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2008年8月 8日 (金)

高野長英は幕末の蘭学者。

江戸時代の終わり頃に、
高野長英と言う蘭学者が居たそうだ。

蘭学者といっても、
花を研究したわけではない。

阿蘭陀と書いてオランダ。
つまり、当時、西洋との唯一の窓口であった、
オランダの言葉と、
西洋の事情に通じた学者のことのようだ。

高野長英は、
岩手出身ながら、
長崎のシーボルトの元で学び、
その成績は、抜群だったそうだ。
多くの翻訳や、執筆を行い、
当時の幕末の志士たちに、
大きな影響を与えたと言われている。

でも、この人の人生は、
まさに波乱に富んでいる。

江戸に塾を開き、
多くの門人を受け入れるが、
当時度々やって来た外国船を、
打ち払う幕府のやり方に、
ちょっと文句を言っただけで、無期投獄。

こりゃあ、たまらんと、
放火をさせて、ろうを脱獄。
以後各地を転々とするが、
最後は、江戸で、医者をひらく。

薬品で、顔を焼き、
別人に見えるようにしたという。
しかし、その見立ての正確さの評判が仇。
最後は、奉行所の捕り物に囲まれ、
自害したのだか、殺されたのだか。

あわれ、時代の風雲児。

この高野長英、
実は、そばの栽培を進める本を書いているのだ。
その名も「救荒二物考」。

そばならば、生育が早いので、
飢饉の時の食べ物として、
大いに推賞すべし、
ということらしい。

群馬で、早そばというものに出会い、
これならば、暖かいところならば、
年に二、三回栽培できるとして、
そばの栽培をすすめたそうだ。

その、料理法まで、詳しく説明したという。
中には、そばを使った、
「ビイル」の作り方もあるらしい。

これは、「そば」とはいいながら、
江戸の町中で流行っていたそばとは、
別の目で、語られたもの。
当時は、飢饉が、
切実な問題であり、
とりあえず、飢えをしのぐための作物づくりが、
大切なことだったのだろう。

その、飢えを防ぐために、
高野長英は、
栽培し易い二つの食物を提案したのだ。

一つは「そば」
これは、痩せた土地でも栽培できる。
さて、もう一つは?
時代は江戸時代末期、
さて、なんだろうなあ。


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