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2007年11月30日 (金)

大きすぎるものは、目に見えない。

昔に聞いた法話の一つ。

あるとき、お釈迦様は、
盲人たちにお尋ねになった。
「お前達は、ゾウを知っているか。」

盲人たちは答えた。
「話には聞いているが、
 私達は目が見えないので、
 それがどんなものか知りません。」

あわれに思ったお釈迦様は、
一頭の大きなゾウを、
盲人たちの前に連れてきた。
そして、おっしゃった。
「さあ、実際に手を触れてみるがいい。」

盲人たちは、手探りで、
ゾウをなで回した。

そのあとで、お釈迦様は、
彼らにお聞きになった。
「ゾウというのは、どういうものものかな。」

「柱のようなものでございます。」
一人の盲人が答えた。
彼は、ゾウの足に触っていたのだ。

「ヒモのようなものです。」
他の盲人が答えた。
彼は、ゾウの尻尾に触っていたのだ。

「柔らかい板のようなものです。」
違う盲人が答えた。
彼は、ゾウの耳に触っていたのだ。

他の盲人も、
ゾウとは、筒のようなものだ、
壁のようなものだと、
いろいろなことをいう。

そのうちに、
「ゾウとは柱のようなものだ。
お前には、分からなかったのか。」
「何いっている。
ゾウとはひものようなものだ。
俺はこの手で確かめたのだから。」
「馬鹿なことをいうな。
ゾウっていうのは、平たい板のようなものだ。」

盲人たちは、口々にそういって、
言い争いを始めたのだ。

お釈迦様はそれを見て、
とても深いため息をついたのであった、、、、、

というような話だったと思う。

私達は、「そば」という大きな世界の前で、
この盲人に等しいのかもしれない。

「そばは●●に限る。」
「そばは××でなければいけない。」
「そばというのは、△△なのだ。」

最近、どうもそういう話を聞かされて、
食傷ぎみ。
もっともっと、
大きな目で「そば」の世界を見て頂けたらなあ、、、
と思うのだ。

かくいう私、
偉そうなことを言っているけれど、
実は、ゾウの鼻毛にぶら下がっているだけなのかもしれない。

「そば」の前では、私達は皆、
盲人なのかもしれない。
そして、盲人にしてしまうぐらい、
魅力的な世界なのかもしれないね。


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2007年11月26日 (月)

病気になって、苦労する人はだれ?

この連休は、花火大会もあり、
予想以上のお客さまに来て頂いて、
ありがとうございました。
私のような路地裏の分かりにくい店まで、
観光客の方々が来るということは、
きっと、表通りの店は、
行列でいっぱいだったのだろうなあ。

そのおかげで、あっという間にそばが終わってしまい、
多くの方にご迷惑をおかけしてしまった。

わざわざお越し頂いた常連の皆様、
申し訳ございませんでした。
Kさん、Wさん、おことわりしてすみません。
Tさん、Nさん、ご無理を言ってすみません。
わざわざ、次の日にまた来て頂いたYさん。
皆様に、この場を借りて、
お詫びいたします。

さて、
引き続き、ガンのお話し。

ガンにならないためには、
自分の生きる力を強くすることが、
大切だという話し。

ごく、身近な人にも、
抗ガン剤を使わずに、ガンを乗り越えた人がいる。

その人なんか、絶対に病気とは縁のない人だと思っていた。
だって、彫り物などをやりながら、
好きなように生きている人だもの。

って、周りからは見えるけれど、
本人は、それなりに苦労はしているのだろう。

でも、それなりに気丈な性格。
多少お腹の具合が悪いのを、
つい我慢してしまった。
だから、入院した時には、
かなりひどい状態で、ガンが進行していた。

何回かの手術を受けたが、
勉強家の彼は、医者を質問攻めにしたそうだ。
そうして、医者任せにするのではなく、
自らの意志で生きることにしたそうだ。

山の中にある工房に籠り、
ひたすらノミをふるって、
彫り物に集中した。
そうして、ガンが再発することなく、
目安といわれる五年間を乗り切ったのだ。

データーによると、
74才までに、
男性は4人に一人が、
女性は6人に一人が、
ガンにかかるそうだ。

ガンは、早い時期に発見されれば、
大きなダメージもなく過ごせる。
だから、そういう検査をすることが大切。

我が家の同居人だって、
今でこそ、ケロッとしているが、
放っておいたならば、どうなっていたか分からないのだ。

よく、
俺は元気だから、
私は異常ないから、と言って、
検査を受けない人もいるが、
そりゃあ、言っている本人はいい。
たとえ、ガンになったとしても、
自分だけ、う〜んと苦しんで死んでいけばいいだけのことだ。

でも、でも、
一番苦しむのは、
毎日辛い思いをしなければならないのは、
周りの人たちなのではないだろうか。
家族であり、
恋人であり、
その人に関わった人たちなのではないだろうか。


ガンに限らず、
病気になるには、
それなりの道筋があるようだ。

病気になったら、
医者に直してもらえばいい、
××を飲めばいい、
ということではなく、
病気にならない生き方を、
しなければならないのかもしれない。

う〜ん、こういう話をすると、
つい力がはいっていしまうなあ。

だから、そばを食べていれば、
病気にならないかって、
そんなことではない。
もっと、基本的なところで、
生き方の形を選ばないと。

私は、
私のそばを食べて、
みんな元気に、
生きてもらいたいなあ、
と思っているだけ。

そばを食べて長生きできるかって?

これだけは言えるねえ。
私のそばを食べていれば、
「死ぬまで長生きできる。」
ってね。


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2007年11月22日 (木)

マガンは天然記念物。ガンは天然ではない。

今日は、雪がちらつき、
いよいよ、こんな季節がやって来たんだなあ、
と実感した。
今までが暖かかったので、
ちょっと、心の準備がで来ていなかったようだ。

Kamo 裾花川の河原には、
また鴨が群れている。
北の国からやって来た彼らには、
長野は暖かいのだろうなあ。

鴨よりひとまわり大きいガンは、
さすがに、こんな町中の川にはやってこない。
今や、ガンは、だいぶ数が少なくなり、
準絶滅危惧種にも指定されているそうだ。

人間のガンも絶滅の危機にあればいいのだが、
こっちはしっかりと、はびこっているらしい。

この夏、帰りがけの路上で、
声をかけられた。
見ると、外国暮らしをしているT氏ではないか。
十年近く会っていなかった。
たまたま数日、長野の実家に戻ってきたという。

これは偶然と、近くの店で話を聞いた。
以前よりげっそりと痩せた彼の姿に、
聞けば、3年ほど前に、
大腸ガンの手術をしたというのだ。

検査は、住んでいる国でやったのだが、
さすが手術するとなると、
日本に戻って来てしたという。

手術後、抗ガン剤の治療を受けたが、
その強さに参ってしまった。

「薬を打てばガンは死ぬかもしれないが、
その前に、俺の身体が駄目になってしまう。」

そう感じた彼は、抗ガン剤に頼らない方法を求めて、
いろいろな医者に行ったそうだ。
でも、二言目には、お金の話をする医者が多いことに、
深い不信感を覚えたそうだ。

日本の常識が通じない、
外国で生きてきた彼は、
人を見る目が鋭い。
結局、信頼に足る医者は見つからなかったのだね。

そうして、身体が重く感じてしょうがないので、
ある整体師のところで、治療を受けた。
そうしたら、何か、
身体が気持ちがいい。

その時に、ふっと気付いたそうだ。

そうだ、身体に気持ちのいいことをしていけば、
自分自身の力で、病気を防げるのではないか。

そう考えると、
すごく楽になったという。
今までは、医者に頼ろうとしたり、
薬に頼ろうとしたりしていた。
でも、自分自身が元気ならば、
病気なんか、
そお、ガンさえも寄り付かなくなるのではないか。

そうして、沈んだ心を一掃し、
日々、気持ち良く暮らすことを心掛けているそうだ。
もちろん、食べ物も野菜中心に切り替え、
酒もタバコもやめてね。

だから、検査をする医師が驚くぐらい、
元気なのだそうだ。

なるほど、
そういう方法もあるんだね。
自分の、自分自身の力を信じて、
自分の力で生きているんだ。

病気になるというのは、
必ず、それまでに、
長かったり、あるいは短かったりするけれど、
それなりの道筋があるようだ。

そういう道筋を歩かないように、
自分自身を、
自分の生活を、
見直してみることが、大切なのかもしれない。

こういう話は、
宗教がかっていて苦手だけれど、
身近で聞かされると、
う〜〜〜ン、、と唸ってしまう。

とりあえず、
ずずっとそばをたぐるのが、
気持ちがいいかなあ、
私の場合。


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2007年11月19日 (月)

山好きの先輩だった。

今日は、ちょっと、
というか、かなり有名な方が、
そばを食べにみえた。
長野でコンサートがあったのだね。
私のそばが、
ステージでパワーになれば、うれしい限り。

ということで、前回に続きガンの話。

若い頃の、仕事の先輩が、
ガンで亡くなっている。

その先輩は、山が好きだったので、
一緒に、丹沢や、
群馬の山に登りにいったことがあった。
私とは対照的に、穏やかな方だった。

結婚されて、
幸せな生活をされていると思っていたら、
入院したとの話を聞いた。
見舞いにいくと、
思ったより元気そうで、
アゴの下に出来たこぶを、取り除いたのだそうだ。

実はそれが、
ガンの一種のリンパ腫だったのだ。
それから、長い、闘病生活が始まった。

抗ガン剤を使うとともに、
身体にできる肉腫を、
切り取ったり、放射線を当てたりした。

そうして、何年かそれを続けた先輩は気付いた。
これは、まるで、ガンが姿を現すのを待って、
退治するだけの、
いわば「モグラ叩き」ではないか。
もっと、根本的に、
ガンを退治する方法はないのだろうか。

そうして主治医を変え、
身体の免疫力を高める治療に、
専念することにしたのだ。

食べ物は、古来からある食べ物、
いわゆる自然食をとるように心掛け、
大量のビタミン剤を飲んだ。
日々、ストレスを溜めない、
規則正しい生活をするようにしたそうだ。

一時は、それで元気になったようにみえた。
でも、
やっぱり、それでは遅すぎたのだね。
一番できてはいけない場所に、
ガンが再発し、
ついに、四十そこそこの歳で、
この世を去ることになったのだ。

かわいそうなのは、
残された、奥さんと娘さんだった。
幸せな結婚生活は、
ほんの二、三年、
あとの十年近くを、
その先輩のガンとの戦いに付き合った、
奥さんの苦労は、測り知れないものだったろう。

最後に、その先輩と会ったのは、
千葉の、ある寿司屋だった。
私が東京を離れてしまったので、
なかなか会う機会がなかったのだ。

やっと復帰した職場の昼休み。
酒も飲まずに、寿司を食べて話し込んだ。

その話の中で、
先輩がぽつりと言った。
「もっと、若い頃から、
食べ物に気をつけていればなあ。」

その先輩は、家庭の事情があり、
高校生の頃から、弟さんと二人で暮らしていた。
食べるものと言えば、
そう、インスタント食品ばかり。
そういう生活が、
結婚するまで続いていたのだ。

人の免疫力を高める食事を取ることが大切。
この時の先輩の言葉が忘れられない。

以降、私は食べ物にすごく気を使うようになった。
無農薬で野菜を栽培するようになり、
添加物の多い食品は、
できるだけ口にしないようにしている。

かくいう私も、
若いうちに家を出てしまったので、
インスタント食品や、外食で命を保ってきたのだ。

だから、
だからこそ、
食べるものを、
よく選ばなければいけないのかも知れない。

よく分からないが、
そばならば、
きっと、身体には、
元気な力を与えてくれるものだと信じている。

それゆえ、自分でも食べるし、
他の人にもすすめたいのだ。

自分の生きる力を高める。
そう、免疫力を高めること。
それで、ガンを乗り切った人もいるんだね。
そういう人の話は、
また今度。


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2007年11月17日 (土)

どうして、早くこないのかと怒られた。

国立がんセンターの統計によると、
ガンにかかった人を、
部位別に見ると、
男性は一番が胃ガン、ついで大腸ガン、肺ガンの順、
女性は一番が大腸ガンで、次に乳ガン、胃ガンとなっている。

へえ、女性の方が、ガンが出来るとすると、
大腸に出来やすいのだね。

大腸ガンの検査には、
簡単な方法があって、
便の中に血が混じっているかを調べると、
かなりの確率で、ガンが見つかるそうだ。

さて、我が家の同居人。
市民検診の時に、オプションになっている、
この大腸ガン検査を、
受けるようにいっても、
なかなかやらない。
あるとき、やっとその検査をしたら、
しばらくして通知がきた。

おめでとうございます、
見事に大当たり!
とは、書いてなかったが、
専門医で、内視鏡検査を受けるように指示される。

ところが彼女、
なかなか医者に行かない。

だって、なんともないから、、、。
時間がないから、、、、、。
病院は混んでいるから、、、、、。

そうして先延ばしすること一年近く。
やっと、一番暇そうな医者を探して、
検査を受けさせた。

そしたら、ここでも大当たり!
見事なガンが見つかった。
そこで病院を紹介してもらい、
腸閉塞寸前ということですぐに入院。
そして手術。

医者にいわせると、
お腹を開いて、
大腸のガンの部分をチョキンと切って、
あとを縫い合わせるだけのことらしい。

切り取った腸を見せてもらったが、
なるほど、大きな赤いできもののようなものが、
ピンク色の内壁から盛り上がっている。
かなりの大きさだ。

幸いなことに、
そのガンの大きさの割には、
転移もなく、
つらい抗ガン剤治療もしなくて済んだ。

だから、今は、ケロッとしている。

それでも、検査で気付いて良かったのだ。
たいていの人は、腸閉塞になったり、
痛みなどの症状が出てきてから病院へ行く。
それでは、処置が大変なのだそうだ。
あのまま、放っておけば、
大変なことになっていたろう。

医者に、大腸ガンが増えている原因をきいたら、
やっぱり、食べ物の欧米化をあげていた。
つまり、肉や牛乳などを、
多く取るようになったからだろう。
いや、それらが悪いわけではない。
そういう食事に偏ることがいけないのだろうね。

まあ、大腸のためにも、
自然の食べ物、
そばを手繰ろう。

って、なんの根拠もないけれど、
そばなら、おなかに優しい気がする。

でも、この病気に苦しんでいる人たちは、
身近にもたくさんいるんだ。
ということで、まだまだ続くガンの話。


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2007年11月15日 (木)

「所見なし」ってどういう意味なのだろう。

先月に受けた市民検診の一つ、
胃ガン検診の結果の通知がきた。
中を見ると、
「所見はありません。」
とある。

これはいったい、どういう意味なのか、
一瞬、戸惑ってしまった。
お役所というのは、
未だに不思議な言葉を使うものだ。

サラリーマンの方であれば、
毎年、会社で、強制的に検診を受けられるのであるが、
私のような自営業は、
自分から、時間をやりくりして、
受けにいかなければならない。
私は、通常の健康診断のほかに、
肺ガンや、大腸ガン、
そして、この胃ガンなどの検診を、
出来るだけ受けるようにしている。

そんなにまでして、お前は長生きしたいのか?
と聞かれそうだが、
別に、そんなつもりはない。
ただ、ガンのような、
死ぬまでに時間がかかり、
苦しまなくてはいけないような病気に、
かかりたくないのだ。

ところで、胃ガンの検診は、
受ける方もなかなか忙しい。
バスの後ろの狭い場所で上着を脱ぎ、
鏡の前に立って、薬を飲まされる。
白いバリウムには、
ちょっと甘い匂いが付けられているが、
これをコップ一杯飲むのは、ちょっと大変だ。

ゲップをしないで下さいと、言われても、
胃が膨らむのが分かるので、
なかなか難しい。

レントゲン室に入って、台の上に立つと、
その台がぐるぐると動く。
挙げ句に、こっちの身体まで、
右を向け、左を向け、一回転しろと注文がうるさい。
おっとっと、台が逆さまになるんじゃないの。
と、ちょっと遊園地の乗り物気分。

着替えてから、貰った下剤を飲んで、
はい終了。
一月後に、最初のような通知が届くのだ。

手間がかかるけれど、
こういう検査を受けておけば、
まあ、いくらかは安心なのだろう。

今日見えたご年配のお客さま、
お二人とも、胃ガンで、
胃を取られたそうだ。
けっこう多いのだね、
そういう方が。

胃を取られても、
そばなら、食べられるとか。

胃を取った人も、
まだ取っていない人も、
ずずっと、そばを手繰ろう。

でも、実は、
我が家の同居人も、
ガンをお腹の中に飼っていたのだ、、、、
という話は、
また今度。


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2007年11月12日 (月)

そば湯を掻き混ぜて飲むのは、、。

近頃は「みっともない」という言葉は、
あまり使われないのだろうか。
私は子供の頃、
周囲の大人たちに、
よくこの言葉で諭さされた。

「みっともない」とは、
他人から見て、恥ずかしく映る、
自分の姿のことなのだろう。
昔の人は、
他人の目を、けっこう気にしていたのだね。

そんな、言葉で注意された、
子供の時の私。
そば屋で出てきた、
そば湯の入った湯桶を振って遊んでいたら、
そんなみっともないことをするな、
と叱られた。
別の親戚筋の人が、
そば湯を揺すって飲むのは、
乞食のすることだ、
と幼い私を戒めた。

なるほど、そば湯の底に沈んでいるカスまで飲もうというのは、
はしたないことなのだ。
そう、私は理解した。

大きくなってからも、
ある年配の人と、そばを食べた時に言われた。
「君ぃ、どうして、湯桶の口は、途中から出ているか知っているかい。」

ええっ、急にそんなこと言われても、
分かりません。

「お茶の急須は、底の方から口が出ているだろう。」
はい、なるほど。
「でも、そば湯の湯桶は、桶の真ん中辺りから口が出ている。」
はい、その通りです。
「なぜだか分かるかね。」
はい、わかりません。

「いいかい、そば湯というのは、
本来、上澄みを飲むものなのだ。
 でも、忙しい時にそば湯を汲めば、
どうしてもオリが一緒に入ってしまう。
 だから、湯桶に入れて、沈んだオリが入らないように、
真ん中から口が出ているのだ。」
ははあ。
「そば湯は、こうして、静かに、
済んだ上澄みを飲むものなのだ。」
はい、なるほど。

太陽と地球が回って、
あれから、遥かな時間が経って、
地上には、あの時代とまったく違う生物が君臨している。

そば湯を揺すって飲むのは当たり前、
あれ、中には、箸で掻き回している人がいる。
今度、そば湯用のマドラーを開発しなければ。

「みっともない」と言いながら、
シャッキッと生きた人たちの時代から、
「貰えるものは何でも貰ってしまえ」という、
ガッチリ、シッカリとした人たちの時代になったんだね。

ええ、お前は、
世の中、乞食みたいな人が増えたって、
言いたいんだろうって?

そ、そんな。
そんなことは、ありませんよ。
そんなことは、たとえ頭の中で思ったとしても、
書いたり言ったりしませんよ。

えっ、言ってるって。


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2007年11月10日 (土)

うどん湯と言うのは聞かないが。

子供の頃入った近くのそば屋で、
こんなことを言っている大人たちがいいた。

「なんだ、このそば湯は。濃すぎるじゃねえか。」
「おい、こんな濃いそば湯でそばを茹でやがって。」

「そば湯」というのは、
そばを茹でた釜の湯のこと。
そばを茹でた後に、
湯桶(ゆとう)に入れられて、
席に置かれる。

これを、そば猪口に残ったそば汁に注ぎ、
ついでに、残しておいた薬味のネギを入れて、
吸い物を味わうようにして飲むというのが、
そば通と言われる人たちの習慣。

さて、そば釜の中の湯は、
そばを茹でていくにつれて、
だんだんと、濁ってくる。
これは、そばに付いた打ち粉が落ちるのと、
そばの成分が、いくらか溶け出すためらしい。

そうして、濃く濁った湯になると、
そばは固いままで膨らまず、
よく茹でられないようになってしまう。

だから、そばを茹でるときには、
お湯の濃度に気を配り、
こまめにお湯を替えていくのだ。

「そば湯」が濃いというのは、
そういう仕事をおろそかにしていること。
だから、そば通の人たちは、
職人の仕事を、
「そば湯」を通して見張っていたのだね。

いわば「そば湯」というのは、
こういう湯で、そばを茹でましたよっていう、
職人の示す証明だったのだ。

私もくれぐれも、濃い「そば湯」を
お出ししないようにしよう、、、、、、と、
思っていたら、、、、、。

「おおい、そば湯が薄いよ。
 もっと、たっぷりと濃い奴をくれよ。」
という方が増えてきた。

本来は、汁のだしの味を楽しんだ「そば湯」だけれど、
そばそのものの味を「そば湯」で楽しむ方が、
増えてきたようだ。

う〜ん。
これは、喜ぶべきか、悲しむべきか。

ということで「そば湯」は
本来の、そばの抜き湯、つまりゆで汁から、
そば粉の溶き汁に変わろうとしている。

そば湯についての、お客さまの見方が、
昔と変わってきているんだなあ。

「そば湯」についていえば、
こんなことも平気になったなあ。
昔は「乞食みたいだ。」っていわれたものだけど。
という話は、また今度。


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2007年11月 8日 (木)

さら湯で茹でたそばは、どうしていけないの。

昔、そば打ちを教わった人に、
さら湯で茹でたそばは、
お客様に出していけない、と言われた。
つまり、新しいお湯で茹でたそばは、
茹で方が安定しないから、
商売してはいけないというのだ。

へえ、そうなのかなあ。
なんでだか、よく分からないが、
つい、そうする習慣ができてしまった。

だから、釜に沸かした、
新しい湯で茹でるのは、
自分の味見用。
間に合わない時には、
そばを打った時の切れ端をとっておいて、
捨て茹でをしてから、
お客さまのそばを茹でる。

どこが違うのかなあ。
新しい湯で茹でたそばと、
使った湯で茹でたそばと。

新しい、薄い湯で茹でるときは、
ちょっと、短めの時間で茹であがる。
濃くなったそば湯で茹でると、
心持ち長めになる。

そんなことは、そば屋の常識といってしまえば、
それまでだけれど。

Yuderu 恥ずかしながら、やっと最近、
そんな、茹で加減の違いを、
感ずるようになった。
新しい湯と、使った湯と。

私も、最初の頃は、
そばを踊らせて茹でていたでけど、
今では、そばを遊ばせるようにしている。

どこがちがうかって。
そばの膨らみ、
食感。

香りや味ばかりでない、そばの世界。
たかが、茹で方一つで、
変わってしまうものもあるのだ。

で、その茹でたお湯、そば湯の話は
また、次回に。

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2007年11月 6日 (火)

一時はブームになった食べ物を。

本日は、恒例の十割そばの夕べ。
皆さん御参加ありがとうございました。

さて、今回は、
新そばになってからの、初めての会ということで、
そばを楽しんでいただけただろうか。

というより、
変わりそばの方の印象が強すぎたようだ。

Ukonngiri いったい何ののだ、
この強い色は。

食べた方いわく、
「漢方薬の味がする。」
とか、
「苦いような気がするけど。」
とか、
言われっぱなしだったね、
今回は。

いえいえ、ずいぶんと、お酒を召し上がる方が多いので、
皆様の肝臓のことを考えて、、、、。

でも、ちょっと、入れ過ぎだったかな。

ご家族連れで見えた男の子、
「抹茶のようでおいしい。」
と食べて頂いた。

えっ、少数意見だって。

「こういうことに、チャレンジするのが偉い。」
と、ほめられたのだか、慰められたのだか、
よく分からないお言葉も。

すみません。
今回は「うこん切り」。
次回は、もう少し、ましなものを考えなかれば。

皆さん、実験台になって下さい。


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2007年11月 4日 (日)

何気なく歩く石畳だけれど。

「落ち葉」とか「枯葉」という言葉は、
ある種の情景を呼び起こすみたいで、
歌の文句にもよく使われている。

ちょっと思い出したって、
そんな歌詞の浮かぶ曲がある。
五輪真弓の「恋人よ」、
はしだのりひことシューベルツの「風」、
ガロの「学生街の喫茶店」、、、

えっ、どこの国の歌だって?
ちょっと古いなあ。
最近の曲でも、
「落ち葉」や「枯葉」の出て来る曲があるのだろうか。

さて、表参道から善光寺への参道に入ると、
びっしりと敷き詰められた石畳の道となる。
これが、仁王門、仲見世、三門へと続いている。

この敷石の枚数、全部で7777枚あるそうな。
これだけ敷きつめるのも、大変だったのだろうなあ。

でも、これは、ある個人によって、
寄進されたものなのだ。
善光寺の本堂が再建されてから、
数年後の1714年、
江戸の大竹屋平兵衛という人が、
ぬかるみに難儀している参拝者の姿を見て、
大枚を差し出したのだ。

実は、この平兵衛さん、
人の世の、深い無常感を背負っていた。

この人は、江戸で商売に成功したが、
放蕩息子がいて、家に寄り付かない。
あるとき、家に賊が入ったので、
平兵衛さん、思わず槍で突き殺してしまった。
そして、その殺した賊を見てみると、
なんと、わが子だったのだ。

Sikiisi 人生のはかなさを感じてしまった平兵衛さんは、
以後、仏門に入って生涯を過ごしたのだ。

その人の哀しみが、
今も、善光寺の参道の石畳となって、
私達を助けているんだね。

何気ない町の風景の中にも、
はかなさや、無常を感じてしまった人たちの、
ちょっとした足跡が残されている。

落ち葉の舞う季節、
そんな感傷を拾いながら、
町を歩いてみるのもいかがだろうか。

そして、そんな、人たちの想いを感じながら、
ズズッと新そばを手繰ろう。

やっぱり、最後はこうこなくっちゃ。


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2007年11月 3日 (土)

この石のある辺りを岩石町と呼ぶ。

落ち葉が街を舞うようになると、
何となくシャンソンの「枯葉」のメロディが、
頭に浮かぶ。

ジュリエット・グレコが歌って、
有名になったこの曲だけれど、
私はジャズで聞くのが好き。

ジャズで「枯葉」といえば、
大御所のマイルス・デイヴィスのものが有名。
音量を抑えた、トランペットの音は、
心にすっとしみ入ってくる。

パパパッパ〜、パパパッパ〜、
ここで舞う枯葉は、
ちょっと感傷的な、
それでいてどこか軽妙な響きがある。
マイルスも、キャノンボール・アダレイも、
もう亡くなってからだいぶ経つけれど、
こうして、いい音だけは残っているのだね。

そうして、800年前の人の話も、
長野の街に残っている。
やはり、人生に無常を感じてしまった人のお話。

「曽我兄弟の仇討ち」といえば、
こういう話が好きだった、
昔の人たちによって、ずっと語り継がれてきたお話。

鎌倉幕府を開いた源頼朝が、富士で狩りをした時に、
それに乗じて、
親の敵を打ち遂げた、若き兄弟がいた。

それが、曽我十朗、五郎だった。
親の仇討ちを成し遂げた彼らは、
その場で殺されてしまう。
あわれ、若き兄弟よ。

敵討ちを生涯の目標としていた彼らには、
家族はなかった。
でも、兄十朗には、恋人がいたのだ。
その恋人こそ、大磯の「虎御前」。

曽我兄弟が死んだとき、
まだ十九才の花盛り。
それでも彼女は、
残りの一生を、
亡き恋人、曽我十朗の菩提を弔うために、
過ごすことに決めるのだ。

虎御前は、善光寺にもやってきて、
庵を結び、何年かを過ごした。
その庵は、同じ志の尼僧によって引き継がれ、
つい最近まであったという。

Toragatuka 表参道から少し入った路地裏に、
ぽつんと一つの石が置かれている。
地元の人以外、ほとんど通ることのない道。
そこに置かれている石が「虎が塚」。
この下には、
曽我十朗と、虎御前の遺品が埋められているそうな。
ええと、
鎌倉時代の話だよ。

恋してしまった男は、
親の敵に、復しゅうの炎を燃やす男。
いつかは、そうなることを知りながら、
運命に逆らえなかった女のさが。
そういう心情に、共感する人たちがあったから、
この話は伝えられ、
そして、この石は、
片づけられもせずに、
長野の街の路地裏に、しっかりと置かれているのだ。

俳句の世界では、
「虎が雨」なんて季語があったっけ。
旧暦の5月28日、
つまり、曽我兄弟が仇討ちをした日に降る雨をさす。
新暦では6月の終わりから7月の初め。
ちょうど雨の多い季節だ。

今は、雨が降っていなくても、
近くの神社の落ち葉が降っているかもしれないなあ、
この石の上に。

まあ、そんな女性がいたことを、
ちょっとは頭にかすめて、
ほんのり、ほんとにほんのり緑色の、
新そばを手繰ろう。

人には、さまざまな人生があるのだなあ。
そばにも、
さまざまな「そば生」があるのかもしれない。

人生の空しさを感じてしまった人、
えっ、まだいるの。

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2007年11月 1日 (木)

身勝手な父親で子が苦労?でも、、

善光寺表参道の街路樹は、
この数日で見事に色付き、
葉を落とし始めた。

通りに面した店は、
この季節の掃除が大変だろうなあ。
でも、落ち葉の掃除って、
意外と気持ちのいいもの。
自分でやらないからいえるけれど、
人の落としたものではないもの。

落ち葉が風に舞う光景は、
何となく人を感傷に誘う。

ええい、まとわりつくな、私に。
せっかくの新そばの季節、
そんな感情に、浸っている暇はないのだ。

さて、人の世のはかなさを感じてしまった人。
深い深い無常感の穴に、落ちてしまった人。
そういう人が、昔、いたそうな。

昔といっても、今から800年以上前、
筑紫の国の領主に加藤某という方がいたそうな。
今の九州は福岡県辺りのことだろう。
領主として、それなりの暮らしをしていたのだが、
なにを血迷ったか、
突然、出家してしまう。

つまり、坊さんになって、
九州からは遠い、高野山に籠ってしまったのだ。

後に残された家族は、
ただ、おろおろするばかり。

やがて、十四才になったその息子、
意を決して、高野山に、
父親を訪ねていく。

きっと、一言、
親の務めを怠った父親に文句を言いたかった、、、
なんて、どこにも書いていない。

我が父恋しさに、
その幼い子、石堂丸は、
広い高野山の中を訪ね歩くのだ。

Karukayaそして、出会ったある僧に、
自分の身の上を語り、
父の居場所を問うのだ。

その問われた僧こそ、
まさに、
石堂丸の父親、そのものであった。

はるばる九州からやって来た石堂丸。
ここでめでたく親子の再会と相成るや、、
ジャジャジャジャ〜ン。

ところが、ところが、
この頑固者、ひねくれ者の父親。
仏に仕える身としては、
親子の情は邪魔になる、、
トカなんとか思って、
「お前の父親は遠い所へ行ってしまった。」
そう言うのだね。

世のはかなさを知ってしまった、
人間の強さか、薄情か。

その父親、苅萱上人と呼ばれ、
やがて善光寺のお膝元の落ち着く。

長野の中央通り、表参道にある、
かるかや山西光寺は、その苅萱上人のいわれのあるお寺。
絵解きで、この話を聞かせてくれるので、
ぜひ、お聞きを。

この写真は、その西光寺境内にある、
親子再会の像。

その後、石堂丸も仏門に入り、
苅萱上人を追って、長野に来たそうだ。
だから、駅前辺りに、
「石堂」という地名が残っているのだね。

普段から見なれている、
長野の町の風景の中にも、
そんな話が埋もれているんだね。

ええい、そんな感傷にとらわれず、
先ずは、ズズッとそばを手繰ろう。
ふわっと茹で上がった感触は、
新そばならではのもの。
世の中の憂いと、
中日の優勝と、
全く縁のない、
ハナシ、、、、、。

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