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2008年3月 9日 (日)

お盆は便利だけれど。

私は、十代の頃、
学校の寮で過ごしたことがある。
年齢で言えば15才から18才。
一番食べ盛りの年代だ。

当然のごとく、食事は寮の食堂で、
三食を食べることになる。
腹ぺこの餓鬼どもが百数十人も居るのだ。
食事を三度三度作るのも、
大変だったに違いない。

そんなことを知らない空腹の私達は、
食堂に入ると、
まず積み上げられている四角いお盆を手にする。
三つにへこみを作った樹脂製のお皿に、
その日のおかずが盛られていて、
カウンターに並んでいる。
とにかくその中で、一番量の多そうな皿をとり、
おばちゃんの注いでくれるみそ汁を受け取り、
大テーブルに置かれたお櫃から、
ご飯を自分で盛り、
お盆を持って、空いている席を探して、
ひたすら食物を摂取するのだ。

毎日、四角いお盆と、
三つに割れた皿と、
やはり樹脂製の丼と椀。
それでも、大切な食事だった。
授業の都合や、クラブ活動などで、
寮の食事の時間に遅れでもしようものなら、
シベリアの凍れる大地に取り残されたような、
つらい、厳しい思いをしなければならなかったのだから。

けっして、その時の食事が不味かったわけではない。
うまい、不味いなどというより、
目の前の空腹の方が、大きかった年代だった。
でも、四角いお盆を前にして、
何か、物足りなさを感じていたのも確かだった。

若い時の、ちょっとした想いというのは、
後を引くこともあるようだ。

今でも、食事に行って、
「はい、どうぞ」といって、
お盆で出されると、
ちょっと、
ほんのちょっとだけれども、
残念な気がする。

旅館に行って、
食事はお部屋でサービス出来ますというので、
期待していると、
ワゴンで運んできた大きなお盆を、
目の前に置かれたりする。

ランチタイムのレストランでも、
ウエイトレスが、
ポンと投げるようにお盆を置いて、
「ああ、忙しい。」という表情で行ってしまう。

そば屋でも、そばを頼むと、
やがて、待ってましたとばかり、
そばつゆから、薬味から、
そばも、ひどいときにはそば湯まで、
一緒に、お盆ごとドドンと出されることがある。

確かに、その方が、一度に運べていいのだけれど。
盛り付けを崩す心配もないし。
あらかじめ用意しておけるし、、、、。

でも、
ちょっと寂しい。

人は、さまざまな「想い」があるのだろう。
人それぞれの、そんな、気持ちを、
汲み取ってあげることが出来るようになりたいが、、、。

ちなみに、「かんだた」では、
スタッフが、苦労して、階段を上り下りして、
料理を運んでいる。
ポンッとお盆で出せば、
もっと楽なのかもしれないが。


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