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2007年11月 4日 (日)

何気なく歩く石畳だけれど。

「落ち葉」とか「枯葉」という言葉は、
ある種の情景を呼び起こすみたいで、
歌の文句にもよく使われている。

ちょっと思い出したって、
そんな歌詞の浮かぶ曲がある。
五輪真弓の「恋人よ」、
はしだのりひことシューベルツの「風」、
ガロの「学生街の喫茶店」、、、

えっ、どこの国の歌だって?
ちょっと古いなあ。
最近の曲でも、
「落ち葉」や「枯葉」の出て来る曲があるのだろうか。

さて、表参道から善光寺への参道に入ると、
びっしりと敷き詰められた石畳の道となる。
これが、仁王門、仲見世、三門へと続いている。

この敷石の枚数、全部で7777枚あるそうな。
これだけ敷きつめるのも、大変だったのだろうなあ。

でも、これは、ある個人によって、
寄進されたものなのだ。
善光寺の本堂が再建されてから、
数年後の1714年、
江戸の大竹屋平兵衛という人が、
ぬかるみに難儀している参拝者の姿を見て、
大枚を差し出したのだ。

実は、この平兵衛さん、
人の世の、深い無常感を背負っていた。

この人は、江戸で商売に成功したが、
放蕩息子がいて、家に寄り付かない。
あるとき、家に賊が入ったので、
平兵衛さん、思わず槍で突き殺してしまった。
そして、その殺した賊を見てみると、
なんと、わが子だったのだ。

Sikiisi 人生のはかなさを感じてしまった平兵衛さんは、
以後、仏門に入って生涯を過ごしたのだ。

その人の哀しみが、
今も、善光寺の参道の石畳となって、
私達を助けているんだね。

何気ない町の風景の中にも、
はかなさや、無常を感じてしまった人たちの、
ちょっとした足跡が残されている。

落ち葉の舞う季節、
そんな感傷を拾いながら、
町を歩いてみるのもいかがだろうか。

そして、そんな、人たちの想いを感じながら、
ズズッと新そばを手繰ろう。

やっぱり、最後はこうこなくっちゃ。


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