カテゴリー「そば屋の世界」の記事

2018年2月18日 (日)

アイパッドがレジスター。

店では、一昨年から、
タブレット(アイパッド)を使ったレジを使っている。
いまだにお客様から、
「えっ、こんなものがレジになるのですか。」
などと聞かれたりする。
はい、
こんなものでも、ちゃんとレジスターの役目を果たすのだから、
まあ、世の中、どうなっているのだろうねぇ。

かねてから、レジスターには不満を持っていた。
確かに、日本語で金銭登録機というごとくだから、
お金の出し入れを、正確に記録してくれるのはいい。
でも、その方法が、いかにも古典的で、
融通がきかない。
設定内容を変えるのも手間がかかる。
それに、世の中コンピューターの時代になっているのに、
そのデーターは、
一回一回、ジャーナル(集計表)に打ち出し、
それを手作業でパソコンに打ち込まなければならないのだ。

レジスターのセールスマンに、
パソコンと連携できないのかと尋ねたら、
こう答える。
はい、月々ん万円を払っていただければ、
そういうシステムを使えます。
ははぁ、
私のような零細店には、
使うことも出来ないらしい。

そんなことで、
タブレット端末でレジが使えるという話を聞いたときに、
思わず飛びついてしまった。
当時すでに、いくつものシステムがあり、
それぞれに長短があった。
その中でも、
いちばん使い勝手が悪いとインターネットでの評判だった、
リクルートの「エアレジ」というのを試して見ることにした。
なにしろ、月々の課金がないのが、
貧乏店の私には嬉しかったのだ。

プリンターやドロワーとの接続、
メニューの設定などは、
全て自分でしなければならなかったのだが、
なんとか、切り替えてみた。
スタッフだって、
タブレットは使い慣れていないので、
自分の指先がどこに触っているのかわからず、
突然、別の場面に切り替わったりして、
戸惑ったりした。

正直言って、
最初はちょっと使いづらかった。
間違えて打ち込むと、
初めに戻らなくてはいけないなど、
手間もかかった。
でもねえ、
こういうシステムの素晴らしいところは、
どんどん、自動的に、アップグレードしてくれることだ。
今では、だいぶ使いやすい形に変わってきたのだ。

昨年秋からは、
このレジを使ったカード決済も導入してみた。
そば屋でカードを使われるお客様は少ないと思っていたら、
結構使われる方が多い。
スイカなどの交通系のカードは、
かざすだけで決済が出来るので、
スピードも早い。
現金を扱わないキャッシュレスの時代なのだねえ。

このレジでは、
パソコンの経理システムと連携できるから、
売上などの入力間違いはないし、
すぐに様々なデータを確認することが出来る。
その分すごく楽になった気がする。

便利になることが、
総ていいことだとは思わないが、
まあ、
使えるものは、使ってみるものだね。
変化の激しい世の中、
時代遅れの私でも、
少しは考えたほうがいいのかもしれない。
、、、携帯電話はいまだに嫌いだけれど、、。

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2017年12月25日 (月)

クリスマスは、どこへ行ったの?

さて、今日はクリスマス。
そば屋には、まったく縁のない日だ。

洋食屋さん(古い!)であれば、
クリスマスパーティなどとうたって、
お客さんを呼ぶことが出来ることだろう。
ケーキ屋さんは書き入れ時にちがいない。
でも、そば屋では、
いくら「クリスマスそば」、
「サンタのトナカイ南蛮そば」なんぞを作ったところで、
お客さんは寄ってこないだろう。

ということで、いつもどおりの静かな営業。

でも、あまり外に出歩かない私でも感じること。
世の中、クリスマスの様子が、
だいぶ変わってきているようだ。

10年ほど前までは、
スーパーなどは、
クリスマスの特別コーナーを作って、
ツリーの飾りやお菓子なぞを売っていた。
ケーキの売り込みが、どこでも盛んだった。
ブティックのウインドウなんぞも、
クリスマス気分を盛り上げるディスプレイがされていた。
昭和の時代には、
赤い帽子をかぶった、
酔っぱらいおじさんたちが、
街を闊歩、いや千鳥足をしていたっけ。

それがねえ、
最近は、とても静かに感じる。

やはり、
信仰の裏打ちのないお祭り騒ぎ。
堅実な時代には、
それなりの規模となったのだろうか。

それに引き替え、
おせち料理の売り込みの激しいこと。
世間の価値観が、
そちらに移っていったのだろうか。

そば屋にとって、
一番の山場になるのが、
大晦日に召し上がっていただく「年越しそば」。
こちらの方は、
時代の影響を受けずに、
相変わらずのご贔屓をいただいている。
ありがたいことだ。

今はその準備に追われている。
そして、それに続く正月営業のためにも、
体力を蓄えなくては。

クリスマスなんて、
私には縁のないお祭りだと、
そっぽを向いてきたけれど、
それが静かなのは、
逆にさびしいなあ。
かつての長野の繁華街、
権堂のアーケードも、
通り抜ける風が冷たい。

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2017年12月11日 (月)

小判をくずして新そばを食べる江戸っ子の粋

さて、各地の新そばも出尽くして、
そばも、どっしりと、落ち着いた味となってきた。

今は玄そばの保存環境も良くなったので、
夏を越した古そばも、それほど、捨てたものではない。
むしろ、甘みが強く、味がしっかりとしているので、
下手に青みがかった新そばより、
味わい深かったりする。
だから、「新そば」の有り難さが、あまり、
感ぜられない時代になってしまったのかもしれない。

しかし、何と言っても、新そばの若々しさにはかなわない。
特に、食感はまったく違うもの。
毎日そばを扱っている者としては、
切り替わるときには、
その差を大きく感じる。

保存の設備がなかった時代には、
梅雨を超えると、そばは風味が落ちた。
子供の頃のそばを覚えているが、
色が赤っぽくなり、独特の蒸れたような臭いを持つことがあった。

だから、昔の人は、
新そばを心待ちにしていたのだね。


〜〜 新そばに小判をくずすひとさかり 〜

 
江戸の川柳に、こんな句があった。
新そばを食べるために、小判をくずした、
つまり、小銭に換えた、それが一悶着、というわけだ。

江戸時代には、今と違って、
ちょっと複雑な貨幣制度になっていた。
小判などの金(きん)と、銀の貨幣、
そして銅銭といわれるものが、
それぞれの別のレートがあって、
その商売にあった貨幣が使われていたという。

だから、そば屋でそばを食べて、
一両小判を出したところで、お釣りなんぞ出てこない。
あらかじめ両替商というところで、
文(もん)という銅貨に換えて置かなければ、
そばを食べられないことになる。

さて、小判一枚で、つまり一両で、
そばがどのくらい食べられたかというと、
これが、なかなか。
江戸時代後期には、一両は6500文に交換されていたという。
その頃のそばは、一枚16文と決められていた。
ということは、、、

なんと、400枚ものそばが食べられることになる。
もっとも、その頃のそばの盛りは、
今よりずっと少なかったらしい。
それでも、一回三枚ずつ食べても、
百回以上は、そば屋に行けることになる。

小判一両って、価値があったのだねぇ。

おそらく、普通の町民は、小判なんぞ待っていなかったろう。
親の遺産か、なにやらの報奨で手に入れた、
虎の子の小判。
それを、新そば食べるためにくずしてしまおうというのだ。
さすがに江戸っ子、粋だねえ。

当時の人には、
「新そば」という言葉は、
それほどの価値があったということなのだろう。

それに引き換え今は、、、
なんて野暮な話はやめておこう。
今なら1万円札でもお釣りが貰えるし、
カードやスマホでも、支払いができる時代。
気楽にそば屋を楽しんでいただけたら、、、と思う次第。




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2017年6月12日 (月)

久しぶりの東京のそば屋食べ歩き。

先日、久しぶりに日帰りで東京へ出て、
そば屋巡りをしてきた。
う〜ん、東京は、色々な店があって、
楽しいね。
と言っても、若い頃と違って、
せいぜい三軒を回るのが精一杯。
一軒一軒、じっくりと楽しみたいからね。

今回は、上野に用事があったので、
その周辺の店となる。

まず、最初が上野駅前の「翁庵(おきなあん)」。
ここは、古くから、地元の方々に支えられている、
伝統的なそば屋。
ネギせいろというのが、一番人気だと、
最初に食券を買う時に、
おばちゃんが教えてくれる。
その食券は、ボールペンで走り書き。
これなんて書いてあるのかな、、、
という字だが、花番のお姉さんには、
分かるらしく、間違いなく運ばれてくる。

時代を感じさせる店内。
落語家の色紙なんぞも飾ってあって、
見て飽きない。
この店独自のメニューがあって、
お客さんを楽しませる工夫をしているのだね。
歴史のある店は、
たいてい高級路線に走ってしまうものだけれど、
こういう大衆的なそば屋が残っているのが、
なんともうれしい。

二軒目は、動物園の横を下って、
根津にある「蕎心(そばこころ)」。
ここ古い2階建ての家を、
そのまま改装して店に作っている。
入ってみると、十席あまりの一階はうまっていて、
狭い階段を登って二階の座敷へ。
八畳二間ぐらいの広さの、
普通の家の部屋という感じだが、
照明とか、テーブルなんぞに、
ちょっとした、店らしい工夫がなされている。

ここは開店して二年なのだそうだが、
こういう造りの店にした、店主の姿勢が感じられるね。

そして、ここには、
「巣ごもりそば」がある。
これは、揚げそばのあんかけのこと。
かんだたの「油地獄」とは、
また違った味わいがあっていいなぁ。

そばも、じつに、丁寧に打たれていて、
う〜ん、見習わなくては、、、、。
店主もスタッフも若く、
小さいけれど、じつに、活気を感じさせる店だった。

そして、最後は、
老舗といえる「上野藪(やぶ)そば」へ。
ここには、若い頃何回か入ったことがある。
あまり記憶が無いのだけれど、
「お酒は◯本まで」などという張り紙があったような、、、。
今は建て替えられて、
モダンな造りとなっている。

この店に行くために通ったアメ横の雑踏のスゴイこと。
やたらと外国語が飛び交い、
安さを競う立ち飲み屋に人が溢れている。
その猥雑な喧騒の中で、
扉を開ければ、なにやら、
張りつめたものを感じさせるのは、さすがだなあ。

メニューに「焼き海苔」なんぞがあるので、
ついつい頼んでしまった。
下に炭の入った箱で出て来るのは、
昔のまま。
ついでに、酒の銘柄も、昔と変わらず。

これだけの店なのに、
そばを手打ちしているのは大したものだ。
特に、つゆの味は、そばとの相性がいい。
東京のそば汁は辛いというけれど、
ここは、それほどでもない気がする。

ということで、楽しませていただいたそば屋巡り。
そば屋というと、蕎麦の味だけ見て、
自分の好みに照らして、
うまいとか不味いとか言う人もいるけれど、
そば屋の世界はもっと奥が深い。
そんな単純な言葉では、そばは語れないだろう。

私たちは、どうしても、
そばを食べると、廚房の仕事が見えてしまう。
だから、きちんと、頑張っているそば屋さんが好きだ。
雑誌取り上げられたり、
ネットで評価の高い店などにいっても、
そば屋の仕事として考えると、
意外と、がっかりしてしまうことも多い。
ただ、シチュエーションや内装が良かったり、
奇をてらった盛り付けで、
内容の伴わない店もある。

たとえ評判にならなくても、
地元の人達に愛され、
長く続けていけるようなそば屋を
こうして訪ねてみたいものだ。

で、今回の本当の目的は、
この展覧会。
奇妙な怪物の絵をかいた、
ボスとプリューゲルの作品を見るため。
あれ、絵の中の怪物が、
一匹抜け出している、、、、、、のかな。


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2016年12月26日 (月)

ホームページが新しくなった。

ホームページをリニューアルした。
ある人に言わせると「コジャレた感じ」になったとか。
今までより、はるかに見やすく、
明るくなった気がする。

何しろ、今までのホームページは、
私が自分で作ったもの。
もう、10年近く前のことだ。
無料のテンプレート(型紙)を使って、
あとは、ホームページの言語である、
htmlのタグを、手作業で打ち込んで作った。

これがとても厄介なのだ。
ちょっとでもタグの置き方を間違えると、
アレアレレッ、という感じになってしまう。
何度もやり直し、
ずいぶんと時間をかけて、
少しづつページを増やしていった。

お陰で、その頃より、店も、私も忙しくなり、
なかなか、手間をかけた更新が出来なくなっていた。
それに、他所のサイトを覗いてみると
今のホームページの作り方は、
さらに進歩していて、
じつにカッコよくなっているのだ。

スマートホンの普及も影響している。
アクセス解析といって、
どんな人がホームページを見たか、
調べられる機能がある。
それによると、
休日などは、半分ぐらいのアクセスが、
スマートホンからなのだ。

わざわざ、こんな路地裏の、
怪しい店に足を運んでいただくお客様のためにも、
スマートホンにも対応できる、
ホームページを用意しなければならないなあ、
とは、思っていた。

もちろん、今から、新しいホームページを
自分で作るような、時間も、気力もない。
そこで、どこかに頼まなくてはなあ、、
と思っていたのだ。

幾つかの会社から、
店のホームページを見たといって、
オファーがあった。
でも、なんとなく、気が進まなかったが、
ある会社からのオファーが、
ちょっと気になった。

価格を聞くと、
アレ~、こりゃ無理だ。
でも、よくよく考えてみると、
これから長い時間使うもの。
その辺のグルメサイトに登録しても、
そのくらいのお金はかかってしまう。

ということで、
東京スカイツリーから飛び降りる覚悟で、
その会社にお願いしたのだ。

今の時代、殆どの方が、
インターネットを使う。
その方々に、正確な情報を伝えるのも、
店の役目だ。
まだまだ、リニューアルしたばかりで、
これから写真とか文章とかを、
入れていって、作り上げなければね。

まだよくわからないのだが、
更新の仕方も、だいぶ楽になったようだ。

とりあえず、目の前にある、
年越しそばのそば打ちと、
正月営業という、巨大な山を乗り越えてからの話。

新しいホームページは→こちら

先日の変わりそば「ゆず切り」です。

Photo

 

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2016年11月 7日 (月)

そばは煮るつもりで茹でる!と言われても。

日本語というのは難しいもので、
同じような動作なのに、
その時の状況で、言い方が変わることがある。

同じように鍋、または釜で調理するのに、
「茹(ゆ)でる」「煮る」「炊(た)く」「炊(かし)ぐ」などの言葉がある。
例えば
ゆで卵は「茹で」て作り、それを味をつけて「煮る」と煮玉子になる。

茹でるのは、
そば、うどん、ラーメン、カニ、落花生、枝豆、タコなどで、
沸騰した湯に入れて、
そのまま取り出してくるもののようだ。

煮るといえば、味付けした汁を使って、
味を染み込ませる料理のイメージがある。
おでんを煮たり、牛肉を甘辛く煮たり、豆をコトコトと煮たりする。

炊くといえば米のことだろう。
西日本では、大根や豆なども炊くというそうだが。

なんで、そんな言葉が気になったかといえば、
ある老舗のご主人の言葉に、
「そばは、煮るつもりて茹でるといい。」
というのがあったからだ。

なるほどねえ。
煮るように茹でる、、、、、。
未熟な私には、
よく分かりません。

そばの釜は、
底が丸くなっていて、
真ん中ではなく、
少し手前にずれて火を当てるようになっている。
だから、釜の中で、
湯が手前から向こうへと回るようになっている。

その中にそばを入れて茹でるので、
そばが湯の中をグルっと回って、
全体が同じように茹で上がるのだね。

家庭用の鍋のように、
底の平らなものでは、
湯が回らないので、
少しずつしか茹でられないのだ。

茹でるときは、もちろん、強火。
ファンで風を送る、強力なバーナーが、
すぐに湯を沸き立たせてくれる。
ところが、そばを入れた湯を、
沸き立ったままにしておくと、
そばが上に浮きあがったままで、
湯の中を回らなくなってしまう。

そこで、少し火をゆるめ、
そばが湯の中を泳ぐようにしてやる。
そして、頃合いを見計らって、
すくい上げて水で冷やすのだ。

そばを茹でる時間は、
タイマーで決まっているのかと言われれば、
そうとも言えない。
何しろ、
未だにそば打ちが下手くそな私は、
そばが、微妙に太かったり、細かったりするのだ。
だから、そばを湯に入れるとき、
その太さ加減で、茹で時間を調整しなければいけない。

そればかりではない。
一人前を茹でるのと、
五人前を茹でるのとでは、
茹で時間が違うのだ。
さらに、
茹でているうちに、釜の湯が濃くなってしまうので、
茹だりにくくなってしまう。

ということで、
茹で時間は、いつも、適当な、
いや、繊細な調整が必要となってくる。
それに火加減もね。

ただ、
沸騰した湯に、
そばを放り込めばいいというものでは、
決してないのだ。
だから、
野菜や魚を煮るように、
大切に「煮る」という感覚も必要なのかな。

と、
老舗のご主人の言葉を、
私は解釈しているのだが、、、。
さて。

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2016年7月12日 (火)

手袋をしてそばが打てるか!

以前にアメリカ人のシェフが、
料理を説明する動画を見たことがある。
慣れた手つきで、魚や肉をさばき、
野菜を刻んでいる。
なるほど、どこの国の料理人も、
すごい技を持っているものだ。

でも、あれっと、
その手さばきに、違和感を覚えた。
なんと、手袋をして調理をしているのだね。
これは、衛生のため?
それとも、手が臭くならない、、
いや、手を保護するためなのだろうか。

その後、
アメリカのニューヨークでは、調理の時に、
手袋の着用が義務付けられていると聞いて納得した。
市の衛生局の決まりなのだね。

そこで困っているのが、
寿司屋だそうで、ネタを握るのにも、
手袋をしていなければならない。
微妙なシャリの握り具合がわかりにくいし、
海苔を取ろうとしても、指でつまめない。
寿司は、細かい指先の仕事だから、
いい仕事をしようとすればするほど、
手袋がじゃまになってしまうのだそうだ。

だから、検査の時だけ手袋をはめる店が多いとか。
中には、そんな規則は、寿司文化に似合わない、
と言って、手袋を使わずにいたら、
一時閉店に追い込まれた寿司屋もあったとか。

さて、
そば屋だって困るだろうなあ。
だいいち、手袋をしていては、
そばを打つことが出来ない。
水回しだって、手袋にこびりつく粉を拭えない。
延ばす時には、手の平で滑らすことが出来ないので、
麺棒を転がすことが出来ない。
切る時も、微妙な厚さの感覚が、
解らなく、、、、、いや、今度、暇な時に試してみよう。

茹で上がったそばは、
手首まで水に入れて洗わなければならない。
そして、洗い終わったそばを、
指先でつまんでせいろに盛るのだ。
手袋をしていても、そばをつまみ上げる事ができるだろうか。
手抜きのそば屋のように、
そばが団子になったまま、盛らなければならなくなるかもしれない。

だいたい、手袋をしたからといって、
清潔とは限らないのだ。
工場などで、同じような仕事を繰り返すのならいいが、
飲食店では、その手で、様々なものに触らなければならない。
手袋をしていれば、逆に、汚染されたものに触れても気付かず、
そのまま作業を続けることになってしまう可能性がある。

だって、最初のシェフだって、
生魚を持ったあと、そのまま包丁を握って切り始めている。
私達だったら、包丁を握る前に、
必ず手を洗うだろう。
包丁の柄は、意外と汚れやすい場所なのだ。

我々日本人だったら、
手袋を使わずに、すぐに水で洗い流せばいいと思うが、
アメリカ人には、そいうい習慣がないのかもしれない。
しかし、
法律で一律に規制されているのであれば、
それに従わなければならない。

ということで、
ニューヨークでは、いいそばを作れそうもない。
だから、「かんだた」のニューヨーク進出計画は、
取り止めとなったのだ。

、、、、って、そもそも、
、、、、そんな計画あったっけ。

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2016年6月16日 (木)

ネットで話題になるより、実際に店に来られるお客様が大事!

なにやら、私のまったく関わらないところで、
私の店の中のあるものが、
ぅわっと話題になり、
あっという間に静まったようす。
ネット社会というけれど、
改めて、そのバーチャル、
仮想社会の空虚さと、
恐ろしさを実感したところ。

今月の初め、
ホームページのアクセス数が、
異常に増えていることに気がついた。
平日なのに、普段の20倍以上のカウントがある。
アクセス解析を試みたが、
ほとんどの人が、
大手検索サイトから入ってきている。
つまり「かんだた」の名を入力して検索しているのだ。

以前にも、人気のブログなどで取り上げられ、
そのリンクで入って来られる人が増えたことがあったが、
今回は、そういうケースではない。

なんだろう。
ネットの中で、
なにやら、私の店のことが、
取り上げられているらしい。

そのうちに、
知り合いやお客様からご連絡をいただいた。
今、ツイッターで話題になっていますよ、、、とのこと。

そうしたら、
私の店においてある、
「そばの食べ方九箇条」が
キレイに写真で整理され、転送されているという。
あれえ、これか。

多くの方に、その写真が、リツィート、
つまり、転送されていたのだ。
それで、ホームページのアクセスが増えたのだね。

そんな、数字が増えたのは、その後の三日間だけ。
あとは、風船が縮むように、
あっという間に、静かになってしまった。

東京のテレビ局から電話があって、
ぜひ、この話題を取り上げたいとのこと。
まあ、それも、悪くないなと思って聞いていたら、
長野まで取材に行けないので、
映像を送って欲しいとのこと。

えええ!
と思ったが、カメラの動画機能を使って、
指示されたような映像を何度も撮り直しては、
まとめて、ネットで送った。
そんな映像だけれど、
たった一分のコーナーに、
上手にまとめていただいた。

てなことで、
なんやら大騒ぎをしたわけだ。
それでは、店に来るお客さんも増えたでしょう、
と皆さんに言われたが、
多少はそういう方もいらっしゃるかもしれないが、
それほど、変わりのあるわけではない。
ほぼ、いつものとおりなのだ。

ある人がラジオで言っていたが、
ネットでモノを言う、
またアクションしている人たちは、
リアルの世界には出て来ないという。
ネットの中の、居心地の良いコミュニケーションの中で、
指先の動きを楽しんでいるだけだとか。

まあ、そういう世界はよくわからないが、
ネットの世界では、
ちょっと興味のあることがあると、
あっという間に広まってしまう。
それがいいことであればいいけれど、
時には悪いこともあるのだ。
そして、
すぐに、また、新しい話題へと移ってしまう。

今度のことで、
ツイッターのフォロー数が増えたわけでもないし、
フェイスブックのいいねが増えたわけでもない。
このブログのアクサス数も、何ら変わることもない。

大切なことは、
お客様に必要な情報を伝えるために、
ネットを使って発信し続けることなのだろうなあ。
そしてもちろん、
一番大切なことは、
実際に、店にお越し頂いたお客様に、
満足していただけるように、
努力し続けること、それそのもの。

そういえば、
何年か前に、
このブログの記事が、
大手検索サイトのトップページからリンクされて、
一日で5万件も読まれたことがあった。
あれも、一日限りでそれっきり。
とにかく、ネットも大切だけれど、
リアルのお客様に、目を向けなければね。


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2016年4月11日 (月)

恋の行方は「そば屋の荷物」。

今から200年ぐらい前の東京、
いや、江戸には、たくさんのそばの屋台があったという。

屋台と言っても、荷車を押しているようなものではなく、
荷物をかついで、そばを売り歩いていたようだ。

錦絵などによると、
縦に細長い四角い箱が二個あって、
その間に棒を渡して担いでいたようだ。
この箱の一方には七輪や鍋が入っていて、
もう一方に、汁やどんぶり、そばが入っていたという。

今の方に「七輪(しちりん)」と言っても通じないかもしれないので、
火の着いた炭の入っているコンロのようなものだと思っていただきたい。

落語の「時そば」のように、
客に呼び止められると、
七輪を出して炭を扇いで火をおこし、
汁を温めて、中にそばを入れて提供したのだろう。

お湯から茹でることは出来ないので、
おそらく、すでに一度、茹でてあるそばを、
持ち歩いていたのだろう。
ちょうど、駅の立ち食いそばのようなもの。
温めて汁に入れるだけで、すぐに食べられる。

なにしろ、生きた火を肩にかついで持ち歩いているのだから、
火事の心配があった。
そこで、こういうそば屋の「煮売り」は、
お上によって、たびたび禁止されたそうだが、
需要があるかぎり、そういう商売は衰えない。
そのうちに、期間と場所を限って、
認められるようになったとか。

江戸の街の若者、熊さんと八さんの会話。
「ようよう、煮豆屋のおみっちゃんは、
俺に気があるんだぜ。」
「そんなことねえよ。
なんで、あのおみっちゃんが、
おめえなんかに、気があるっていうんだい。」

「そうよ、俺が店に行くと、
いつも、いい笑顔で迎えてくれるんだ。」
「そんなこと、誰にもしていることだ。」
「俺のどんぶりに、豆を山盛りにしてくれるんだ。」
「そんなこと、誰にもしていることだ。」
「そのどんぶりを渡すとき、
こうやって手をそえてくれるんだよぉ。
だから、きっと、俺に気があるんだぜ。」

「そんなこと、、。
おめえなんか、どうせそば屋の荷物よ。」
「なんでぇ、そのそば屋の荷物ってぇのは?」
「片方だけが、熱いってことよ。」

そんな会話があったかどうか、
本当のことは知らない。
そばの「煮売り」の定められた期間は、
陰暦の重陽の節句(9月9日)から、
桃の節句(3月3日)までというから、
ちょうど今頃の時期まで、売られていたことになる。

いくら火を持ち歩いているからといって、
寒い季節に、荷物をかついで売り歩くのは、
大変なことだったろうなあ。
売れる日もあり、売れない日もある。
荒れ模様の天気の時は、どうしたのだろうか。

暖かい店の中で、
アクビをしながらお客様を待っている私なんぞ、
まだまだ、努力が、、、
あ〜あ〜、、またアクビがでてしまった。

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2016年3月14日 (月)

気をつけなければいけない経年劣化、、、あれっ、私のことかなあ。

休みの日に、ある中華料理店に入った。
ここは開店して5年ほど経つ店だ。
ご主人は、ある、高級店で修行した方で、
気楽な値段で、そんな料理が楽しめるので、
開店直後から、人気のあった店だ。

ところが、久しぶりに店の中に入ると、
何か、以前と違う気がした。
奥の席に座ると、どこからか、スエた臭いが漂っている。
メニューは変わらないのだが、
メニューブックは、だいぶよれよれになっている。
壁のビールのポスターは、
カドがめくり上がっている。
壁に這わせた、プラスチック製の植物の葉は、
前は鮮やかな緑色だったのに、
今は、褐色に見える。
天井には、エアコンの吹き出し口に黒い筋が。
手をテーブルに置けば、なにやらベトッとする。

相変わらず、店は忙しそうだが、
以前に比べれば、少しさびしいなあ。
そういえば、店員さんも少なくなっている。

さて話は変わって、
もう三十年以上もやっている焼き鳥屋さん。
昔はたまに来たこともあるけれど、
機会があって、十ん年ぶりに入ってみた。
以前と変わらない佇まい。
使いこなされた木のカウンターに、
そこから見える格子の戸棚。
どれも綺麗に磨かれている。

メニューボードも昔のままだけれども、
きちんと、新しい板で書き直されている。
人のことは言えないけれど、
それなりの歳を重ねて来たマスターも、
シャキッと、お客様を迎える姿勢が感じられるね。

食べ物屋は、
長く続けてこそ、
人の記憶に残り、そして、支えられて行く。
でも、
その店の風化は意外と速いのだ。
いや、店の雰囲気というか、
様々なものが、
あっという間に、時間に取り残されてしまうのだ。

料理の方に気を取られてばかりいれば、
そういうことを見逃すことになるのだね。
最初はキレイで居心地がいい店も、
放っておけば、そうではなくなっていく。
そういうものに、
お金と時間をかけていくことも、
料理をつくることと同じように大切なことなんだね。

などと言いながら、
我が店を見れば問題ばかり。
カウンターの電球は、天井から外れてぶら下がっているし、
その椅子も、ギシギシ言うし、
そろそろメニューブックも、キレイにしたいし、
座布団の丸洗いもしなければ、、、。
と思いながらも、なかなか進まない。

何しろ、一番問題なのは、
十年前の写真を、
堂々と掲げていることだね。
誰、この人、、、、と言われそう。
この人の経年劣化のほうが、
よっぽど著しい、、、、かもね。


 

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