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2012年6月18日 (月)

江戸でそばが広まったのは、水道が普及していたから?

スペインの中央部にあるセゴビアという町は、
ローマ時代に造られたという、
石造りの水道橋で有名だ。

造られた時には、セメントも使わず、
石を積み上げただけの二段のアーチを繋げた建造物で、
見上げて見るとかなりの高さ。
一番高いところで、30メートル近くあるそうだ。

岩壁の上に立つセゴビアの町に水を送るため、
十五キロも先にある水源から水を引いた。
そして、最後の谷を渡すべく、この水道橋を造ったのだね。

人々の暮らしに水は必要なもの。
その水の心配をしなくてもいいように、
これだけの大工事をしたのだ。
世界遺産になった今では、
セメントで補強され、
アーチの下を観光バスがすり抜けていく。

ここを私が訪れたのは、
ずいぶん前のことではあるけれど、
実際にこの建造物を見てみると、
二千年近く前に、どうやって造ったのか、
ひたすら、驚かされたものだった。

で、
日本にだって、
水道について驚くべきことがある。

江戸時代の江戸の町には、
水道があったのだ。

なにしろ、江戸っ子と言うのは見栄っ張りで、
虚勢を張りたがったそうだが、
「水道の水で産湯を使った江戸っ子」
なんて、威張り方があったそうだ。

水道なんてものは、
江戸の町にしかなかったから、
その生まれを誇りたかったのだろう。

水道と言っても、
今のような蛇口からでる水ではなく、
一定の間隔に置かれた井戸に水を送るシステムを、
作っていたそうだ。

井戸に水を送るには、
川から取り入れた水、
つまり上水を絶え間なく流さなくてはならない。
そこで、江戸には、
何本かの上水があったという。

その中で有名なのが玉川上水。
江戸の南を流れる多摩川の上流から取り入れた水を、
江戸の町中に導こうというもの。
取り入れ口の羽村から、
江戸水道の入り口の四谷まで、
長さ43キロの水路を掘ったのだ。

その間の標高差は92メートル。
多摩の丘陵地帯を、自然の落差で流れるように、
きちんと測量して作られたのだ。
それも、実際の工事は、
僅か八ヶ月だったとか。

とにかく、そうして、
江戸の町のは、人々が暮らしていくに十分な水が供給されていたという。

さて、
そばの話。

江戸時代中頃からそばは江戸に広まり、
後期には、ほぼ今にも伝わる製法が確立したという。

人口100万人の江戸の町に、
一時は4,000軒近くのそば屋があったというから、
その人気ぶりがうかがえる。

その江戸でのそばの広まりに、
豊富な水の供給があったことと、
関係があったような気がしてならない。
茹でてそのままドンブリに移せるうどんと違って、
そばの場合は、
流水で洗わなければならない。
それには、大量の水が必要。
その水が確保で来たからこそ、
今のようなそばが、
江戸で広まっていったのではないか、、、

、、などというのは、
根拠のない私の推測に過ぎない、、。

水は、古代では文明を生み、
近世では文化を育んできた。
人々は、労苦をいとわず、
その水を安定的に得ようと努力してきた。

今では、
蛇口をひねれば水がでるのが、
しかも、飲むことのできる清潔な水がでてくるのが、
当たり前になってしまった。
だから、
茹でたばかりのそばを、
たっぷりの水を使って洗えるのだ。

この現実に感謝しつつ、
その水を保つ努力を、
私たちは、もっとしてもいいのではないか、、
などと思ったりしている。


 

Rosa

 

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