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2021年9月 3日 (金)

「そばの花」は秋の季語。

ご存知のように、今、そば屋を含めて、
外食産業は、大きな危機を迎えている。
何かを書こうとすると、
つい、誰かを責めたり、
愚痴をこぼしてしまったり、
ということになるので、何も書けなかった。

ということを言い訳にして、
ブログの更新をさぼってしまった。
すみません。

長野ではもう、そばの花が咲き始めたようだ。
先日、信濃町方面に行かれたというお客様が、
そうおっしゃっていた。
北海道では、もう収穫が始まっているらしい。
そう、もうじき、新そばの季節。
気持ちを切り替えて、
前を向きたい、、、ところ。

ということで、そばの花の俳句なんぞ。

 


「蕎麦はまだ花でもてなす山路哉」
            芭蕉

そばの花と言っても、
見たことのない方にはわかりづらいようだが、
白い花が一面に咲き誇っているので、
一度ご覧いただくと理解いただけると思う。

 

「信州の浄土の白さ蕎麦の花」
          鷹羽狩行

そばの花の白さは、確かに目を引くようだ。
陽に照らされ、遠景に山でも入れば、
さらに、清らかに美しくも見えるだろう。
浄土のようにというぐらいだから。
でも、それは、都会から来る旅人の目。

 

「しなの路やそばの白さもぞっとする」
           一茶

信州育ちの一茶にとっては、
そばの花の白さは、
来たるべく雪の世界を想像させる。
その冬の厳しさに、今からゾッとしているのだね。

 

「暮れても蕎麦の花があり月があり」
           荻原井泉水

この句を読むと、
夜の桜もいいが、月に照らされたそばの花も、
なかなか風情を感じさせる。
そばの白さは、薄暗闇にも、浮くような気がする。

 

「秩父路や天につらなる蕎麦の花」    
           加藤秋邨

そばの産地として知られる秩父。
山の上の方までそばを栽培していたのだ。
今では見られない、少し昔の光景だろう。

 

「いかめしき門を這入れば蕎麦の花」
           夏目漱石

屋敷の中で、そばを栽培していたのだろうか?
鑑賞用に植えることはないと思うので、
そばの畑があったのだろう。
漱石の時代には、まだ武家屋敷が残っていて、
屋敷内にそこそこの畑があったのかもしれない。
そばを育てるなんて、いかめしい門のわりに、
庶民的な主人なのかもしれない。

 

最後はやっぱり、もう一度、一茶。

「そばの花江戸のやつらがなに知って」
               一茶

厳しい山国の暮らしも知らず、
何を言ってやがるんだ、江戸の奴等め。
いいなあ、一茶の、この意地っ張りなところ。

信州では、今を盛りのそばの花。
機会があれば、ぜひ、眺めていただき、
一句なんぞを、、、。

 

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