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2015年2月23日 (月)

江戸時代から言われていた「信州人は大食い」。

もう、だいぶ前に読んだ信州を紹介する本に、
「信州人は大食いで、
店に食べに行っても、
御飯の量が多い。」
というようなことが書かれていた。

私は東京生まれで、
20歳を超えてから長野に移ってきたので、
そのことについては、合点がいった。
とにかく店に食べに行くと、
特に、昔からあるような食堂やレストランでは、
食事の量が多いのだ。
食欲旺盛な若いころは、
ずいぶんと特をしたような気分になったものだ。

今では、もう長く、信州に暮らしているので、
果たして、他の地域に比べて、
信州の食事の量が多いのか少ないのか、
よくわからないが、
調べてみると、「信州人は大食い」というイメージは、
実は江戸時代に作られていたのだね。

北信といわれる、長野県北部は、
冬になると、
農地は深い雪で覆われる。
なんの稼ぎもないから、
仕方なく江戸へ出稼ぎに行く人が多かったそうだ。

これといった技術も持たない田舎者の働くのは、
それは肉体的にきつい仕事ばかりだったらしい。
例えば冬に需要の多い、米俵や酒樽を運ぶような、
力仕事ばかりだったようだ。
当然腹も減って、
飯をたくさん食う。

ということで、
はたから見ると、
飯ばかり食べているようにみえたのだ。
だから信州人は大食漢と思われたそうだ。

それを、やはり、冬になるとやってきて、
貪欲に餌をあさる椋鳥(むくどり)に例えて、
江戸の人たちは、信州人を馬鹿にした。

「雪降れば椋鳥江戸へ食ひに出る」

などと、川柳に歌われたりした。

やはり北信濃の出身の俳人、
小林一茶も、江戸ではそう呼ばれたのだろうか、
こんな句を残している。

「椋鳥と人に呼ばるる寒さ哉」
(むくどりと ひとによばるる さむさかな)

とにかく冬になると、
信州から人が一団となってやってきて、
散々に食べて帰っていくというふうに、
江戸の人には見えたのだね。
それなりの仕事もこなしていたのに。

そんなことで、
「信州人は大食い」と言われ続けて来たようだ。

でも、本当に今でも大食いなの。
もしそうならば、
マクドナルドは、少し大きな信州バージョンバーガーを出してもいいし、
ガストの定食のご飯の量が、信州だけ多いはずだし、
丸亀製粉のうどんも、普通より15本ほど多く入っているはずし
スシローのにぎり寿司が少し大きくなっていてもいい。
、、が、そんな話は聞かない。

大盛りを売りにする店も何軒かあるが、
それは、何も、信州に限ったことではないだろう。

あえて言うならば、「信州人は大食い」というのは、
それだけ身体を活発に動かしている人が多いということではないかなあ。

ちなみに、そばの一人前の量は、
東京では110グラムぐらいが多い。
もちろん店によって違うけれど。
私の店では一人前は135グラムにしている。
なお、これは「信州人は大食い」とは、
一切関係のない事情によるもの、、、、です。


Soba

 

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2015年2月16日 (月)

そばを食べたあとは、そば湯で汁を分解する。

江戸時代の中頃になって、
そばは広く食べられるようになった。
最初の頃は、
そばを食べたあとに、
豆腐の味噌煮がでたそうだ。
そばで冷えた腹を、
その汁で温めたという。

ところが、信濃の習慣で、
そばを食べたあと、そのゆで汁を飲むことが伝わった。
同じそばの成分なので、
飲んだあとに腹が落ち着くというのだ。
だから「信濃風」と断って、
客にそば湯を出したら、
大変に珍しがられて褒められたと、
18世紀半ばに書かれた「蕎麦全書」に描かれている。

東京の昔のそば屋では、
内々の客、
つまり、店の客ではなく、
親戚、知人筋や、取引の人が見えても、
普通のお茶は出さなかったそうだ。
そば湯に、そば汁を垂らしたものを、
「信濃湯(おしなゆ)」といって出したという。

これは、店にとっても、
汁の自慢になったそうだ。
きちんとした出汁をとっていれば、
そば湯で薄められても、
しっかりと、出汁の香りが残り、
美味しくいただけるのだ。

なるほど、
今度は、用事で来るお客様に、
私も「信濃湯」を出してみようか。

さてさて、
他の店に行って、そばを頂いたあと、
楽しみなのがこのそば湯だ。
このそばを美味しく頂くために、
わざわざ、薬味のネギを、しっかり取っておいたりする。

もりそば用の汁は、だいたい、しっかりと作りこんだ、
うま味の強いものになっている。
しかし、そこに出汁の香りや風味が強く残っていると、
そばの味を損なってしまう。

だから、そば汁は、
そういうものを抑えつつ、
これでもかと凝縮したうまみで、
そばを引き立てているのだ。

そのギュッと詰め込まれた緊張から、
そば汁の開放されるのが、
そばを食べ終わって、
そば湯を注いだ瞬間だ。

今まで封印されていた出汁の香りがたち、
様々な風味が踊りだす。
料亭で最初に出る、
噛んで飲むような上品な吸い物とは違うけれど、
口の中に味の広がりを感じる事ができる。

ああ、いい出汁を使っているなあ、
などと、感心する。
そして、
ああ、あれとこれと、こういうふうに作っているなあ、
などと、勝手に想像してしまう。
昆布のだしは、伸びがいいので、
いつまでも口に残る。
東京あたりの古い店は、昆布なんぞ使わないから、
ピシっと、キレが良い。

若い店には、まだまだ迷いがあり、
(もちろん、それもいいものだ)、
古い店には、
奥行きの深い味わいがある。

皆さんそれぞれに工夫されている。
そば汁は「レシピ」だけでは語れない、
それぞれのコツの組み重ねなのだね。

そんなことが、
そば湯をを注ぐとわかるのだ。
ほら、あんな有名店なのに、
そば湯で割ると、
味が消えてしまう店がある。
いま流行りの〇〇エキスでも、
使っているのかな。

そんなことで、
皆様に分解されてもいいように、
今日も汁を湯煎しているのだ、、、

、、二時間半もかかるから、飲みにゆけない、、、、。


Yusen

 

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2015年2月10日 (火)

「そば屋の湯桶」って、褒め言葉なの?

人の話を最後まで聞かず、
途中で口を挟む人がいる。
そういう人のことを
「そば屋の湯桶(ゆとう)」と呼ぶそうな。

そば屋でそばを食べたあとに出た来るのが「そば湯」
それを入れている器が「湯桶」だ。
昔は、木で作った塗り物だったが、
最近は樹脂で作られている。
その注ぎ口が、途中から横に飛び出している。
だから、
そんな言葉が生まれたのだね。

ところで湯桶は、どうしてそんな格好をしているのだろう。

そば湯は底に白いオリが溜まってしまう。
そのオリを入れずに、
上の方の上澄みを注ぐために、
このような格好をしていると言われている。
なるほど。

でも、オリが下に沈んでいると、
つい、かき回して見たくなるのが人情だ。

私も子供の頃はやったものだ。
でも、そのたびに、周りの大人達から怒られた。
「そんな見っともない事をするな!」
「シジミの身を食う奴と、そば湯をかき回して飲むのは乞食の仲間。」
(当時のシジミは今のような大きなものでなく、
 とても小さい本シジミが普通だった。念のため。)

大人になっても、年配のグルメの方に、
そば湯の注ぎ方のうんちくをいただいたりした。

つまり、私の育った東京では、
ほんの昔のことだけれど、
そば湯は、上澄みを静かに頂くものだったのだね。

それが、今では、濃いそば湯が求められ、
中には、かき回す棒まで入ったそば湯を出すところもあるそうだ。

それはそれで、
好みと生き方の問題なのかもしれない。

ただ、
濁ったそば湯をいただくと、
後で、口の中がいがらっぽくなってしまうのだ。
私の場合だけれどね。

最近は、湯桶を使わずに、
土瓶でそば湯を出すことろも多い。
土瓶も、オリを溜めるようになっているのだが、
そば湯の場合は、その程度では間に合わない。
どうしても、底に沈みきらないオリが入ってしまう。
そば屋の湯桶は、それなりに意味のある道具だと思うなあ。

ちなみに「湯桶(ゆとう)」を「湯桶(ゆおけ)」と読むと、
全く別の意味になる。
そう、銭湯や温泉に置かれたオケのことだ。
同じ漢字を書いているのにね。

まったく日本語は難しい。
そして、たかがそば湯でも、
頂く人の感性が違うという難しさが、、、。

せめて「そば屋の湯桶」と呼ばれないように、
人の話をよく聞くように努めようか。

Yutou

 

 

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2015年2月 2日 (月)

長野県青木村の「タチアカネ」というソバのそば。

先日訪れた青木村は、
上田市の西側に広がっている。
手元の資料(県民手帳)によると、
人口は約4,400人という。
周辺の町や村が、上田市との合併を推めたのに、
この村は、独立独歩の道を歩んだ。

開けた谷を挟んで、
南にはきれいな三角の形の夫神山(おかみやま)、
北側には、山頂が台形の形をした、
独特の形の子檀嶺岳(こまゆみだけ)に挟まれている。

Aoki4
この村には、鎌倉時代に建てられた、
国宝の三重塔もある。
なるほど、古くから、注目されていた場所なのだね。

Aoki2
江戸時代には、何度も一揆を起こし、
「義民の村」として知られるようになったとか。

さて、その義民の村で、今売り出しているのが、
新しいソバの品種「タチアカネ」を使ったそばだ。

このソバは、白い花が咲いたあと、
実にになる時に赤い色になる変わった性質を持つ。
熟成すれば、他のソバのように黒くなるのだが、
その、花から実へと変わるときの赤色が、
なんともかわいい、、、らしい。
実際に見ていないので分からないが。
う〜ん、普通は緑になって、
それから黒に変わっていくのにね。

そんなことで、
訪ねたそば屋が「義民そば」。
ニコニコとした年配の女性が、
切り盛りする店だ。

さっそくいただいてみるが、
姿の良いきれいなそばで、
ホンワリとした甘みが楽しめる。

Aoki3
女将さんの話では、
最初は「赤ソバ」(おそらく高嶺ルビー)を栽培したのだけれど、
青木村の標高では、
きれいな赤い花が咲かなかったそうだ。
それに,収量も良くない。
そこで、新しく開発された、
「タチアカネ」を栽培するようになったという。

実は、
単独品種でのソバの栽培は、
とても難しいのだ。
ソバは、虫によって受粉されるので、
もし、他の種類のソバが近くで栽培されていれば、
すぐに交雑してしまうのだ。

そのために、小規模農家の多い長野では、
昔からの在来ソバと、県の推奨品種である「信濃1号」との、
交雑種のソバが多くなってしまう。

だから、その地域で特定の品種のソバを栽培するのならば、
すべてのソバを、
その品種に変えなければ、
品質が保てないのだ。

ところが、青木村の地形を考えると、
もし村内のすべてのソバの栽培が、
「タチアカネ」で統一されるのならば、
そのソバの純血が守られそうな気がする。

そんなことで青木村の「タチアカネ」に注目していきたいなあ。
そばは食べて見て、口先のうまいまずいよりも、
そのドラマがあってこそ、
味わいが深まるもの。

ちなみに冬期限定で、
スタンプラリーもやっているそうな。

Aoki1

 

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