« 長野の人はそばを食べない? | トップページ | まだ、「信州そば」って何? »

2008年7月22日 (火)

そばなんか、金を払って食べるものじゃない。

私は東京生まれの東京育ち。
二十年ぐらい前、
ひょんなことから、長野に移り住んだ。
さあ、長野でおいしいそばを食べまくるぞ。

そうして、周りの人に聞きまくった。
「どこへ行ったら、おいしいそばが食べられるのかなあ。」

その答えが、私には、
しばらく意味不明だった。
「ああ、うちのばあちゃんが、元気な頃は、
よく作ってくれたけれどな。そのそばが一番うまい。」
「そりゃあ、やっぱり、○○(土地の名前)のそばさ。
 親戚がいるんで、よく粉を貰って食べた。」

私は、おいしいそば屋はどこか、
そう、聞いたつもりだったけれど、
何か会話が噛み合ない。

それじゃ一緒にそば屋に行こうと誘ったら、
「そば屋に行くって?
 いいよ、そばなんて、
 金払ってまで食べようと思わないから。」

ええっ、そばって、そば屋でお金を払って食べるものではないの?

ここで、居酒屋時代のお客さん、
設備屋の社長さんが登場。
まだまだ50代後半の社長さんは、
長野市から、少し入った山の中の出身。
「そばなんて、子供の頃、
 散々喰わされたので、今さら食べたいと思わないね。
 蚕の食べる桑の葉を採りにいかされて、
 腹空かせて家に帰れば、
 おふくろがそばを打っている。
 白いご飯が、どれだけ食べたかったものか。」

60代の土建屋さんの話。
市内の農家のご出身。
「いや、そばは、家のばあ様が作ってくれた。
 何かの行事があると、臼を取り出して、
 一日中背中を丸めて挽いていたな。
 そのそばが、うまかった。
 いまさら、他のそばなんか喰えないよ。」

50代のリンゴ農家の方の話。
「一番山の上の畑で、そばを作っているんだ。
 それを農協で粉にしてもらって、
 時々、自分で打って食べているんだ。
 ええっ、そばなんか、
 わざわざ店に行って喰うもんじゃないさ。
 どうせなら、他のものを食べるね。」

そう、長野では、
伊達や酔狂でそばが食べられていたわけではないのだ。
暮らしの中の、必要な食べ物として、
そばがあったようだ。

今でこそ、自分の家で、
そばを作る家は少なくなったが、
少し前までは、それが当たり前だった。

僅かな空き地でもあればそばを栽培し、
そばが打てなければ、農家の嫁として、
一人前と認められなかった時代が、
ごく最近まで続いていたのだ。

だから、長野人の胸の中には、
そばに対するさまざまな想いが溢れている。
ある人にとっては「貧しさ」の象徴であり、
ある人にとっては「家族の暖かさ」の思い出であったりする。

わたしが、たとえ、
どんなにおいしいそばを作ったとしても、
そういう「想い」には、
到底、かなわない。

「信州そば」というのは、
そういう、暮らしの中で育まれて来たもの。
都会のそば屋めぐりをして、
「うまい」とか「粋」だとか言う、
そういう感覚とは、
別のところで育って来たものなんだね。

でも、
せっかくの「信州そば」。
やっぱり、多くの人に味わっていただきたいなあ。

で、まだまだ続く、長野とそばの話、、、、。


→→→人気blogランキングへ

|

« 長野の人はそばを食べない? | トップページ | まだ、「信州そば」って何? »

コメント

ご無沙汰してます!
久々に覗きました(笑)
生ビール入ったんですね~(*≧∇≦)ノ
この前、県外のキリンの直営店へ行ったんですけど、
そのコンモリした泡にびっくりしましたもの。
まだマルの調子が良くなく;;
(ただの自己的過保護ですが;)
そろそろ…そろそろねぇ(苦笑)
お蕎麦恋しくなる頃です♪

投稿: Jun | 2008年7月23日 (水) 08時38分

Jun さん、こんにちは。
お久しぶりです。
あれ、まだまだマルの調子が戻りませんか。
天ぷら屋でメンテナンスをしようという企画をしている人も居ますが。
まあ、とりあえず、天ぷら抜きのお蕎麦でもどうぞ。

投稿: かんだた | 2008年7月24日 (木) 07時49分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 長野の人はそばを食べない? | トップページ | まだ、「信州そば」って何? »