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2016年2月15日 (月)

「箱に入った」は褒め言葉ではない落語の世界。

東京に居た若いころ、
よく、一人で寄席に行った。
いや、通ったというほどではない。
やっぱり、行ったという程度だろう。
何十年前の話だろうか。

一番脚を運んだのが、
新宿にある「末広亭」。
失礼な言い方をすれば、
こちらはまだ健在。
しっかりと、日本の落語の屋台骨を支えていらっしゃる。

さて、この寄席は正面が椅子席なのだが、
両側の桟敷、そして、二階席は座敷となる。
空いているときは、桟敷に横になって聞いていられるのだが、
人気の落語家が出るときには、
ここもぴっしりと、人の背中で一杯になる。

私の頃には、昭和の名人と言われた方々も居て、
先代の正蔵、馬生、小さん、なんていう師匠の噺を聞いたっけ。
特に林家正蔵(後の彦六)は人気で、
いつも混み合っていた。

それがねえ、もう、相当のお年のせいもあったが、
声が細くて聞き取りにくいのだ。
だから、聞いている人はみんな、
聞き漏らすまいとして、
あれだけの人がしんとしてしまう。
そして、あの小さな声なのに、
噺に聞き入ってしまうのだね。

これが、話術というもの。
声が大きいからいいというものではない。

寄席というのは、
落語ばかりでもなく、
時には色物という出し物があるのも楽しい。
漫才もあれば歌謡漫談もある、
曲芸もあれば、踊りも奇術も声帯模写もある。
私なんぞは、その時のお客様からいただいたお題にちなんで、
目の前でハサミで切って絵を作る、紙切りなんぞに関心したものだ。

さて、
ある師匠が、そんな高座の中で話していた、
弟子たちをめぐる内輪話。

たくさんの弟子たちの中には、
噺をすぐに覚えてしまう人もいるが、
そうでもない人もいる。
前の方の人が優秀かといえば、
落語の世界ではそうでもないらしい。

噺はうまいが、
あとが伸びない人もいる。
噺は下手くそなのだが、
どういうわけか、人気の人もいる。
そして、なかなか認められないが、
地道に努力する人もいるそうだ。

さて、それでも一通りの噺を覚え、
一人前となって、活躍するようになる。
どこへ行っても、無難に、噺をこなせるようになる。

じゃあ、それが、一人前の落語家になった証かといえば、
そうでもないようだ。
師匠から教わった噺を覚え、
それをよどみもなく喋れるようになって、
初めて「箱に入った」と言われるようになる。

でも「箱に入った」という言葉は、
決して褒め言葉ではないそうだ。
「箱に入った」ままでは、
その人の独自の芸が出てこないのだね。

だから「箱に入った」噺というのは、
通のあいだでは、まったく受けないのだそうだ。
その箱から抜けだしたところで、
はじめて、その人の芸として認められるという。

なるほど、噺家の世界も厳しいものだ。

さてさて、
そばの世界だって同じこと。
教室で教わったまま、
修行先で身につけたままの技を振り回しているだけでは、
いつまでたっても「箱に入った」ままなのだね。
そのままのほうが居やすいが、
いつかはその箱を出る努力をしていかないとね。

さてさて、世の中、完成されたものばかりを、
チヤホヤする傾向があるけれど、
それに至る、努力をしている人たちを認めてあげることも大切。
そんな、大きな目を持って、
寄席なんぞ楽しんでみてはいかがだろうか。
新宿末広亭のホームページはこちら。

http://www.suehirotei.com/

私なんぞは、
まだまだ前座の段階で、小さな箱に居座ろうとしている。
自分の周りにできていく箱を、
居心地の良い壁にしないように、
気持ちの中にハンマーを持っていよう。
、、、て、そんな歌が、昔あったなあ、、。

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