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2012年1月20日 (金)

真田信之は93歳まで生きた戦国武将。

暮れから正月にかけて、休みなしで仕事をしていたので、
やっと連休をいただいた。
すみません。

三日もあるので、長野の寒さを離れて、ちょっとハワイへ。
白い砂浜に青い海を眺めながら、
トロピカルカクテルを飲む、、、、

、、、という夢を、
コタツでうたた寝をしながら見る予定だったのだけれど、
実際には、
やらなければならないことが、山山々。
せっかくの休みなので、
今にも大雪崩が起きそうな家を、
エイヤッと飛び出して、
行ったところが、自宅からバスで20分ほどの松代の町。

何だ、、あはは、
たいしたところへ行ってないじゃないか、、、
などというなかれ。
この松代は、
私のとって、意外とミステリーゾーンでもあったのだ。

真田信之(のぶゆき)は、
今や、歴史上の武将の中でも人気の高い、
あの真田幸村(信繁)の兄。

幸村と父、昌幸(まさゆき)は豊臣側に、
この信之は徳川側に付いて、合い戦ったという、
有名な話の主人公の一人だ。

その信之が、
上田から松代に移らされて、
以後、松城藩の城下町として、
ここ松代は栄えたところ。

その真田信之を祀る御霊屋(おたまや)があるのが、
松代にある長国寺。

Matusiro1
禅寺らしいすっきりとした境内。
屋根には、すくっと尾を立てたシャチホコと真田の御紋、
六文銭が抱かれている。
隣の庫裏で、案内をお願いすると、
小柄なおじさんが、大きな鍵をもって、
本堂の裏に案内してくれる。

Matusiro2
こちらが信之を祀るために、
1660年に建てられてという御霊屋。
なにしろ、国の重要文化財なのだ。
徳川家康の菩提所である、
日光の東照宮を建てた職人達が、
このきらびやかなお堂を建てたという。

Matusiro3
例えばこの二羽の鶴。
ここを抜け出しては田んぼや畑を荒し回って困ったそうだ。
東照宮の「眠り猫」で有名な、左甚五郎の作ったものだと伝えられている。

案内のおじさんは、
鍵を開けて、中の様子も見せてくれる。
きらびやかな装飾の施された室内。
天井の竜や鶏などの華やかな絵は狩野探幽の作と伝えられているそうだ。
へえ〜〜〜〜、
とひたすら感心。

中央には信之と、その妻「小松姫」のご位牌がおかれている。
小松姫の位牌には、よく見ると、徳川の御紋が描かれている。
そう小松姫は、その当時、天下をとった徳川家康の養女なのだ。

戦術に長けた真田を恐れていた家康は、
重臣の本多忠勝の娘、小松姫を信之の嫁にやって取り込もうとする。
ところが真田側は、小さくとも一国一城の主の跡取りに、
いかに実力がああろうと、
徳川の家来の娘では格が合わぬと突っぱねるのだ。

そこで、家康が、
それではワシの娘にする、
これなら文句あるまい、、、
といいだして、信之は受けざるを得なかったとか。

でも、この小松姫。
昔聞いた講談では、
様々なエピソードが語られていた。
若い頃はじゃじゃ馬で、
婿を選ぶのに、独身の若殿たちを集めて、
実際に見比べて選んだとか。
その中で、唯一、
「失礼な!」と言って出て行ったのが信之だったとか。

そんな話をすれば長くなる。
信之に嫁いでからは、
堅実な、また、機転の利いた良妻としての話が伝わっているそうだ。

その小松姫の御霊屋は、
近くにある大英寺というところ。
こちらは、火災にあったこともあり、
それなりのものが残っていないのが寂しい。

松代には、
武家屋敷があったり、
いかにも城下町らしい曲がりくねった道があったりと、
歩いて見ると、楽しいところ。
こんな身近にある場所を大切にしなければね。

ということで、
そばの出て来ないそば屋の休日、、、、

、、でも、そばを出しとこう。
その後行った温泉施設での「かき揚げそば」。

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