていた。
ずいぶん細かい作業なのだね。

私のポリープは、
キノコ型ではなく、富士山型なので、
後で、出血しやすいとのこと。
だから、
ベットの上でひたすら安静に努めていた。
もっとも、動けないように、
ずっと点滴をされていたが。

お陰で、
久しぶりの読書三昧。
持っていった電子ブックで、
藤沢周平と司馬遼太郎。
あっという間に、四日間が過ぎてしまった。
もう何日間か、入院していたかったなあ。
何しろ、
こんなことでもないと、
ゆっくりと本を読む時間もないのだ。

大腸に出来たポリープといわれる突起は、
放おって置くと、ガンになる可能性が高いと言われている。
だから、内視鏡で取り除けるうちに、
手術をしておいたほうが良いのだね。
その方が、腹を切るよりは、
体の負担が軽くて済む。
ちなみに私のポリープは、
癌になるタイプではなく、
単なる出来物だったと、
あとの検査でわかった。

大腸がんは、早めに発見されれば、
それほど大事にならない。
女将も、もう十年近く前に見つかり、
腹を切って取り除いた。
よいことか、悪いことか知らないが、
いまだにピンピンしている。

とはいえ、
不幸な話もずいぶん聞いている。
毎年、りんごを送っている遠方の友人は、
大腸がんでなくなったと、
その妹さんから突然の電話を頂いた。
私より、十歳ぐらい若かったのに。
あるそば屋さんの奥さんは、
体調が悪かったのに我慢をして、
気がついたときには手遅れだったのだそうだ。

検査は、たしかに抵抗のある方もいるかもしれないが、
ぜひ、受けたほうが良いだろう。
病気になって苦しむのは、
本人ではない。
実は、本人の周りの人達なのだから。

入院三日目にして、
やっと、ご飯粒の見えるおかゆの食事になった。
食べ物と腸の関係、
不思議だなぁ。

 

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2016年2月22日 (月)

真田幸村と、兄、信之の会った場所は、、、。

なんでも、テレビの影響で真田幸村(信繁)が人気なのだそうだ。
幸村といえば、家康が豊臣方を根絶やしにしようと仕掛けた、
大阪冬の陣、そして夏の陣で活躍して、名を上げた武将だ。
のちのちまでも、尾ひれがついて、
大きな話となって伝えられている。

そして、兄弟で、
従う主人を分けた、真田家の物語も興味を引くところ。

池波正太郎の「真田太平記」によれば、
大阪冬の陣で一度和平になった時、
幸村と、兄の信之が十数年ぶりに会ったという。
徳川方に付いた信之は、幸村を説得するために、
極秘のうちに、
その機会を作ったそうだ。

かたや、家康の養女を妻にした兄、信之、
かたや、若い頃に仕えた秀吉に義理を通そうとする弟、幸村。
その立場の違いははともかく、
久しぶりの再開に、
兄弟としての情を通い合ったという。

ともすれば、これが知られると、
双方に、相手に繋がっているかもししれないと、
周りのものに指をさされるかもしれない。
だから、この会見は、
何事も漏らさぬ警戒のうちに行われた。

その場所は、京都の東山の、あるお屋敷。
ひっそりとした一角で行われたのだね。

さてさて、話が長くなった。
先日の旅で、京都を訪ねた時に、
東山界隈をウロウロした。
そして、
名のある料亭が、この地区のたくさんあることに驚いた。

東山は、京都の繁華街、
四条河原町からも近い。
もちろんその間に祇園もある。
ちょっと路地裏を歩けば、
一見して高級な料亭の看板を、
それも、ほんの小さなもので、
見過ごしてしまうような看板を、いくつも見かけた。

このあたりで、
一枚720円ぐらいでそばを食べようか、、
なんて無理なこと。
たまに出ている店のメニューにも、
「昼の懐石六千円」等と書いてあったりする。
まあ、夜だったら二万円以上の席なのだろうなあ。

でもねえ、素晴らしいのは、
それらの料亭が、
きちんと成り立っていることだ。

よく京都の料理は高いと言われるが、
ちゃんとそれなりの価値を認めるお客様もいらっしゃるのだ。
料理のうまいまずいばかりではなく、
しっかりとした出会いを演出してくれる、
おもてなしも伴ってのことだろう。

そういえば、司馬遼太郎の「竜馬が行く」の中でも、
東山の料亭で密会する場面があったっけ。
幸村の時代とはだいぶ違うけれど。

あれだけのたくさんの料亭、お茶屋さんの中で、
日々、大きな話が取り交わされるのだろうなあと思うと楽しくなる。
祇園を案内してくれたタクシーの運転手さんが言っていたけれど、
お金があるだけでは、入れませんよ、とのこと。
ここには守っていきたい世界があるような気がする。

さて、
じゃあ、わたしも、
、、、、
看板を小さくするかなあ、、。






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2016年2月 8日 (月)

そば屋の・ようなもの、だったりして。

東京にいた若いころ、
人付き合いの苦手な私は、
よく一人で、映画や寄席に行った。

その頃上野に本牧亭という寄席があって、
ここは本来は、講談の定席なのだが、
月に何日かは落語の会をやっていた。

早目に行くと、二階の広い畳敷きの部屋には、
まだ、数人の客しかいない。
そこで、ほとんど座布団だらけの客席に向かって、
前座と呼ばれる新人の落語家が、
一生懸命話しをしている。

もちろん、覚えたての噺を、
小学生が教科書を読むように語っているので、
いわゆる、落語らしい可笑しみがないのだ。
聞いている方もひどいもので、
空いている座布団の上で、
横になって寝ている人もいる。
噺をしている前座さんに、背中を向けてね。
常連らしいお年寄りは、
後ろの方に5人ぐらいでかたまって、
世間話に忙しい。
噺が終わったって、拍手の一つもない。

それが、いわゆる真打ち、
師匠とよばれる人たちが出てくる時間になると、
座は人で一杯になる。
時には、入りきれない人もいて、
「お膝送り」の声がかかる。
つまり、座っている座布団ごと少しづつ前に詰めて、
後ろに場所を作るのだ。

噺が進むと、場内は笑いの渦。
終われば、割れんばかりの拍手。
窮屈な格好で座りながらも、
大勢の人と一緒に楽しむ笑い。
これが寄席の醍醐味なのだよね。

でも、同じ噺をしても、
どうして、前座と真打ちで、違うのだろうねえ。
落語家の芸の世界は、厳しいものだ。

なんてことを思い出したのは、
先日ある映画を観たから。
その映画は「の・ようなもの のようなもの」。
35年前に作られた映画を、
亡くなったその監督に捧げるために作られた映画。
どちらも、駆け出しの落語家の話。

35年前と、同じ出演者が出てきたりして、
ああそうだったと、楽しませる。
で、35年前に、
彼女に「下手くそ」と言われた落語家「志ん魚(とと)」は
その後、師匠と呼ばれる身になった、、、、
かと思いきや、やっぱり「下手くそ」だったのだね。
松山ケンイチはじめ、たくさんの芸達者な俳優が、
話を楽しませてくれる。
一流の役者さんて、
画面にちょっと出るだけで、
存在感があるからスゴイ。

それに比べて、
そばの世界では、、、、。
そばが下手くそでも、
商売がうまいと、成り立っていくようだ。
両方共下手くそな私は、
池の金魚みたいに、
アップアップしながら生きているのだが。

なんて、
若い時に落語から学んだことはまだまだあるのだ、、、
て話はまた今度。

雪の京都の三十三間堂。
いつもは大混雑という話を聞いていたけれど、
おかげで、国宝の仏様と、
じっくりと向かい合えた。





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2016年2月 1日 (月)

歴史がこんがらがった頭で、京都の見物。

さて、ゆっくりと楽しませていただいた京都の旅の話。

東山に高台寺という寺があり、
ここは豊臣秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)の菩提所なのだそうだ。

その庭園の一番高いところに、
傘亭(からかさてい)という茶室があった。
秀吉の作った伏見城から移されたもので、
国の重要文化財になっている。

説明してくれた人の話では、
伏見では川沿いにあり、小舟に乗って、
この茶室に乗り入れて、お茶を楽しんだというのだ。
前のところの空いたところが、船の入る場所らしい。

Photo
ほらほら、着飾った殿様が、
船に乗って、この変わった屋根の茶室に入ってい行くのがわかるでしょう。
なるほど、秀吉たちは、そういう趣向を楽しんだのだね。
秀吉の作った伏見城と言うと、
豪華絢爛な建物というイメージがあるが、
こういう質素な茶室も好まれたわけだ。
といって、こういう茶室は、細かいところまで工夫がしてあって、
実は、すごく贅沢にできている、というような話を聞いたことがある。

千利休から始まり秀吉が好んだ茶の世界は、
様々な芸術の部門に影響を与えたという。
茶室のような建築から、茶道具、焼き物、庭造り、書画、衣服など、
茶の席に合わせて作られるようになったのだろう。

この時代、焼き物で名を残した古田織部、
その弟子で、庭造りの小堀遠州などの、
まあ、趣味人というような大名も現れている。
この高台寺の庭園も、遠州の作と言われているのだね。

あとから行った建仁寺の中庭も、
ぱっと見たら、遠州の作かと思ったら、
それを倣って、近年に作られたものだそうだ。
それにしても、遠州好みの石の立て方が、
思わず座って茶を、、、いえ、できればお酒を頂きたいなあ、
という、深〜い気持ちを起こさせる。
こらこら。

Photo_2

ここ建仁寺には、あの有名な「風神雷神図」があったそうだ。
今は国立博物館に預けてあるが、
精巧な複製が置かれている。
それを描いたのが俵屋宗達だね。

その宗達の描いた板絵が見られるのが「養源院」というお寺。
有名な白象や獅子の絵を、すぐ間近で見ることができる。
そして、このお寺のもう一つのウリが、
伏見城の血天井ということになる。

あれ、また伏見城が出てきたぞ。

何しろ秀吉の前後の時代の歴史を考えると、
あまりに複雑で、よくまとまらない。
この時代、あまりに多くの人が出てくるから、
頭のなかは、こんがらがったままだ。

でも、いいものを見る目は持っていたいね。
何百年も前から、人々が大切にして、
育んできたものを、しっかりと見極める目を、
できれば持ちたいものだ。
京都って、そんなものがゴロゴロしているところなんだね。

で、こんがらがった頭で帰ってきた旅館の部屋の、
こんな設えが、ほっとさせてくれたりして、、、。

Photo_3  

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2016年1月25日 (月)

日頃の行いの悪〜い者達の、京都への旅

やっと、正月休みをいただいたので、
思い切って京都に行ってみることにした。
二十代の頃に、何度か足を運んだことがあるが、
それ以来ご無沙汰。
なんとなく、歴史の流れの匂いを嗅ぎたくて、
そして、一流と言われる、
この街の「おもてなし」のようなものを感じたくて、
京都へと向かったのだ。

ところが、
ああ、
日頃の行いの悪さが祟っている。
よりによって、
出発の朝の長野は雪降り。
北陸新幹線は遅れて、
金沢での乗り継ぎに間に合わず、
京都には、一時間以上遅く着くことに。

帰る日の朝は、
京都では大雪というほどの雪降り。
旅館の窓から見える庭もこのとおり。

 

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帰りの列車を心配して、
早めの出発。
そうしたら、長野行の出発がやっぱり遅れ、
名古屋駅の、風通しのいいホームで、
一時間近く待つ羽目に、ハクション!

などという愚痴はともかく、
じつに、いい時を京都で過ごさせて頂いた。
様々なアクシデントも旅の内。
せっせと歩くのも、旅の醍醐味。
じっと、庭を眺めるのも旅の喜び。
なにより、新しい食べ物と出会うことが旅の発見。

Photo_2

今回の旅の一番の楽しみは、
ある老舗旅館に泊まること。
とても私たちには、
背伸びしても届かない、、処なのだが、
下駄を履き、ハシゴを掛け、
さらに清水の舞台から飛び下りる気持ちで、
予約をさせて頂いた。

めぐった史跡や寺などでも、
ああ、こういう繋がりが、
こういう人たちがいたのだな、
と、歴史を振り返る機会をいただいた。

ということで、
また、しばらく、京都の旅の話なんぞを、、、。

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2016年1月14日 (木)

これからが、そばの「うまい!」季節。

う〜ん、
打ち場に積み上げた箱が、
なかなか減っていかない。

そばを打っても、打っても、
作らなければならないそばが、
間に合わないのだ。
あれ、箱の数が増えている〜〜〜。

そのような、気持ちが追い立たされるような夢を、
未だに見たりする。

とはいえ、
年末の年越しそばのそば打ちから、
怒涛の正月営業へと、
一年の中で、一番大きな山を、
なんとか無事に乗り切った。

みなさん、ご注文、
そしてご来店、ありがとうございました。
今年の長野は雪もなく、天気も良かったので、
三が日の善光寺は、
だいぶ賑わった聞いている。

かなり大量のそば打ちをしたが、
年末の手術の影響も薄らぎ、
元気に過ごしてきた。
でも、さすがに、
三連休の最終日には、
体がうまく動かなくなり、
とりあえず、準備出来たそばだけで、売り切れ御礼。
せっかく来られたのに、
入れなかった方、申し訳ありません。

これからの寒い時期は、
打って変わって、静かな営業となる、、、。
いや、例年だと、これから二月いっぱいが、
そば屋としては、もっとも、暇な時期となるのだ。
でも、
そばとしては、
この時期が一番おいしくなる、、、と思っている。

新そばの生意気さがなくなって、落ち着いて来て、
そばの持つ甘みが強くなるのだ。
茹でた時の膨らみ感も強く、
プチッとした食感も楽しめる。
だから、本当におそばが好きな人は、
この季節にも、
冷たいそばを召し上がられるのだね。

とりあえず、
来週は休養をいただき、
また、元気に、そばを打たせていただく。
「寒そば」は、
通好みなんだなあ、これが、、、。

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2015年12月25日 (金)

思ったより痛みが長引いて、、、。

二年前にそけいヘルニアの手術を受けたが、
その後、下腹部に水が貯まるようになってしまった。
何度か、水抜きをしてもらったのだが、
根本的な治療が必要とのことで、
手術を受けることにした。

まあ、放っておいても命に関わるものではないけれど、
後々のことを考えれば、早いほうがいいと思ったからだ。

ネットで調べてみれば、
だいたい3日から5日ぐらいの入院なのだが、
退院後も、かなり痛みが残るらしい。
まあ、そのくらい入院して、
久しぶりにゆっくりするか、、
ぐらいの気持ちで、紹介された病院に行ったのだ。

ところが担当医は、
これならば局部麻酔でするので、
一晩の入院でいいという。
希望であれば、日帰りもできるという。

あの〜後で痛いと聞いたのですが、、、
と問えば、
「痛みの感じ方は人それぞれだからね。」
とのこと。

ということで、
手術日を含めて、五日ぐらい休めばいいだろうと思って、
そのように、お客様にはネットなどで通知をしておいた。

手術をする前は、なんにも身体が悪くないので、
ベットの上で手持ちぶたさ。
手術に入ると、二人の医者が、
電気メスをを振るう。
あの独特の焦げた匂い。
「もうちょっと切るけれど、痛いかな?」
などと聞かれて、
「痛い!」といえば「あっ、麻酔、麻酔。」
そんなことで一時間少々で、手術は終了。
車いすで、病室に戻るけれど、
下腹部が腫れぼったいが、
それほどの痛みはない。

翌日朝に退院。
見てくれた医者の話では、
これからずいぶんと腫れるけれど、
何も問題はないとのこと。
立って歩けるので、そのままバスに乗って帰宅した。

ところが、ところが、
これからが大変だった。
4日目、5日目になると、腫れはひどくなり、
痛みが出たきた。
横になっていれば問題ないのだが、
上半身を起こすと、じわっと、
何十本もの針で突き刺すような痛みが広がってくるのだ。
これがなんとも辛い。
およそ、5分ぐらいは我慢して立って居られるが、
それ以上は無理で、とにかく横になれば、
痛みは消えていくのだ。
こんなことでは、
仕込みも出来ないし、そば打ちも出来ない。
ということで、もう3日休むことになった。

手術から一週間後に医者に見せたら、
特に問題はないとのこと。
腫れは、まあ、一ヶ月もすれば戻るからって言う。
そういえば、最初の説明で、
そんな話を聞いたような気がしたけれど、
まさか、こんなに腫れるとは思わなかった。

そこでやっと、痛み止めの薬をもらい、
それを飲みながら、そば打ちを再開。
それでも未だに、痛みが完全に取れていない状態なのだ。

病院に行ってわかったけれど、
とにかく、いろいろな病気の方が居るのだね。
皆さん病気という苦しみを背負っておられる。
スタッフの方もたくさんいて、
それぞれ担当の方が入れ替えで、様子を見に来る。
私みたいな、命と関わりのないような症状では、
どんなに痛くとも、一日で追い出されるのも当然だ。

ということで、私の場合は、痛みさえこらえれば、
繰り返されるような病気ではない。
長く休んだので、皆様にご心配をお掛けしました。
お見舞いのお言葉も、多くの方にいただき、
まことに、恐縮です。
また当分は、病院とは縁のない生き方をしたいものです。

で、そんなことをしているうちに、
年越しそばから、正月営業への怒涛の日々が、
目の前に迫っている。
その準備に追われて、痛いなどと言っていられないところ。

少し早いですが、
皆さん、良いお年を。

Sobauti

 

 

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2015年7月 2日 (木)

「瑣事(さじ)」を愛するものは、、、、、。

なにやら、スポっと気の抜けたような気分になってしまった。
まさか、そんなことをする人がいるとは、
まったく思ってもいなかった。
育つのを楽しみにしていたのに、、、。

いえ、ご開帳の忙しさから開放されて、
気が抜けたわけではない。
他の人には些細な事かもしれないが、
ちょっとショックな事があったのだ。

店の入口に、ツバメの巣があり、
今年も、巣作りが始まった。
古い巣を補強し、
親鳥が交代で卵を温め始めたのは、
まだご開帳期間中で、
多くの人で賑わっているた時期だった。

その下を通る人の出入りの多さにもかかわらず、
ツバメは根気よく巣に座り続けていた。

Tubame1
そして、ご開帳が終わり、
かんだたにも、長野の街にも静けさが戻った頃、
ヒナが生まれた様子だった。

まだ、鳴き声もなく、
親ツバメは、時々巣に立ち寄って、
餌を与えている様子。
夜は、半分羽根を広げるようにして巣に座り、
寒さからヒナたちを守っていた。

やがて、親の羽音が聞こえると、
ヒナたちが、まだ細い首を持ち上げているのが、
見えるようになった。
「今のところ二羽かな。」
「いや、三羽はいると思う。」
などという会話をスタッフともしていた頃だった。

朝、仕込みをしていると、
妙な音がするので玄関を出てみた。
すると、近所の店に手伝いに来ているおばさんが、
モップの柄を伸ばして、そのツバメの巣を落としていたのだ。

なんてことをするのだ、
と思って駆けつけた時には、
すでに巣はバラバラになり、
まだほんの小さなヒナが、タイルの床の上でうごめいていた。

私の剣幕に、
最初はきょとんとしていた、そのおばさんだった。
いつもは店の入口には来ないのに、
たまたま、水道の栓の確認に来て、
フンを落とされて頭にきて、
なんの迷いもなく、巣を壊してしまったのだ。

さすがに悪いと思ったのか、そのおばさん。
プラスチックのかごを持ってきて、紙で包み、
ヒナを入れて、元の場所に吊るした。
しかし、ヒナは、落ちたショックで、すでに虫の息だった。

それでもと思ったが、
さすがに親鳥は、
なかなかプラスチックのかごには寄りつかなかった。
何回もの逡巡の末、
やっと親鳥は人工の巣に留まった。
でも、その親鳥に反応するヒナは、
たった一羽だけのようだった。

その一羽も、
翌日には力尽きたようだ。

巣の落とされた夜、
親鳥たちは、巣の近くの看板の上に止まり、
巣の方をじっと見つめて過ごしていた。
ツバメの親の、そんな健気さに、
なにやら、胸が締め付けられてしまった。

Tubame2

スタッフみんなで、
今年は何羽育つのかなあと、楽しみにして、
見守っていたのに、一瞬にして、それが壊されてしまった。
そう、世の中には、価値観の違う人も、
たくさんいるのだ。
か弱い生き物を、
平気で殺せる人もいるのだね。
そのおばさんにとっては、アタリマエのことだったのかもしれないが。

ということで、
ツバメの巣のあった空間は、
心の中では、大きな空洞へとなってしまった。
他の人から見れば、
些細な事なのだけれどね。

「瑣事(さじ)を愛するものは、
 瑣事のために苦しまねばならない。」
と言ったのは、芥川龍之介だったっけ。

「瑣事」とは、些細(ささい)なこと。
他の人の愛する「瑣事」というのは、
なかなか気が付かないもの。
そういうものを、大事にする、、、
いや、少なくとも、傷つけないような生き方をしていきたいね。




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2014年12月 2日 (火)

原子力のゴミは、たった、10万年管理すればいい。

前からずっと、
心に引っ掛かる事があって、
なにやら、ズルズルと、
引きずりながら、日々の暮らしの中に埋もれてきた。

それでも、
電気のスイッチをひねったり、
エアコンの温度を調整したり、
冷蔵庫のコンプレッサーの音を聞いたりすると、
あれっ、と思い起こされる時がある。

私には、関係ないことだと、
割りきってしまえばいいのだが、
若いころに、なまじ関わったことがあるので、
どうしても、気になっているのだ。

なんのことかって。
日本の原子力発電のことだ。

あ〜あ、なんと複雑怪奇な問題なのだろう。
そば屋のブログに書くようなことではない。

が、あえて、書かせていただこう。

東日本大震災が起こる前の、
電気事業連合会の作ったパンフレットに、
こんなことが書いてあった。
この団体は、原子力発電を推し進めるための、
啓蒙活動をしている。

「原子力発電によって生まれる、
高濃度の廃棄物は、
日本人一人の一生で、
たった、ゴルフボール2個分でしかない。」

これは、日本の電力の40%を原子力に頼った場合のお話。
つまり、原子力発電で生まれる燃料のゴミは、
ほんの少しだと言いたいようだ。

そうか、
一生で、たった、ゴルフボール二個のゴミしか出ないのだ。

でも、
そのゴルフボールで、
ゴルフをする訳にはいかない。
そのボールでゴルフをするほど近づいた人間は、
すぐに、この世からいなくなることだろうね。

そんな危険なゴルフボールを、
その辺に置いておく訳にはいかない。
しっかりとした容器に入れて、
地下300メートル以上の深さに埋めてしまうのだそうだ。
そうして、そこに人間が近づかないように、
ほんの10万年ほど、管理をするのだそうだ。

地球の歴史は46億年。
地上を恐竜がのし歩いていたのは一億年前。
それにくれべれば10万年なんて、
あっという間さ。

、、、というわけらしい。

私達は、今の便利な世の中を享受した「ツケ」を、
後々の人々に残さなければならなくなる。
せいぜい80年少ししか、
いや、中にはもっと長生きをする方はたくさんいるけれど、
そのくらいしか生きられない人間に、
10万年という時は長すぎる。

それだけの原子力のゴミを、
抱え込んで、
大丈夫なのか、、、というのが、
私の気がかりなのだ。

それに対して、
楽観的な方もいらっしゃる。
将来科学技術が進めば、
そういうものを処理する方法も見つかるさ、、と。

でも、もしそうならば、
せめて、
原子力を使うのは、
そういう方法が見つかってからにしたら、
いかがなのだろうか。

世の中、
とにかく今さえ良ければいい、
という方向に動いているような気がしてならない。
あとはどうにかなるさ、という、
刹那的な感情が、地球を覆っているようにも見える。

でも、人間は、賢い選択をすることもできる。
だからこそ、人間なのだよね。

などと、
難しいことを書いてしまったが、
私としては、安心して、美味しく、
そばを召し上がっていただきたいと思っているだけだ。
十年後も、二十年後も、
百年後も、三百年後も、、、

、、、十万年後は、想像できないなあ。

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