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2012年6月29日 (金)

そば粉には、目に見えない苦労の結晶がある。

そば粉を作る製粉所の工場を覗いてみると、
実に様々な機械が並んでいる。

そば粉を作るというと、
すぐ、石臼のぐるぐると回る姿を想像するが、
それは、そばの製粉の、ほんの一部の行程のすぎない。

そばの実を選り分けたり、
皮を剥いたり、
不純物を取り除いたり、
実を割って、打ち粉の素の部分を取り出したり、
さらに、石臼で挽いたあとの粉を、
細かく仕分けしたり、
それを再び混合するという、
それぞれの用途にあった機械がずらりと並び、
うなり声を上げているのだ。

その、そばの製粉所の機械を作っている会社が、
長野にある。
私も、何度も前を通っていたのだが、
そのこじんまりとした事業所が、
私の打っているそばと関わっていたなんて、
全く気がつかなかった。

取引している粉屋さんから紹介を受けて、
そこで、そばを挽かせてもらったことがある。

その時、その会社の方から聞いた話は、
すごく参考になっている。
いいそばを作るために、
目の見えないところで、努力されている方々もいらっしゃるのだ。

その会社は、
もともと小麦の製粉機を作る会社だったそうだ。

長野では「そば」、というイメージがあるが、
ここ善光寺平では、少し前までは、実は、小麦の生産が盛んだった。

冬に麦を育て、夏に米を栽培する。
つまり、二毛作が当たり前の地域だったそうだ。
その穫れた小麦を、
農家の人は、郷土料理のおやきなどにして食べていた。
だから、昔は、そのための小麦の製粉屋さんがたくさんあって、
その機械を作っていたのだそうだ。
今でも、長野市は、全国の県庁所在地の中で、
小麦粉の消費量が日本一だとか。

ところが、
高度成長期に、外国産の安い小麦が入って来るようになると、
小麦の生産は割に合わなくなり、
作られなくなってしまった。
当然、小麦を挽いていた製粉所も無くなってしまった。

そこで、その会社は、
今までの技術を活かせる、
そばの製粉の機械を作ることに、
重点を置くことにしたそうだ。

一時は外国製のロール製粉機に押されていたが、
「手打ち」の復活とともに、
石臼引きのそば粉が見直されるようになり、
今では、小規模ながら、業界の中では確固たる地位を築いている。

こういう機械は、
性能への信頼感が一番なのだろう。
だから、常に勉強を怠らないのだそうだ。
石臼の材質によって、
粉の印象が違うと言う話は聞いたこともあるが、
シフター(ふるい)の材質や、動かし方で、
仕分けされる粉の質が変わると言う話は初めて聞いた。

そうして、
目立たないところで、
いいそば粉を作るために、励んでいる方々がいらっしゃるのだ。
私も、
大切に、
大事に、
このそば粉を、「おいしいそば」になるように、
しっかりと前を向いて作っていこう、、、

という青春ドラマ的結末、、、。

Dokudami

 

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2012年6月25日 (月)

「酒前」というそばの食べ方。

そば屋での、
粋な酒の飲み方として、
昔からよくいわれること。

そば屋に入れば、
先ず頼むのが「そば前」。
もちろん、酒のこと。
それをぐいと引っかけて、
そばを一枚いただく。
そして「中割」あるいは「中入り」と称してまた一杯。
この間に、ちょっと、つまみを頼んだりして。
で、仕上げにそばをもう一枚。
ズズッと手繰り終わったあとで、
「箸洗い」などと称して、さらに一杯のお酒。

なんだか、
酒飲みのの弁護のために、
「粋なそば屋酒」などと持ち上げられている気がする。

最近はお酒を専門に飲ませる店が増えてきたので、
そば屋で、そんな飲み方をする方は少なくなってしまった。

逆に、
酒を飲むために、そばを召し上がる方もいらっしゃる。

たまに来られるある、お客様は、
「今日は、これから飲み会があるんだ。」
と言っては、お酒とそばを召し上がっていかれる。

聞けばなかなかの料理屋さんでのご宴会。
「これから、おいしいものをいただくのに、
そばを召し上がって大丈夫ですか。」
と聞いてみれば、
「周りの人の手前、そこでがつがつと食べるわけにもいかないだろう。」
とのこと。

空きっ腹で酒を飲まされれば、
悪酔いの元となる。
だから、そばを食べていくのがちょうどいいとか。

そういえば、ある音楽家の方のエッセイにも、
そんなことが書かれていたなあ。

その方も仕事柄、料亭での食事に招かれることが度々あるのだそうだ。
だけど、料亭の食べ物は、
それはそれは丁寧に作られているが、
なにしろ量が少ない。
健啖家のその音楽家の方にとって、
いつメインの料理がでて来るのかなと思っているうちに、
食事が終わっていたりするそうだ。

それで、お酒を勧められてはたまらない。
料亭では、空腹に耐えながら食事をするという、
まさに懐石という禅の境地をいつも悟らなければならなかったという。

そこで、料亭での食事の前には、
そばを軽く、ではない、しっかりと食べていくようにした。
そうして、初めて、
ゆっくりと料理や会話を楽しむことができるようになったとか。

アルコールが入ると、
実際はそうではないのだが、
空腹感を覚えるように、人間の体はできているようだ。
そこで、飲んだ後にラーメン屋なんぞに、
つい、足を止めたくなってしまう。
それが、身体に良くないって分かっていてもね。

ならば、
酒を飲む前に、
そばを食べていくというのもいかがだろうか。

以前に、
食べ盛りの若い部下を何人も引き連れて、
そばを食べにきた方。
これからその方のおごりで、
居酒屋に行くのだそうだ。
なるほど、
少しでもおつまみの分を減らそうと、、、、
いや、
部下を悪酔いさせないようにと、
上司として気を使っていらしたのだね。

、、きっと。

Yagurumasou

 

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2012年6月18日 (月)

江戸でそばが広まったのは、水道が普及していたから?

スペインの中央部にあるセゴビアという町は、
ローマ時代に造られたという、
石造りの水道橋で有名だ。

造られた時には、セメントも使わず、
石を積み上げただけの二段のアーチを繋げた建造物で、
見上げて見るとかなりの高さ。
一番高いところで、30メートル近くあるそうだ。

岩壁の上に立つセゴビアの町に水を送るため、
十五キロも先にある水源から水を引いた。
そして、最後の谷を渡すべく、この水道橋を造ったのだね。

人々の暮らしに水は必要なもの。
その水の心配をしなくてもいいように、
これだけの大工事をしたのだ。
世界遺産になった今では、
セメントで補強され、
アーチの下を観光バスがすり抜けていく。

ここを私が訪れたのは、
ずいぶん前のことではあるけれど、
実際にこの建造物を見てみると、
二千年近く前に、どうやって造ったのか、
ひたすら、驚かされたものだった。

で、
日本にだって、
水道について驚くべきことがある。

江戸時代の江戸の町には、
水道があったのだ。

なにしろ、江戸っ子と言うのは見栄っ張りで、
虚勢を張りたがったそうだが、
「水道の水で産湯を使った江戸っ子」
なんて、威張り方があったそうだ。

水道なんてものは、
江戸の町にしかなかったから、
その生まれを誇りたかったのだろう。

水道と言っても、
今のような蛇口からでる水ではなく、
一定の間隔に置かれた井戸に水を送るシステムを、
作っていたそうだ。

井戸に水を送るには、
川から取り入れた水、
つまり上水を絶え間なく流さなくてはならない。
そこで、江戸には、
何本かの上水があったという。

その中で有名なのが玉川上水。
江戸の南を流れる多摩川の上流から取り入れた水を、
江戸の町中に導こうというもの。
取り入れ口の羽村から、
江戸水道の入り口の四谷まで、
長さ43キロの水路を掘ったのだ。

その間の標高差は92メートル。
多摩の丘陵地帯を、自然の落差で流れるように、
きちんと測量して作られたのだ。
それも、実際の工事は、
僅か八ヶ月だったとか。

とにかく、そうして、
江戸の町のは、人々が暮らしていくに十分な水が供給されていたという。

さて、
そばの話。

江戸時代中頃からそばは江戸に広まり、
後期には、ほぼ今にも伝わる製法が確立したという。

人口100万人の江戸の町に、
一時は4,000軒近くのそば屋があったというから、
その人気ぶりがうかがえる。

その江戸でのそばの広まりに、
豊富な水の供給があったことと、
関係があったような気がしてならない。
茹でてそのままドンブリに移せるうどんと違って、
そばの場合は、
流水で洗わなければならない。
それには、大量の水が必要。
その水が確保で来たからこそ、
今のようなそばが、
江戸で広まっていったのではないか、、、

、、などというのは、
根拠のない私の推測に過ぎない、、。

水は、古代では文明を生み、
近世では文化を育んできた。
人々は、労苦をいとわず、
その水を安定的に得ようと努力してきた。

今では、
蛇口をひねれば水がでるのが、
しかも、飲むことのできる清潔な水がでてくるのが、
当たり前になってしまった。
だから、
茹でたばかりのそばを、
たっぷりの水を使って洗えるのだ。

この現実に感謝しつつ、
その水を保つ努力を、
私たちは、もっとしてもいいのではないか、、
などと思ったりしている。


 

Rosa

 

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2012年6月15日 (金)

やってみなければ、分からないことばかりの畑仕事。

週一回の定休日にしかできない畑仕事。
それでも、野菜たちは、なんとか順調に育っている。

Hatake1
ナス、トマト、シシトウなどの苗も根付き、盛んに葉を伸ばすようになった。
トマトなどは、一週間でかなり伸びるので、毎週、支柱に伸びた芽をくくり付け、わき芽を摘む。

 

Hatake2
去年の秋に植えたタマネギは、
茎が倒れ始め、そろそろ収穫のころだ。
やや小粒だけれど、甘味の強いタマネギが採れる。

Hatake3

ジャガイも成長の早い野菜だ。
もう花が咲き始めている。
この花は摘み取った方が実のためにはいいらしいが、
なかなかそこまで手が回らない。

Hatake4
今週は二時間近くかかって、キュウリの支柱を立ててネットを張った。
去年はお盆の頃に、強い南風が吹いて、支柱全体が傾いてしまったのだ。
風の力の強さに驚かされたので、ことしは、柱の数を増やし、補強をした。

そして、その支柱に、ネットを針金で誘導しながら、ピンと、
たるみのないように張った。
実は、この、ピンと張ることが、けっこう大切。

最初の頃は、そのことが判らず、
たるんだままネットを張っていた。
そうしたら、そのネットに頼ってつるを伸ばしていくキュウリの重さで、
たるんだネットは下にずるずると落ちてしまう。
かくして、キュウリの茎が下の方に団子状に絡み合って、
そのすき間に、気づかずにいた巨大なキュウリが育っていたりした。
そういうことにならないように、
しっかりとキュウリが空に向かってつるを伸ばせるように、
ネットをたるみのないように張るのだね。

ここで畑を借りる20年前まで、
野菜づくりなんぞ知らなかった私は、
畑仕事なんぞ、簡単なものだと思っていた。
種さえ撒いて、苗さえ植えとけば、
勝手に野菜が育つものだと思っていた。
野菜づくりの本を読んで、
肥料や手入れは、その通りにすればいいと思っていた。

でもね、
実際にやってみると、その通りにいかないことが多いのだ。
たかが、キュウリのネットを張るだけでも、
実際にやってみないと、判らないのだ。

肥料はとにかくたくさんやれば育つと思って、
畑に撒けば、
枝豆は葉を茂らせるが実はならず、
トウモロコシは虫だらけ。
それぞれの作物に応じた、
適切な肥料が必要なのだね。

数多くの仕事が、
他から見ると簡単そうに見えても、
実は、それなりの工夫と努力の積み重ねだったりする。
そういうものを、大切にしてあげなくてはね。
実際にやってみないと判らないことって、
たくさんあるのだから。

ということで、
これからは、草取りに追われる季節。
でも、定休日の一日を潰しても、
私にとって、かけがえのない、野菜達なのだ。

ん!
やっぱり、野菜は勝手に育つのが一番。
そういう環境を作ってあげればね、、、。

 

 

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2012年6月11日 (月)

ブタより少ない人間の舌の味蕾(みらい)。

話に聞くと、
ネコ科の動物には、甘味を感じる遺伝子がないのだそうだ。
だから、いくら甘いものを与えても、
感じない、、、というか、受け付けないらしい。

人間もネコの舌を持てば、
甘いお菓子に惑わされなくてもいいのにね。

ネコというのは、人間に比べると、
味蕾(みらい)と呼ばれる、味の感覚器が、
十分の一程度しかないと言われている。
つまり、それだけ、食べ物の味には、
無頓着なはずである。
ところが、我が家のネコなんぞ、
同じキャットフードを与えていると、
もっと別なものをよこせ、と、やかましい。
味蕾の数が少なくとも、
味は感じるらしい。

ネコ科のライオンをはじめとする、
肉食のほ乳類は、生きている動物を食べるので、
肉が腐っているかどうかとか、
毒味をする必要がないので、
味蕾が発達しなかったと言われている。

それに対して、草食動物は、
数ある草の中から、
毒になるものと、栄養になるものとを見分けなければいけない。
だから、味蕾が発達しているそうだ。

ウシは人間の3〜5倍、
あの豚でさえ、人間の2倍の味蕾の数があると言う。

ということで、
食べる時に、味を感じるのは、
舌にある味蕾という器官。
この働きによって、
甘味・酸味・塩味・苦味、そしてうま味の五基本味を感じることができる。

各々の味蕾は、その情報を脳に伝え、
脳はこれは食べて安全なものか、
食べてはいけない危険なものかを判断すると言う。

本来は、本能的な防衛感覚として備わったものなのだが、
現代の我々には、
うまいとか、まずいとか、
なかなか享楽的な感覚として楽しんでいる。

ところが、ところが、
この舌で感じる味の感覚は、
他の情報に左右されやすいらしい。

だいぶ昔に読んだ雑誌に載っていた記事だけれど、
うろ覚えなのだが、印象的な内容があった。

ある砂糖水に果物のフレーバーを入れて二つに分け、
片方を黄色に、片方を紫色に着色した。

一つをオレンジジュースと言って飲ませた。
もう一つをグレープジュースと言って飲ませた。

そうしたら、ほとんどの人が、
この二つの飲み物の味が違うと答えたそうだ。
本当は、同じ砂糖水なのに。

たった、色が違うだけで、
あるいは、これはオレンジジュース、
これはグレープジュースと言われただけで、
そう思い込んでしまうのだ。

私たちの味覚は、
舌で感じているようだけれど、
実は、目や、耳や、触感や、匂いなどに、
大きく左右されているらしい。

だからこそ、
私のような飲食店は、
うまい食べ物を提供するばかりではなく、
もっと、そのような環境に気をつけなければいけないのかもしれない。

そして、
何よりも大切なこと。
食べ物をたべて、味を感じるのは味蕾かもしれないが、
「おいしい」と感じるのは、
別のところ。
そう、「こころ」が感じるのだよね。

もちろん味蕾の感じる「うまい」そばも作りたいけれど、
「こころ」に届く「おいしい」そばを目指したいものだ。

ところで、
泥の中にすむナマズは、
全身の皮膚に人間の30倍もの数の味蕾があるそうだ。
皮膚で獲物の味が判るのだね。
私も時々、指先に味蕾があれば便利だなと思うけれど、、、ね。

Fuuchi 

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2012年6月 7日 (木)

ビールのおつまみではない「枝豆切り」。

去年の夏、アメリカから来たというカップルが来て、
ビールを飲んでそばを召し上がっていった。
言葉はよくわからないが、
ビールのおつまみに、
これは、日本ならではのものだろうと、
畑で穫れた枝豆をサービスで出してあげたら、
「Oh! Edamame!」といって、喜ばれた。

なんだ、知っているんだ。

調べた見たら、アメリカでは、
健康志向の高まりもあって、
「枝豆」が大人気なのだそうだ。
カロリーの高いポテトチップスやピーナッツに変わって、
まだまだ僅かではあるが、子供のおやつや、
ビールのつまみに、枝豆が食べられているという。

枝豆は、ビタミンやミネラルなどが豊富な、
そして、気楽に食べられる栄養価の高い食品。
世界中に広まってもいい食べ物かもしれない。

さて、この火曜日は恒例の十割そばの夕べ。
皆さんご来店ありがとうございました。

今回の変わりそばは、
夏に先駆けて、この枝豆をそばに打ち込んだ、
「枝豆切り」。

このそばを作るには、
少し手間がかかる。

枝豆を茹でて、さやから外し、
一粒一粒を覆っている薄皮を取り除く。

 

Zunda1

それをミキサーですりつぶし、
さらに、裏ごしにかけてペースト状にする。

Zunda2


ほらほら、きれいなみどりでしょう。
これを、湯ごねした更科そばに練り込んで、
伸ばして、切って、麺にする。
このそば打ちは豆自体がつなぎの役を果たすので、
スムーズに、きれいな麺線を作り上げられる。

そうして、茹でてみれば、こんな、
淡い、上品なみどりとなった。

 

 Zunda3

写真の具合か、隣の十割が、ずいぶんと黒く見える。
さて、食べてみれば、あれ、どこに枝豆の味が、、、、
という感じ。
もっとも、枝豆の味って、本来は淡白なもの。
ほのかな、甘い香りが、口の中に、そういえば残っているかな。

でも、食感は、しっかりとしたものになる。
切れのいい、ざらっとした舌触りが、いつもの更科とは、
はっきりと違うところだ。

そばや、枝豆に含まれるビタミンBは、お酒の分解を早め、
二日酔いの防止にもなる、、、、、
なんて話は、酒飲みの自己弁護に使われるだけなので、
やめておこう。

だけどね、
「Edamame」は世界に誇っていい、
日本発の食べ物になるかもしれない。
もちろん、、、、
この「枝豆切り」もね。


 

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2012年6月 2日 (土)

セールスレターではない「かんだた瓦版」の発送。

年に2〜3回、瓦版などというものを作って、
住所をお知らせいただいたお客様に送っている。

この週もその発送作業に追われた。
あらかじめ作っておいた瓦版を、
定休日に、自宅で印刷作業。
宛名も封筒に一枚づつ印刷。
ほぼ、半日以上の時間がかかってしまう。

それから、営業時間の合間に、
印刷した瓦版を一枚一枚折って、
封筒に入れ、
糊で封をして、切手を貼る。

瓦版そのものを作るのもたいへんだ。
もっと、
デザイン的にかっこいいものを作りたいのだが、
なかなかそうもいかない。
ワープソフトの使い方のよく判らないまま、
とにかく、体裁だけはなんとか整えて、
素人の野暮を承知で作っている。

いわゆる営業のコンサルタントといわれる人たちが言うには、
こういうレターは、
写真を多用して、読みやすいようにした方がいい、
とか言う。
だけど私の瓦版は、ベタな、文字ばかりもの。

宅配便を使えば、
発送作業もやってくれるとのことだが、
私は一枚一枚、自分達で封筒に入れ、
封をする。

郵便局の別納制度や、
宅配メール便を使えば配達料を節約できるそうだが、
私は季節の記念切手を、ぺたりぺたりと封筒に貼る。
最近は、郵便局の方が、貼ってくれるようになったので、
この作業も楽になった。

このような路地裏の目立たない店に、
わざわざお越しいただき、
そして、住所をお教えいただいたお客様に、
この瓦版を、
一枚一枚の手紙のつもりで送らせていただいている。
だから、
シールをぺたっと貼った宛名では寂しすぎる。
ぺらぺらの、ビニールの封筒では申し訳ない。
封筒の宛名は印刷だけれど、
せめて、記念切手を貼らせていただいている。

瓦版も、できるだけ、私の経験を語るように心がけている。

この瓦版は、お客様に、
私の店を忘れていただかないためのもの。
そして、訪れた長野の地を思い出していただくもの。
でもね、それもあるけれど、
これを書くことによって、送ることによって、
何より、日本の国中の、いろいろなところに住まれる方々と、
繋がっているのだなあ、
と私自身の励みとなるのだ。

そして、
受け取ってお客様から、お手紙をいただいたり、
何年かぶりに店に来られて、
声をかけられたりするとうれしいのだ。

これからも、途切れないように、
続けていきたいと思っている。
中には受け取ってご迷惑な方もいらっしゃるかもしれませんが、
なにとぞ、お許しください。

ちなみに、
今回の瓦版を、試しにホームページにアップしてみた。
読みづらいかもしれませんが、
よろしかったら、どうぞ。

「かんだた瓦版」14号



Kawara



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