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2008年9月28日 (日)

色のきれいな「菊切りそば」

長野は、涼しいというよりは、
肌寒く感じる気候となった。
先週との気温の落差が大きいので、
よけいに寒く感じるのだ。

さて、本日のかんだたは、「菊切りそば」の日。

Kiku 新潟や東北地方ではよく食べられる菊の花。
これを刻んで、そばに打ち込む。

陰暦の9月9日は、
重陽の節句といって、
この日に、菊の花びらを浮かべた酒を飲み、
長寿を祈ったのだそうだ。

その日には、ちょっと早いが、
菊の花を打ち込んだそばを食べて、
死ぬまで長生きをしていただければと思う。

Kikugiri そばもきれいな黄色になった。
(写真では分かりにくいけれど)
菊の花の青臭いような香りが、
ふっと鼻を通っていく、
上品なそばに仕上がった。

秋の情緒を楽しんでいただくそば。
そんな遊び心。

ちなみに10月の26日(日)は
「唐辛子そば」の予定。
はたして、どうなるだろうか?

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2008年9月27日 (土)

サンマとそばの背中合わせの関係。

お彼岸が過ぎて、
急に涼しくなった、
というより、肌寒く感じる長野のこのごろ。
虫の音も高くなり、
いよいよ、秋の本番。

そんな秋の味覚といえば、
サンマ。

この塩焼きがおいしい。
といって、そば屋でサンマを焼くわけにもいかないので、
休日の夕食は、自宅のガスコンロで、
サンマをうちわで扇ぐことになる。

Sannma なにしろ、特大のサンマ、
焼き網には乗り切らない。
本当は七輪で炭をおこして焼けばいいのだが、
今時の住宅事情では、
そうもいかない。

ちなみに、サンマは、
長いまま、網で焼くのが一番おいしい。
(と、私は信じている)

長いから半分に切って、
フライパンやグリルで焼くと、
せっかくの腹の油がなくなってしまう。

家庭用のコンロの火は小さいが、
付きっきりで、うちわで扇ぐ。
そうしないと、落ちた油で、真っ黒になってしまう。
それに、網からはみ出た、頭や尻尾にまで、
熱風を送って焼くことができるのだ。

そうして、皮がぱりっとし、
肉がほんわりとした、おいしいサンマが焼き上がる。
これに、四国産のスダチをかけて、、、、
あれ、ないので、群馬産の辛み大根でいただく。

う〜〜〜ん、おいしい。

さて、
世の中には、「サンマそば」というものがあるそうだ。
なるほど、秋の季節を感じさせるいいメニューなのかもしれない。
ひょっとして、
そばの入った大きな丼の上に、
サンマが丸ごと入っていたりして、、、。

でも、
なかなか、そばとサンマの相性は良くない。
いや、少なくとも、
私のそばには合わないのかもしれない。

蒲焼きにしたり、甘露煮にしたり、
焼いてほぐして、甘酢につけたりしたが、
どうしても、油のにおいが気になってしまう。

ニシンとそばの相性のようには、
いかないようだ。

サンマはサンマで食べ、
そばはそばで食べた方がいいのかもしれない。

しかしながら、いろいろな調理法があるこの時代、
そばとサンマの意外な関係が、
いつ、どこともなく、
始まらないとも限らないのだ。

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2008年9月23日 (火)

自家製無農薬野菜でのおもてなし。

先日は、京都からの友人夫婦の来訪。
久しぶりの顔を見ながら、
旅行の話や、京都の話、
新聞記者である旦那の仕事の話などで、盛り上がった。

中でも、髪の毛の話は面白かったなあ。
記者が取材をしているっていうことは、
本人もテレビや写真に写されることが、
あるということ。
その時に、後ろ向きなのに、
あっ、○○新聞の、誰それだ、と、
仲間うちでは、すぐに分かってしまうのだそうだ。
だから、短髪にしているそうだ。
目立たないようにね。
アレが。

前から見れば、そんなに気にならないのだけれども。
でも、そういわれれば、
少し、後退したような気もする。
でも、私よりは、ずっと若いのだから、
まだまだだよ。
(全然、慰めになっていない。)

さて、彼女の方は、
思ったより、ずっと元気そうで安心した。
実は彼女、多発性骨髄腫との闘病中なのだ。
昨年には、肉親からの骨髄移植を受け、
様々な、肉体との葛藤を乗り越えてきたのだ。

大学を出てから、地元の新聞社に入社して、
仕事をしていたのだが、
中米、特にグアテマラの女性たちの、
悲惨な状況を見聞きし、
それを支援する活動に参加する。
そうして、内戦の傷跡の残る現地での、
直接的な手助けがしたいと、
仕事を辞め、針灸師の資格を取るべく、
学校へ通い始めたのだ。
学校を卒業し、針灸師として働き始めた頃に、
この多発性骨髄腫を発病した。

せっかく、苦しんでいる国の人たちを助けようとしていたのに、
自らが、重い病にかかってしまった。
さぞ、悔しいことだろう。

でも、そんな彼女だから、
自らの闘病とともに、
グアテマラの女性たちへの支援活動は続けている。
多発性骨髄腫の数少ない治療薬である、
サリドマイドの認可に向けての発言をするなど、
前向きな行動を惜しまない。

その彼女に、
私は何にもできないけれど、
せめて、無農薬の自家製野菜の料理でおもてなし。
モロヘイヤのお浸し、モロッコインゲンの卵とじ、
鴨ロースにルッコラの梅しょうゆソース、
カボチャとジャガイモの煮物、
冬瓜の煮浸し、焼きオクラ、
万願寺と丸茄子の揚げ出し、、、などなど。
もちろん、最後は十割そば。

また、二人で、元気に長野に来てもらいたい。
それとも、わたしが京都に遊びにいくのもいいかも。
お二人の顔と、
写真で見せてもらった、かわいいトイプードルに会うために。


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2008年9月18日 (木)

そばの赤すね

Sinnmeミニプランターのそばの新芽。
発芽したら、
日に当てると、
茎がきれいな赤色になる。

これをつまんで、
料理のあしらいに使わせてもらっている。

畑で育つそばの新芽も赤い。
だから、すぐに、そばの苗であることが分かるのだ。
でも、本葉が育つようになると、
そばの茎は透き通ったような緑に変わる。
しかし、実ができて、寒さに当たるようになると、
再び茎が赤くなってくる。

そういえば、こんな句もあったっけ。

落日の潜(もぐ)りて染まるそばの茎 蕪村

夕日の赤い色が、そばの茎を、
染めてしまったのだと、
この粋人は語っているんだね。

さて、どうしてそばの茎が赤くなるのか。
各地に、様々な伝説が残っているようだ。

ある老婆が、「そば」と「麦」の二人に、
河を渡してくれるように頼んだ。
「麦」は嫌がったが、
「そば」は喜んで、
冷たい水の中に脚をつけながら、
老婆を背負って河を渡った。
でも、「そば」の脚は、凍えて真っ赤になってしまった。
実は、その老婆は、穀物の神様であったそうだ。
そうして、脚の赤い「そば」は、
暖かいうちに育って、実の成るようになり、
何もしなかった「麦」は、寒い冬に、
頭を踏まれながら育つようになったんだと。

まあ、このような話もあるようだ。

でも、
先ほど、そばの茎は、大きくなると、
緑になると書いたが、
実は、栄養分のないやせた土地のそばは、
寒さに遭わなくとも、ずっと赤いのだ。
「そばの赤すね」といって、
肥料分の無いために、茎は細く、
収穫も少ない。

昔は、そういうそばが、
普通だったのではないだろうか。

多分、蕪村の見たそばも、
そういう痩せこけた土地の、
そばだったのではないだろうか。

いまでこそ、そば畑のいえば、
よく耕されて、手入れされ、
緑の太い茎がすくっと伸びているが、
昔のそば畑の光景は、
ちょっと、印象が違ったかもしれない。

そして、昔の人にとって、
そばの茎の赤は、
神秘的な色であり、
貧しさや厳しい生活の象徴でもあったようだ。

だから、
そばが、それを作る人の血によって、
赤く染まったという言い伝えも、
各地にある。
そばの育つ土地では、
多くの人たちが、苦労をして、
生き抜いていたのだね。

そう考えると、
蕪村の句も、
ちょっと、哀しみを帯びてくる。

どちらにしろ、
おいしいそばをいただける、
今の時代に感謝しよう。

えっ、
そういう痩せた土地の、
「赤すね」の、そばの方が、
香りがいいんだって?

またまた、複雑になってしまう、
そばの話なんだなあ。


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2008年9月15日 (月)

新そばの試し打ち

Sinnsoba粉屋さんが、
今年の新そばの試し挽きをした。
北海道は旭川のものだそうだ。
少し分けていただいたので、
さっそく、試し打ち。

ぬるま湯で溶いての、
官能試験もできるが、
そば粉はやっぱり、
打ってみないとわからない。

新そばらしい、水の吸い込みのいいそば粉。
そばにして茹であげれば、
プチっと怒ったように膨らんでくる。
やや緑がかって色は、新そばの証。

食べてみると、
かすかな、捕らえ所のない、
ちょっと乱暴に扱えば、すぐに壊れてしまうような、
若いそばらしい香りが、
おずおずと鼻の内側から這い上がってくる。

う〜ん、幸せだなあ。
思わず涙がひとしずく。
ぽろっ。

特に甘みが乗っており、
今年の北海道の天候の良さを物語っている。
これはいい、今年の北海道産は、
大いに期待できそうだ。
生産者の皆さん、ありがとう。

去年は、長雨で、刈り取りが大幅に遅れたが、
今年は天候に恵まれ、逆に刈り入れが早まっているらしい。

といっても、
まだあくまでも、試し挽きの段階。
収穫されたそばは、送風乾燥されたばかりで、
まだ、よちよち歩き。
もう少し落ち着き、味が出たところで、
本格的な出荷が始まることだろう。

「新そば」の看板が出るまで、
皆さん、あと3週間ぐらいはお待ちを。


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2008年9月12日 (金)

畑の野菜は、いつもたくましい。

相変わらず、休日は一日、畑仕事。
夏の草の勢いは、弱まったが、
まだまだ、草取りや、整理に追われている。

Cara そばの花と、
その他の雑草が茂り放題だったカボチャ畑。
草を整理したら、
けっこうゴロゴロと、
出て来た。
もう、すでに、二十個以上採って、
家にも店にもゴロゴロしているのに。

たった二株植えただけなのに。
この生命力はすごい。

皆さん、カボチャを食べましょうね。
それでも余る時には、
そばに打ち込もうかなあ。

Hiyoke_2 この夏に重宝したのが、
この日よけ。
夏の強い陽射しの半分を遮ってくれるので、
いつもだったらやけてしまう葉ものが、
順調に育った。
ほら、サニーレタス、
サラダからし菜、小松菜に、
ルッコラもある。

ええっ、
草だらけに見えるって?
たしかにその通りだけれど。
隣のネギも順調。

Hakusainome 先週蒔いた、白菜の種が芽を出した。

白菜の種は、
本当に小さい。
こんな、小さな種から、
あんな、大きな野菜が出来るのだろうか、
そう、不安になるほど、小さな種だ。

蒔いたばかりの種を、
鳥に食べられないために、
いつも、種まきは夕方薄暗くなってから。

一か所に、数粒づつ置いていけばいいのだけれど、
薄暗くて、種は小さくて、
う〜〜〜〜ん、よく分からんぞ。

そうして、苦労して蒔いた種だけれど、
なんとか芽を出してくれた。

でも、
あれ、
何か違うものが一本あるぞ。

一番背の高い奴。
茎は赤い。

そう、そばの残り種が、
ちゃっかり生えているのだ。

生存競争の激しさは、
畑の作物も同じなのだなあ、、、
と、ここは、おじさんらしい解釈。

週に一度しかいけない畑だが、
彼らの、静かなやり取りは、
下手なドラマより、よっぽど面白いのだ。

野菜だって、草だって、
生きているんだなあ。
その、いのちを貰って、
したたかに、
いきるぞ〜〜〜〜ぉ。


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2008年9月10日 (水)

善光寺商法

「かんだた」のある長野の町は、
善光寺の門前町として発展したところだ。
千三百年といわれる、善光寺の信仰の流れが、
この町を形づくってきた。

だから、門前や参道には、
さまざまな史跡や逸話、伝説などが残っている。
私も、及ばずながら、
そういう歴史を学び、
皆様にお伝えする活動のお手伝いをしようと思っているのだが、
なにぶんにも、時間がない。
この町のことを、知れば知るほど、
面白いことが分かってくるのだけれど。

興味のある方は、
右側の「気になるサイト」の中から、
「小林玲子の善光寺表参道日記」を、
ボチッと押して、ごらんあれ。
長野の町の見方が、
きっと、変わってくることだろう。

さて、善光寺の存在が、
長野にもたらしたものは、測り知れない。
でも、あまり、ありがたくないものまで、
残してしまったようだ。

それが、
「善光寺商法」。

善光寺には、全国津々浦々から、
多くの人が訪れる。
そうして、門前の人たちは、
そういう人たちを相手に商売をしていたのだ。

つまり、自分達が努力しなくとも、
善光寺さんが、お客を連れてきてくれる。
門前の、いい場所さえあれば、
黙っていても、お客は入ってくるのだ。

そうして、お客の扱いはぞんざいになる。
そういう店の人たちは、
ますますふんぞり返って、
足元もみえないほどだ。
どうせ、参拝客なんて、
一生に一度しかこないのだから、
この際、ふんだくってやろう。

そんな、偉そうな、ぞんざいな態度を取っても、
善光寺には、人はやってくる。
そうして、阿弥陀様にすがろうとする善男善女ばかり。
門前で悪口を言うような、人も少ない。

かくして、
いかにも売ってやるぞという、
ふんぞり返っていても成り立つような商売のモデルが、
善光寺の門前にでき上がってしまったのだ。

それが「善光寺商法」だ
、、、そうだ。

この言葉、地元の人が自虐的に使っている。
これが、全国的に広まり、
辞書に載るようになったら怖い。

でも長野では、それが、今でも続いている、、、
むにゃむにゃ、言い憎い。
いや、ハッキリ言って、
続いている。

門前のお店が、
すべてそうだとは言わない。
でも、
遠くからやってくるお客さまのことより、
自分達の都合を押しつける店が、
いまだに顕在するのも事実。

門前のそば屋さんは、
きっと、そういうことなく、
努力されていると思う。
多分、、、、。
ん!

県外から来られる方にとって、
長野といえば「そば」というイメージは、
恐ろしく根強い。
そこで食べたそばが、
値段は高いが、
東京の駅そば並みの味だったら、
いや、失礼、
東京の駅そばは、最近はかなりレベルが上がっている、
ので、それ以下だったりしたら、
舌の肥えたお客さまだったら、
怒り出すに違いない。

そばは、人によって好みもあるし、
味や質に、なんとも、いえないとことがある。
でも、遠くから来た人を「もてなす」、
そういう気持ちで作られたそばならば、
きっと喜んでもらえるはず。

長野の町に大切なのは、
そういう、気持ちなのではないだろうか。

長野というイメージだけで、
内容のないそばを売っていれば、
いつかは、イメージは、
地に落ちてしまうのではないだろうか。

そこが一番の心配だ。

私の店は、路地裏の分かりにくいところにあるから、
観光客の方を、特に意識している訳ではない。
でも、
わざわざ訪ねて来てくれる遠方からの方も、
けっこういらっしゃる。
通りがかりで、寄っていただく、
鼻の鋭い方もいらっしゃる。

そういう方にも、満足していただける、
店にしなくては。

せっかくの長野とそばのイメージ、
町中のそば屋さんも努力して、
遠くからでも、
「ちょっと、長野にそばを食べに行こうよ。」
なんて、言われるぐらいになりたいものだ。

「そばを喰ったから、ついでに善光寺でも寄っていくか。」
みたいになったら、たのしいだろうなあ。

あっ、すみません。阿弥陀様。
「ついでに」なんて、「でも」だなんて書いて。
やっぱり、先ずは善光寺へ。

こんなこと書くから、
私はやっぱり「罰当たり」。


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2008年9月 8日 (月)

長野は信州そばの本場。でも、お客さま、満足しているかなあ?

パートさんが話していた。
先週は若い人向けのイベントがあり、
多くの方が県外から訪れ、
長野駅は混み合っていたそうだ。

そうして、若い人たちなのに、
「長野に来たら、やっぱりそばだよね。」
といいながら、朝早くから、
駅前のそば屋に行列ができていたそうだ。

へえ〜、うらやましい。
私のような、裏通りの、
さらに路地裏の、怪しいそば屋には、
そのような若い方々はいらっしゃらないようで、、、。

なんて、ひがんではいけない。
そうやって、長野のそばが食べられることは、
喜ばしいことなのだ。

平日でも多くの参拝客で賑わう、
国宝、善光寺。
その周辺には、多くのそば屋さんがあり、
おおいに、賑わっているようだ。

うらやましいなあ〜。(こらこら!)

せっかく長野に来たのだから、
そばでも食べていこうか。
そういうお客さまが多いのだね。

そうして、皆さん、
ああ長野はそばがうまいなあ。
と満足して、帰っていただければうれしい限り。

ほとんどの方が、そうであれば、いいのだが。

しかしながら、時々、
せっかく長野に来たのだから、
そばを食べていこうか。
そういうお客さまもいらっしゃる。

えっ、
何が違うかって。

もう一度読み直していただきたい。
「そばでも食べる」と「そばを食べる」では、
明らかに、求めるものが違うのだ。

今、そばの世界は、急激に変わりつつある。
おいしいそばを求める人たちが、
増えていることは、事実なのだ。

さてさて、昔ながらの、参道のそば屋さん。
それぞれに、工夫を凝らしながらやっている。
がんばっているんだけれどなあ。
でもねえ、、、、。

先日来られたお客さまは、北海道の方。
はっきりとおっしゃった。
「長野のそば屋を、何軒か回ったけれど、
 札幌の方が、うまい店が多いです。」
ええっ、そうなのだろうか。

前に来られた大阪の人。
そば屋を探して、うちは三件目。
かなり怒っていた。
「せっかくの善光寺なのに、
 門前にろくなそば屋がない。」

東京から時々来られる年輩の方。
「今は、長野より、山形や茨城の方が、
 気に入るそば屋が多いですよ。」

地元の人。
「ああ、あの辺のそば屋は、
 高くてまずいだけだから、入らないね。」

ネットで調べてみると、
あらら、ずいぶん悪口が増えている。

せっかくの県外からのお客さま。
そういう方々を、喜ばせて帰してあげたいものだ。
そうしないと、
せっかくの「信州そば」のイメージが壊れてしまうのではないだろうか。

もちろん、
それぞれのそば屋もがんばっているのだけれど。
ええっ、「善光寺商法」っていう言葉があるんだ。
そうか、がんばる方向が、ちょっと違っているのかも。

なんて話は、また今度。


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2008年9月 4日 (木)

そばがうれしそうに尻尾を振っている。

犬や猫は、
犬好きや、猫好きの人が分かるそうだ。

私は、犬があまり好きではないのだが、
近所の犬などは、
私の姿を見ると、
懸命に尻尾を振って抱きついてくる。

ちょっと、頭をなでてやろうものならば、
喜んで、
頼まれもしないのに、私の顔を、
その舌で洗ってくれるのだ。

やっぱり、本当は動物好き、
犬好きであることがわかるのだね。

さて、
そばだって同じかもしれない。

こうして、毎日、
いろいろな方のそばの食べ方を見ていると、
心からそば好きの人なんだなあ、
と感じる方々がいる。

そういう方に出会うと、
そばもうれしいみたいで、
盛んに尻尾を振っているのが分かる。

そうして、自分から喜んで、口の中に入っていくのだ。

別に、食べ方がどうのって言う訳ではない。
そばのことを、よく知っておられる訳ではない。
でも、そば好きな人は、
その姿勢が違う、
視線が違う、
動きが違う。

そういうことに、
そばが敏感に反応して、
尻尾を振っているのだ。

たまに来られる「俄(にわか)」さんや、
頭が重い「通」さんや、
「ブリ」になれない「ハマチ」さんには、
そばは尻尾を振らないようだ。

そばは身体全体で食べるもの。
舌や、口や、稀に鼻や、
まして、頭や胃袋だけで食べるには、
スゴーッくもったいない。

今日も何人もの方に、
そばが尻尾を振って、
喜んで食べて食べていただいた。
ありがたいなあ。

あなたの食べるそば、
ほら、犬が振るみたいに、
尻尾を一生懸命に振っていますか?

それにしても、我が家の猫、
用事のある時にしか寄ってこない。
今朝も朝の4時に、
「腹減った」コール。
寝たふりをしていると、
この時ばかりは、身体をスリスリとしてくる。

まあ、都合のよい時にだけ、
尻尾を振るそば。
そういうのも、
無きにあらずではないけれど、、、、。


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2008年9月 2日 (火)

しっとりと大人のあじ「ミョウガ切り」

Myougaこの時期に穫れる、
おいしいもの。
ぷちぷち、シャキシャキ、
としていて、
ほろ苦い。
でも、味噌汁に入れたり、
刻んで、醬油をかけて、
ご飯と食べれば、
この上なく美味。

そう、ミョウガ。

我が家の草だらけの庭に、
探してみたら、これだけのミョウガが採れた。
草を押し分け、蚊の編隊飛行の攻撃をかわし、
土の上に、ぴょこっと飛び出した頭を探して、
地面を掘って取り出す。

もっとも、この仕事は、
我が家の収穫係の担当。
こうして採れたミョウガ。
店で、使わせていただかないわけにはいかない。

本日は、十割そばの夕べ。
みなさん、ご来店、ありがとうございました。

そこで、本日の変わりそばは、
このミョウガを使わせていただいた。
たっぷりと刻んだ、ミョウガを、
薬味に使ってそばを食べていただく、、、
、、ではない。
ミョウガを細かく刻み、
そばに打ち込んでみた。

前回の青じそ切りと同じく、
ひたすら、ひたすら、
包丁を使って、細かく刻み、
水にさらして灰汁を抜き、
さらに細かく叩いてそばに打ち込む。

Myougagiriそうして、
やっぱり、
ブツ切れになってしまったのは、
まだ、
刻み足りなかったのか。

あるお客さんいわく、
「全然わからないよ。
 腹が減っていたから、
 ぺろっと食べちゃった。」
すみません。
ミョウガは、たくさん食べると、
物忘れが多くなると言うでしょう。
だから、少々控えめに。
少なくとも、
お勘定は忘れない程度に。

でも、他のお客さまには好評だった。
「これ、気に入った。
 毎回、ミョウガにしよう。」
等と言う方も。
すみません、ミョウガは、今に季節にしか穫れないもので。

たしかに食べてみれば、
ふわっと、ミョウガ独特の香りが、
鼻先0.5ミリ先をただよう。
特に、後に残る、苦みのようなものが、
ミョウガそのものの味だ。

こういう打ちにくいそばも、
きれいに打てるようになることが、
私の課題。
太くすればいい、、というのは、
最後の手段だね。

今回も十割に一工夫。
今朝、皮を剥いてもらったそばの実を、
ミルミキサーで挽いて混ぜてみた。
こんな、仕事でも、
しっかりと、味が立っている。
こういう方向のそばもあるのかもしれない。

ということで、いろいろ実験させていただいている、
「十割そばの夕べ」
皆さん、ありがとうございます。


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