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2010年5月17日 (月)

「そば」で育った人

「私はねえ、そばで育ったのですよ。」
 70年配のある建設会社の社長さんが、こうおっしゃる。
「そう、子供の頃はそばばかり食べていた。
 なにしろ、それしかなかったものでねえ。」

その社長さんの育ったのは、
長野から少し西の方へ行った山の中。
標高850メートルの場所は、
ほとんど米は作れなかった。
だから、食べ物と言えばそこで穫れるそばが主だったのだ。

石臼で轢いたそば粉に、
煮た野菜を混ぜてソバガキにして、
それをいろりで焼いて食べるのが
いつもの夕食だったそうだ。
だから、家の周りは、
季節には、そこら中が白いそばの花で埋まったという。

ところが、違う季節には、
別のものがその畑を占有する。
それは、春に植えられてぐんぐんと成長する。
子供の背丈を軽く超えて、
大人の背丈の二倍にも育つ。

実は、この植物が、
長野の山間部の人たちの生活を支えていたのだそうだ。

それは、今ではほとんど栽培されなくなってしまった、、、
いや、それどころか、
うかつに栽培すると大変なことになってしまう草、
「麻」だった。

夏に大きくなった麻を刈り取り、
その後に「ソバ」を植えた。

刈り取った麻は、冬まで乾燥させて、
それから、茎から繊維を採り、
縒り合わせて糸にした。
春になると、それを担いで、
トラックの来るところまで運んだそうだ。

当時は、長野の善光寺の西側、
今の桜枝町のあたりには、
そうして出来た「麻」を扱う問屋が並んでいて、
ずいぶんと賑やかだったらしい。

山の中で暮らす人々は、
春には麻を育て、
夏にはソバを育てた。
麻で現金収入を得て、
ソバで食糧をまかなった。
そうして、それなりの暮らしが出来た時代があったのだ。

社長さんの子供の頃の話だから、
たかが、
50年から60年前のこと。
さすがに苦労された社長さんで、
当時の暮らしの厳しさや辛さについては、
何も言わなかった。

子供の頃、
こういう体験をすると、
「ソバなんか食べたくない。」
という方もおられるのだが。

でも、
この社長さんの故郷も、
今や、荒れ放題の畑が目立つようになった。
そこで、地元の人たちで、
荒れた畑を作り直し、
「ソバ」を栽培しようという話があると言う。

国の補助金制度も後押しをして、
話が進んでいるそうだ。
村で機械も用意して取り組んでいくらしい。

様々な人の持っている「ソバ」の話。
こうして、地元のソバ作りが復活していけばうれしい。
そうして、ソバの栽培の背景を、
もっと、知ってみたくなった。

 

 

 

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