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2008年8月11日 (月)

飢饉を乗り切るもう一つの作物。

宮沢賢治の作品に
「グスコーブドリの伝記」というのがある。

その中で、主人公が世話になっていた農家で、
稲に見立てたオリザという作物が、
赤い斑点ができて、枯れてしまったことがあった。
病気になったのだ。

慌てて、そのオリザを刈り、
そばを植えて、その冬はそばばかり食べて過ごしたそうだ。

昔から、農作物は、
気候の変動や、病気のまん延などに悩まされて来た。
作物が採れないということは、
ほんのちょっと前の時代までは、
飢饉であり、人の生死に繋がる問題だった。

農業技師であった宮沢賢治は、
そういう、「飢え」のない世界を、
その作品の中で夢見ていたのだろう。

江戸時代にも、
何度も、気候変動による不作があり、
食べるものがなく、多くの人が亡くなった。

この不幸をなくすために、
さまざまな努力がなされた。

例えば、江戸時代半ば、
将軍吉宗の時代に、
青木昆陽が、サツマイモの栽培を試みている。
長崎から伝わったばかりのこの芋を、
茨城や千葉で栽培し、
その栽培法を民衆に広めた。

さて、江戸時代は終わりの頃。
その天才的なひらめきの故、
かえって波乱に富んだ人生を送った、
高野長英。

シーボルト門下では、
オランダ語の能力は、
群を抜き出ていたそうだ。

その人が考えた、
飢えに備えるための作物。
「救荒二物考」という書物に、
栽培法から、調理法まで、
詳しく書かれているらしい。

気候の変動に左右されることなく、
簡単に、早く収穫できるもの。

高野長英は、その一つとして、
「そば」をあげた。
これならば、米が不作の徴候を見せてからでも、
植えることができる。

そうして、もう一つは、、

なんだ、私にだってできる簡単な作物じゃないか。

そう、今では当たり前の食べ物
「ジャガイモ」を勧めたのだね。

Patata サツマイモと同じように、
長崎から入って来たのだが、
普及はだいぶ遅れたようだ。

このような、芋に、
なじみのない当時の人々に、
いかに、飢饉のための食べ物といっても、
なかなか、受け入れられなかったようだ。

しかしながら、
このジャガイモ。
後の日本の発展のためにも、
多くの役割を果たしたらしい。

さすが高野長英、
先見の明はあった。

しかしながら、
多くの人を飢えからすくった、
「そば」と「ジャガイモ」。
世界の歴史から見ても、
面白い話が、いっぱいあるんだね。

ということで、
しばらくは「ジャガイモ」の話。

今は、日本は石油飢饉になっているけれど、、、
先日の、自宅の灯油代の請求書を見て、
あぜん、、、、、、、!

きっとコウイウ時には、
お上が何かやってくれるよねっぇ。
ええっ!
なにもしないのぉ!!!!!


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