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2016年2月29日 (月)

不味そうに食べる人、おいしそうに食べる人。

そばの食べ方って、いろいろあるんだな、、、
と、思うことがある。
前の店から重ねてみると、
もう二十年以上も、カウンター越しに、
たくさんの方のそばを食べる姿を見てきている。
同じ「せいろそば」を食べるにしても、
人にはずいぶんと癖があるものなのだね。

たとえば、
かんだたでは、
そば徳利からそば猪口に、
お客様が注ぐようにしていただいている。
その徳利から猪口に、
そば汁を注ぐ姿も、百人百様。

無造作に、ぱっと全部注いでしまう人もいれば、
注意深く、少しだけ入れて止める人もいる。
注ぐ時に、首が傾いていくお客様がいる。
首だけでなく、カラダ全体が傾いていくお客様もいらっしゃる。
見ている私も、一緒に傾いたりして、、。

たかが汁を注ぐだけでも、
そんな癖がある。
そして、たかが、
せいろに盛られたそばを食べるだけでも、
ずいぶんと、違った癖を、
大抵の人はお持ちのようだ。

たしかに見ていて、
変わっているなと思ったり、
面白いなと思ったりすることもある。
でも、それをあげつらって、
どうのこうの言うつもりはない。
その人だって、普通に召し上がっているのだ。
その人なりに、おいしくそばを召し上がっていただければいいのだ。

ちょっと、小難しく、
そばはこう食べるべきだ、、、
などという人もいるけどね。

人の癖というのは、なかなか直せないものだという。

そばを食べるとき、
眉間にしわを寄せて召し上がる方が時々いらっしゃる
いや、きっとそばだけでなく、
いつもの食事でもそうなのだろう。
なにか見ていると、
口にあわないのではないかと、心配になってくる。
でも、それもその人の食べ方なのだね。

そうかと思うと、
そばが出ると、ニコッとして、
嬉しそうに箸を動かす方もいらっしゃる。
この人は、そばが好きな人なのだろうなあ、
と、嬉しい気持ちになる。

でもねえ、
しかめっ面で食べる人だって、
本当はそばが好きだったりする。
ニコニコして食べる人だって、
心では物足りなく思っているかもしれない。

そばの食べ方は人それぞれ。
でも、
できれば、おいしそうに食べて頂くほうが、
私としてはうれしいのだが。

京都の伏見稲荷で入ったうどん屋さん。
観光地としては良心的な値段と味。
私も、おいしそうに食べたかなあ、、、
自分の食べる姿って、
あっ、解らないね。
せめて、おいしそうに食べるように心がけよう。

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2016年2月22日 (月)

真田幸村と、兄、信之の会った場所は、、、。

なんでも、テレビの影響で真田幸村(信繁)が人気なのだそうだ。
幸村といえば、家康が豊臣方を根絶やしにしようと仕掛けた、
大阪冬の陣、そして夏の陣で活躍して、名を上げた武将だ。
のちのちまでも、尾ひれがついて、
大きな話となって伝えられている。

そして、兄弟で、
従う主人を分けた、真田家の物語も興味を引くところ。

池波正太郎の「真田太平記」によれば、
大阪冬の陣で一度和平になった時、
幸村と、兄の信之が十数年ぶりに会ったという。
徳川方に付いた信之は、幸村を説得するために、
極秘のうちに、
その機会を作ったそうだ。

かたや、家康の養女を妻にした兄、信之、
かたや、若い頃に仕えた秀吉に義理を通そうとする弟、幸村。
その立場の違いははともかく、
久しぶりの再開に、
兄弟としての情を通い合ったという。

ともすれば、これが知られると、
双方に、相手に繋がっているかもししれないと、
周りのものに指をさされるかもしれない。
だから、この会見は、
何事も漏らさぬ警戒のうちに行われた。

その場所は、京都の東山の、あるお屋敷。
ひっそりとした一角で行われたのだね。

さてさて、話が長くなった。
先日の旅で、京都を訪ねた時に、
東山界隈をウロウロした。
そして、
名のある料亭が、この地区のたくさんあることに驚いた。

東山は、京都の繁華街、
四条河原町からも近い。
もちろんその間に祇園もある。
ちょっと路地裏を歩けば、
一見して高級な料亭の看板を、
それも、ほんの小さなもので、
見過ごしてしまうような看板を、いくつも見かけた。

このあたりで、
一枚720円ぐらいでそばを食べようか、、
なんて無理なこと。
たまに出ている店のメニューにも、
「昼の懐石六千円」等と書いてあったりする。
まあ、夜だったら二万円以上の席なのだろうなあ。

でもねえ、素晴らしいのは、
それらの料亭が、
きちんと成り立っていることだ。

よく京都の料理は高いと言われるが、
ちゃんとそれなりの価値を認めるお客様もいらっしゃるのだ。
料理のうまいまずいばかりではなく、
しっかりとした出会いを演出してくれる、
おもてなしも伴ってのことだろう。

そういえば、司馬遼太郎の「竜馬が行く」の中でも、
東山の料亭で密会する場面があったっけ。
幸村の時代とはだいぶ違うけれど。

あれだけのたくさんの料亭、お茶屋さんの中で、
日々、大きな話が取り交わされるのだろうなあと思うと楽しくなる。
祇園を案内してくれたタクシーの運転手さんが言っていたけれど、
お金があるだけでは、入れませんよ、とのこと。
ここには守っていきたい世界があるような気がする。

さて、
じゃあ、わたしも、
、、、、
看板を小さくするかなあ、、。






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2016年2月15日 (月)

「箱に入った」は褒め言葉ではない落語の世界。

東京に居た若いころ、
よく、一人で寄席に行った。
いや、通ったというほどではない。
やっぱり、行ったという程度だろう。
何十年前の話だろうか。

一番脚を運んだのが、
新宿にある「末広亭」。
失礼な言い方をすれば、
こちらはまだ健在。
しっかりと、日本の落語の屋台骨を支えていらっしゃる。

さて、この寄席は正面が椅子席なのだが、
両側の桟敷、そして、二階席は座敷となる。
空いているときは、桟敷に横になって聞いていられるのだが、
人気の落語家が出るときには、
ここもぴっしりと、人の背中で一杯になる。

私の頃には、昭和の名人と言われた方々も居て、
先代の正蔵、馬生、小さん、なんていう師匠の噺を聞いたっけ。
特に林家正蔵(後の彦六)は人気で、
いつも混み合っていた。

それがねえ、もう、相当のお年のせいもあったが、
声が細くて聞き取りにくいのだ。
だから、聞いている人はみんな、
聞き漏らすまいとして、
あれだけの人がしんとしてしまう。
そして、あの小さな声なのに、
噺に聞き入ってしまうのだね。

これが、話術というもの。
声が大きいからいいというものではない。

寄席というのは、
落語ばかりでもなく、
時には色物という出し物があるのも楽しい。
漫才もあれば歌謡漫談もある、
曲芸もあれば、踊りも奇術も声帯模写もある。
私なんぞは、その時のお客様からいただいたお題にちなんで、
目の前でハサミで切って絵を作る、紙切りなんぞに関心したものだ。

さて、
ある師匠が、そんな高座の中で話していた、
弟子たちをめぐる内輪話。

たくさんの弟子たちの中には、
噺をすぐに覚えてしまう人もいるが、
そうでもない人もいる。
前の方の人が優秀かといえば、
落語の世界ではそうでもないらしい。

噺はうまいが、
あとが伸びない人もいる。
噺は下手くそなのだが、
どういうわけか、人気の人もいる。
そして、なかなか認められないが、
地道に努力する人もいるそうだ。

さて、それでも一通りの噺を覚え、
一人前となって、活躍するようになる。
どこへ行っても、無難に、噺をこなせるようになる。

じゃあ、それが、一人前の落語家になった証かといえば、
そうでもないようだ。
師匠から教わった噺を覚え、
それをよどみもなく喋れるようになって、
初めて「箱に入った」と言われるようになる。

でも「箱に入った」という言葉は、
決して褒め言葉ではないそうだ。
「箱に入った」ままでは、
その人の独自の芸が出てこないのだね。

だから「箱に入った」噺というのは、
通のあいだでは、まったく受けないのだそうだ。
その箱から抜けだしたところで、
はじめて、その人の芸として認められるという。

なるほど、噺家の世界も厳しいものだ。

さてさて、
そばの世界だって同じこと。
教室で教わったまま、
修行先で身につけたままの技を振り回しているだけでは、
いつまでたっても「箱に入った」ままなのだね。
そのままのほうが居やすいが、
いつかはその箱を出る努力をしていかないとね。

さてさて、世の中、完成されたものばかりを、
チヤホヤする傾向があるけれど、
それに至る、努力をしている人たちを認めてあげることも大切。
そんな、大きな目を持って、
寄席なんぞ楽しんでみてはいかがだろうか。
新宿末広亭のホームページはこちら。

http://www.suehirotei.com/

私なんぞは、
まだまだ前座の段階で、小さな箱に居座ろうとしている。
自分の周りにできていく箱を、
居心地の良い壁にしないように、
気持ちの中にハンマーを持っていよう。
、、、て、そんな歌が、昔あったなあ、、。

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2016年2月 8日 (月)

そば屋の・ようなもの、だったりして。

東京にいた若いころ、
人付き合いの苦手な私は、
よく一人で、映画や寄席に行った。

その頃上野に本牧亭という寄席があって、
ここは本来は、講談の定席なのだが、
月に何日かは落語の会をやっていた。

早目に行くと、二階の広い畳敷きの部屋には、
まだ、数人の客しかいない。
そこで、ほとんど座布団だらけの客席に向かって、
前座と呼ばれる新人の落語家が、
一生懸命話しをしている。

もちろん、覚えたての噺を、
小学生が教科書を読むように語っているので、
いわゆる、落語らしい可笑しみがないのだ。
聞いている方もひどいもので、
空いている座布団の上で、
横になって寝ている人もいる。
噺をしている前座さんに、背中を向けてね。
常連らしいお年寄りは、
後ろの方に5人ぐらいでかたまって、
世間話に忙しい。
噺が終わったって、拍手の一つもない。

それが、いわゆる真打ち、
師匠とよばれる人たちが出てくる時間になると、
座は人で一杯になる。
時には、入りきれない人もいて、
「お膝送り」の声がかかる。
つまり、座っている座布団ごと少しづつ前に詰めて、
後ろに場所を作るのだ。

噺が進むと、場内は笑いの渦。
終われば、割れんばかりの拍手。
窮屈な格好で座りながらも、
大勢の人と一緒に楽しむ笑い。
これが寄席の醍醐味なのだよね。

でも、同じ噺をしても、
どうして、前座と真打ちで、違うのだろうねえ。
落語家の芸の世界は、厳しいものだ。

なんてことを思い出したのは、
先日ある映画を観たから。
その映画は「の・ようなもの のようなもの」。
35年前に作られた映画を、
亡くなったその監督に捧げるために作られた映画。
どちらも、駆け出しの落語家の話。

35年前と、同じ出演者が出てきたりして、
ああそうだったと、楽しませる。
で、35年前に、
彼女に「下手くそ」と言われた落語家「志ん魚(とと)」は
その後、師匠と呼ばれる身になった、、、、
かと思いきや、やっぱり「下手くそ」だったのだね。
松山ケンイチはじめ、たくさんの芸達者な俳優が、
話を楽しませてくれる。
一流の役者さんて、
画面にちょっと出るだけで、
存在感があるからスゴイ。

それに比べて、
そばの世界では、、、、。
そばが下手くそでも、
商売がうまいと、成り立っていくようだ。
両方共下手くそな私は、
池の金魚みたいに、
アップアップしながら生きているのだが。

なんて、
若い時に落語から学んだことはまだまだあるのだ、、、
て話はまた今度。

雪の京都の三十三間堂。
いつもは大混雑という話を聞いていたけれど、
おかげで、国宝の仏様と、
じっくりと向かい合えた。





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2016年2月 1日 (月)

歴史がこんがらがった頭で、京都の見物。

さて、ゆっくりと楽しませていただいた京都の旅の話。

東山に高台寺という寺があり、
ここは豊臣秀吉の正室、北政所(きたのまんどころ)の菩提所なのだそうだ。

その庭園の一番高いところに、
傘亭(からかさてい)という茶室があった。
秀吉の作った伏見城から移されたもので、
国の重要文化財になっている。

説明してくれた人の話では、
伏見では川沿いにあり、小舟に乗って、
この茶室に乗り入れて、お茶を楽しんだというのだ。
前のところの空いたところが、船の入る場所らしい。

Photo
ほらほら、着飾った殿様が、
船に乗って、この変わった屋根の茶室に入ってい行くのがわかるでしょう。
なるほど、秀吉たちは、そういう趣向を楽しんだのだね。
秀吉の作った伏見城と言うと、
豪華絢爛な建物というイメージがあるが、
こういう質素な茶室も好まれたわけだ。
といって、こういう茶室は、細かいところまで工夫がしてあって、
実は、すごく贅沢にできている、というような話を聞いたことがある。

千利休から始まり秀吉が好んだ茶の世界は、
様々な芸術の部門に影響を与えたという。
茶室のような建築から、茶道具、焼き物、庭造り、書画、衣服など、
茶の席に合わせて作られるようになったのだろう。

この時代、焼き物で名を残した古田織部、
その弟子で、庭造りの小堀遠州などの、
まあ、趣味人というような大名も現れている。
この高台寺の庭園も、遠州の作と言われているのだね。

あとから行った建仁寺の中庭も、
ぱっと見たら、遠州の作かと思ったら、
それを倣って、近年に作られたものだそうだ。
それにしても、遠州好みの石の立て方が、
思わず座って茶を、、、いえ、できればお酒を頂きたいなあ、
という、深〜い気持ちを起こさせる。
こらこら。

Photo_2

ここ建仁寺には、あの有名な「風神雷神図」があったそうだ。
今は国立博物館に預けてあるが、
精巧な複製が置かれている。
それを描いたのが俵屋宗達だね。

その宗達の描いた板絵が見られるのが「養源院」というお寺。
有名な白象や獅子の絵を、すぐ間近で見ることができる。
そして、このお寺のもう一つのウリが、
伏見城の血天井ということになる。

あれ、また伏見城が出てきたぞ。

何しろ秀吉の前後の時代の歴史を考えると、
あまりに複雑で、よくまとまらない。
この時代、あまりに多くの人が出てくるから、
頭のなかは、こんがらがったままだ。

でも、いいものを見る目は持っていたいね。
何百年も前から、人々が大切にして、
育んできたものを、しっかりと見極める目を、
できれば持ちたいものだ。
京都って、そんなものがゴロゴロしているところなんだね。

で、こんがらがった頭で帰ってきた旅館の部屋の、
こんな設えが、ほっとさせてくれたりして、、、。

Photo_3  

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