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2007年10月30日 (火)

ものの哀れを感じる季節。

さて、昨日は、お客さまから、
大切な、カエデの葉っぱを頂いた。
今日も善光寺表参道を歩いてみると、
街路樹の桂の木が、
黄色く色付き、落葉が始まっていた。

この、落ち葉と共に、この季節は、
何か気分も感傷的になる。
人を、ものゆい、はかない気分にさせられる。

歌人として、漂泊の僧として名高い西行(さいぎょう)も、
当時のエリート武士の肩書きを捨て、
出家したのは、伝えによると、この季節だという。

ええ、西行って、テレビに出てる人?
はい、テレビにはでていないけれど、
教科書には必ず載っている有名な人。
鎌倉時代の少し前、
源平の戦いの最中に生きた人だね。

北面の武士として、将来を期待されていた西行は、
23才の時に、突然出家を宣言する。
四才になる娘が、すがってくるが、
それを縁側から蹴落として、
世を捨てる決心をしたそうだ。

何が、わが子を蹴落としてまで、
西行を出家させたのだろう。
世の無常を感じたと、
物の本には書いてあるけれど、
「無常」って、一体なんなのだろう。

さて、西行は、日本のあちらこちらに、
その足跡を残す。
長野の善光寺にも参りに来た。

長野の中心市街地のまん中に、
「新田町」と呼ばれる交差点がある。
少し前までは、ここが、
長野で一番の人通りのあるところだった。

でも、町中なのになんで「新田町」?
それは、昔はここに川が流れていたからだ。
西行はこの辺りで、こんな句を残したそうだ。

  この奥にさくらの里のあればこそ
         裾花川と人はいふなれ

Sinnden
その場所は、今や、
新しいビルのまぶしい場所になってしまった。
これが無常ってことか。

ちと違うなあ。

何はともあれ、
そんな、ものの哀れを考えながら、
そばを手繰ってみよう。
さすが新そば、
このもちもち感がいいなあ。

そんな、人生のはかなさを感じてしまった人。
あれ、まだまだ、長野にも、
たくさんいるぞ。


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2007年10月29日 (月)

小さな秋だけれども、私にはうれしい秋。

秋はどこからくるのでしょう〜〜〜〜。

ハハハ、秋なんて、人間の作った、勝ってな季節の切れ目。
世界には、四季さえない場所がたくさんあるのだ。
でも、日々変わっていく山々や、木々の色合いを、
それとなく、気に止めて眺めている。
やっぱり日本人なのだなあ。
そういう季節の移り変わりを感じられるのは。

ということで、秋を感じさせる話題を二つ。

天候の都合で、遅かった「新そば」が、
やっと到着。
今日から「新そば」。

はい、
もう一つは。
これがうれしいんだなあ。

数日前に来たお客さんが、
ちょっと拾って来た、
といって置いていったのが、
一枚のカエデの葉っぱ。

私の、もみじのようなかわいい(?)手からは、
さすがに小さいけれど、
かなり大きな葉が、赤銅色に染まっている。

そうして、本日見えたお客さま。
おじいさんと、おばあさんに連れられたお孫さん。
元気な男の子。
聞けば小学一年生だという。

その、男の子の手に、
その手より大きな葉っぱがたくさん握られている。

「あっ、おんなじ葉っぱだ。」

数日前に頂いた葉っぱを置いておいたカウンターを見て叫ぶ。
そう、同じ葉だったんだね。

おばあさんの話では、
表参道から少し入ったお寺の、
境内にある、珍しい木の葉っぱだそうだ。
名を「サトウカエデ」というそうだ。

えっ、それって、ひょっとしたら、
カナダの国旗のまん中にある葉っぱではないか。
そう、メイプルシロップが作られる木だ。
へえ、こんな近くにも、そんな木があったのだね。

その木は、秋になると赤くなったりl黄色くなったり、
近所では評判のようだ。

大人しく、そばを食べた男の子。
帰る時になって、
「これ、あげる。」
といって、自分の手の中から、
二枚の葉っぱを選んで、
カウンターと、レジの横に置いていった。

Satoukaede 男の子から貰った、
秋の気配。
店の中にいては、
気が付かない秋の匂いを、
小さなお客さまが持ってきてくれた。

こんなささやかなふれあいを、
とてもとても、うれしく思うのだ。


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2007年10月26日 (金)

マヨネーズで食べるそば。

さて、そば汁の歴史をたぐってみると、
味噌を溶いて垂らした「味噌垂れ」がまず使われ、
その味噌垂れに、酒とカツオを加えて「煮抜き」ができた。

その後に、醤油が広まってくると、
味噌垂れにとって変わり、
砂糖やみりんが広まると、
酒の変わりに、それらが使われるようになった。

カツオ出汁に、醤油、砂糖、みりんのそば汁ができて、
約二百年の間、そばに馴染んできたのだ。

戦後になって、化学調味料なんぞが、
だいぶ使われるようになったり、
ワインビネガーなんぞを混ぜるそば屋もあるようだが、
基本的な組み合わせは変っていない。

う〜ん、このそば汁、これからどのように変っていくのだろうか。

例えば、そば汁にウスターソースを落としてみる。
ゴホンゴホン、
まあ止めておいた方が、、。

トマトケチャップを入れてみる。
ナポリタンとはいかないけれど、
ケチャップの味ばかりで、そばはどこへ行ったの。

マヨネーズをたらしてみる。
あれ、溶けないや。
マヨネーズにそば汁を少しずつ加えてのばしていく。
これで食べると和魂洋才、文明開化の味が、、、するわけない。

でも、もっともっと、
違った形の汁が出てきても面白いと思う。
ラーメンのように鶏ガラや豚骨ベースとか、
コンソメ味とか、いっそのことコーラ味のそば汁とか。

まあ、慣れ親しんだ味から変るのは、たいへんだ。
でも、戦後になって、食べ物の世界が大きく変わっているのに、
そばの世界だけは、基本的なところで、何も変わっていないようだ。

変わらないのもいいことなのか。
何となく、帰っていく場所というのか、
ほっとできる世界として、
残しておいたほうがいいのかなあ。

でも、そばというのは、まだまだ、
いろいろな可能性のある食べ物。
これからは、今までと違った食べ方が出てきても、
少しも不思議では、ない、と思っている。


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2007年10月24日 (水)

「脳の喜ぶエネルギー」とは。

さて、「かんだた」のそば汁には、
砂糖は使っていない。
どうしてかって?

さて、砂糖の消費量が減っていくことに悩んだ業界は、
こんなコマーシャルをやっていた。

「お砂糖は脳が喜ぶエネルギー」

こういわれると、砂糖を食べると、
頭が良くなるような気がする。
でも、どんなに甘いものを食べても、
それ以上頭が良くなることはないので、
ご安心を。

砂糖は体内に入ると、
すぐにブドウ糖になって吸収されるから、
身体のエナルギーとなるのだね。
別に、脳にばかり働くわけではない。
他の食べ物だって、
様々の消化活動を経て、
結局はブドウ糖になるのだ。
砂糖は、それが、早いのだ。

人間は、本能的に、
甘いもの、脂っこいものを好む傾向にある。
これは、身体を保つための、
必然的な欲求なのだ。
身体を動かすエネルギーを得るため、
そして、そのエネルギーを貯えておくために。

だから、子供が、甘いものをほしがるのは、
ごく自然なことなのだね。

でも、私達の食べるものの中には、
砂糖以外にも、甘く感じられるものがある。
例えば、ご飯。
これをよく口の中で噛むと、
次第に甘くなってくるのだ。
そばだって、口に含めば、甘さが感じられる。

他の食べ物の中にも、
そんな微妙な甘さを感じさせるものがあるんだ。
ところがところが、
砂糖のはっきりとした甘さは、
そういう微妙な甘さを、
どこかに追い出してしまうのだね。

太陽の明るさで見えない、
星の明かりのように。

さて、私が、汁の作り方を教わった時、
かえしを作る醤油の中に、
こんなに砂糖を入れるのかと、
びっくりしたものだ。

そのくらいの砂糖を入れないと、
醤油の塩っぱさに、対抗できないのだ。

でも、そのままだと、どうしても、
口に甘味が残ってしまう。
そこで、多くの店では、
みりんも加えている。
これで、甘味に滑らかさが出るのだね。

さて、そうして、汁の作り方を知ってから、
他の店を回ってみると、
この砂糖の甘さが気になり出した。
それまでは、口の中に、
ふわっと広がる甘さは、
出汁のせいだと思っていた。
でも、本当は、砂糖の甘さだったのだね。

自分で汁を作っても、
どうしても、後に残る甘さが気になる。
だんだんと、砂糖を減らし、
みりんを多くしていった。

そしてついに、
砂糖は使わず、みりんだけ使うことにしたのだ。
商売人泣かせの、
原価の高い汁になってしまった、とほほ。

砂糖のとり過ぎは、
精神的に切れやすくなったり、
骨粗鬆症になったり、
痴ほうになりやすいなどと言われている。

まあ、普通の暮らしをしていれば、
そんなに心配することはないとは思うけれど、
それでも、少なく済むのであれば、
それにこしたことはない。
(砂糖業界の方、すみません。)

それよりも、
砂糖のガツンとした甘味だけでなく、
もっと、複雑な、微妙な甘味も、
味わって頂きたいと思うのだ。
「かんだた」の汁の甘味は、
みりんと醤油と出し汁の成分の、
絡み合ったところから生まれたもの。
そばの旨味を邪魔しない味を
目指している。

でも、汁というのは難しいものだ。
これから、どう変っていくのだろう。
なんて話は、また今度。


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2007年10月23日 (火)

スペインには、お米を甘く煮たデザートがある。

メキシコの料理に「モーレ」というのがある。
黒褐色のとろりとしたソースで、
焼いた鶏肉などにかけて食べたりする。

このとろりとした色、
食べてみると甘辛く、
様々なスパイスの香りが混じり合っている。
このソースのベースになるのはカカオ。
そう、チョコレートなのだ。
ほかに、トマト、タマネギ、ナッツ類、
干しぶどう、ニンニク、コショウ、唐辛子、
などなど、たくさんの材料を混ぜ合わせた、
手間のかかる料理だ。
そして、もちろん、チョコレートにつきものの、
砂糖も入れられている。

スペインにも、
山ウズラのチョコレートソース添え、
なんて料理があるけれども、
案外、このモーレソースとの繋がりがあるのかもしれない。

さて、先日の続きで、
そば汁に入っている砂糖の話。
外国では、よほど特別なものでなければ、
砂糖は料理に使わない。
メキシコでも、砂糖を使う料理といえば、
この「モーレ」ぐらいだろう。

メキシコでは、インゲン豆を塩ゆでしたものを、
食事の付け合わせにする。
日本では、豆は甘く煮るけれど、
メキシコ人は、塩味の豆が好きらしい。
ある家庭に世話になった時に、
その豆を潰して、砂糖を混ぜたものを、
「あんこ」といってデザートに出したら、
完全なブーイング、絶対不評だった。

逆にこんなこともある。
スペインでは、デザートに米を食べることがあるのだ。
米を牛乳で、砂糖をたっぷり入れて甘く炊き、
冷やしてから、シナモンをかけて食べるのだ。
これには、私も、ちょっとビビってしまった。
甘いお米を食べるなんて、、、。

でも、何回か食べているうちに慣れてしまった。
人の先入観は、ともすると、
味覚の邪魔をするものだ。

ということではなく、砂糖の話。
とにかく、日本では、
料理に砂糖を使われることが多い。

肉じゃがなどの、煮物などにも使われる。
照り焼きにも、焼き肉、焼き鳥のタレにも使われる。
すき焼きのワリにも入れるし、
トンカツのソースにも使われている。
先ほどの豆だって、佃煮だって、
砂糖が入っている。

昔は、酒にも砂糖が入れられていたし、
漬け物にも使われることがある。
あっ、すし飯にも砂糖が入っている。
こんなに、普段に食べる料理に、
砂糖を使う国が、他にあるのだろうか。
だから、そば汁に、
たっぷりと砂糖が入っていても、
何の不思議のあるわけがないのだ。

こんなに、料理に砂糖を使っている国だから、
砂糖の消費量は、さぞかし多いだろうと思ったら、
欧米に比べると、かなり少ないらしい。
あちらでは、料理には使わないけれど、
お菓子にたっぷりと使うからね。

しかし、日本では、
その砂糖の消費量が、減る傾向にあるらしい。
これは、食生活が欧米化し、
普段の料理に、砂糖をあまり使わなくなったことも、
一つの原因らしい。
さらに、健康ブームや、ダイエットばやりで、
カロリーの高そうな砂糖が、
敬遠されていたりする。

だから、業界団体は、
お金をかけて、宣伝したりしているんだね。

たっぷりと砂糖を使っている、
そば屋の団体など、
表彰されてもいいくらいだ。
でもね、
「手打ちそば屋 かんだた」には、
その表彰状は届きそうもない。

だって、
「かんだた」のそば汁には、
砂糖を使っていないのだ。
なんで使っていないのかって。
それはねえ、、、、

あれ、もう時間がきてしまった。

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2007年10月21日 (日)

そば汁に歴史あり。

Misodare さて、「ながの・コナモン・フェスティバル」の協賛メニューとして提供している、「精進味噌垂れ 三百年そば」
 その味噌を絞っているところ。

 一升の味噌を三升五合のお湯でとき、
 三升になるまで煮詰めて、
 袋に入れて垂らす。

 と、古い本に書かれているそうだ。

 汁を見ると、醤油のような色はしているが、
 匂いは、味噌そのもの。
 火を入れずに絞ってもいいのではないかと思ったが、
 煮詰めることで、いくらか味噌臭さが無くなるようだ。

 さて、この汁に、辛み大根の絞り汁を入れて、
 そばを食べられていたのが、江戸時代の初め頃。

 やがて、この味噌垂れに、酒を入れ、
 かつお節で煮込んだ 「煮抜き」といわれる汁ができたそうな。

 なるほど、これで、ぐっとこくのある汁になったわけだ。

 やがて、醤油が出回るようになると、
 味噌垂れにとってかわった。

 江戸の中頃には、
 醤油、酒、水、かつお節
 で、汁を作ったと、書かれた本があるという。

 なるほど、これで、現代の汁に近付いて来たわけだ。
 でも、この汁は、かなりしょっぱそうだぞ。

 今の汁に比べると、何かが違う、、、。

 そう、
 甘味が少ないのだ。

 江戸は後期になってから、
 やっと、庶民の口に、砂糖が登場するんだね。
 この甘さは、人を虜にした。
 そうして、いろいろなところで、
 砂糖が使われるようになった。

 ほら、塩っぱかったそば汁にも、
 しっかりと入れてみよう。
 こうして、江戸の、
 そば汁の形が完成したのだ。

 ええっ、そば汁って、砂糖が入っているの?
 知らなかった、、、
 という方もおられるかもしれない。
 そう、砂糖のおかげで、
 しっとりと、そばに絡む汁が出来たのだ。

 でもね、この砂糖。
 実は、、、、、。
 という話は、続くのだ。


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2007年10月19日 (金)

新聞って、すごいなあ。

新聞ってすごいんだね。

いやあ、考えてみたら当たり前のことだけれど、
でも、すごいんだなあ。
と、今日は改めて実感した。

新聞を読み物として考えると、
かなりの文の量になる。
それだけの文を、毎日、毎日、
ちゃんと、きちんと紙面を埋め尽くして、
なおかつ、センス良くまとめてあるのだ。
しかも、常に、新しい情報を載せなければならないのだ。
すごいなあ。

というのは、今日の昼に、
新聞社の取材を受けたのだ。
それが、数時間後の夕刊に、
ちゃんと載っている。

いや、それが新聞の使命であることは分かっている。
でも、実際に経験してみると、
新聞のシステムって、
やはりすごいなあ、、と思う。

さて、昨日のブログで紹介した、
「ながの・コナモン・フェスティバル」の協賛メニューである、
「精進味噌垂れ三百年そば」。

その取材をしたいと、
長野県では、圧倒的シェアを誇る新聞、
信濃毎日新聞の記者の方から電話があったのは、
昨日の夕方。
今日の昼前に見えのは、
本当にお若い記者さんだった。
一時間近く掛けて、いろいろな話をし、
何枚もの写真を撮っていかれた。
もちろん、そばも食べられた。

帰られてからしばらくして、
もう一回写真を撮らせて下さいと、
またやって来た。
そして「ああ、締め切りが、、」
と言いながら、
慌てて帰っていかれたのだ。

そして、夕方、
その新聞を見ると、
おお、載っているではないか。
ほんの隅っこのコラムだけれども、
ちゃんと写真付きで載っている。
だ、だ、だれだ。
このにやけた顔は。

さっき、取材を受けたばかりなのに、
こうして、ちゃんと新聞の片隅に、
活字となって載っている。
こんなわずかなスペースを埋めるために、
あの記者さんは、時間をかけて話を聞き、
私の店と、新聞社の間を二度も往復したのだ。

何か、不思議な感じがするし、
新聞て、すごいなと思うのだ。

私の写真を笑わずに見られる方は、
こちらを御覧を。

どうしても笑ってしまうという方は、
こちらを御覧あそばせ。


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2007年10月18日 (木)

三百年前の大工道具って?

Gohouseki 善光寺の本堂の正面の両脇に、
人背の高さぐらいの石が立っている。
これはいったいなんなのだろう。

立て札によると、これは護法塚といって、
この善光寺の本堂が建てられた時、
使った大工道具を埋めたのだそうだ。

さて、どんな道具が埋められているのだろう。
機械の無かった時代の話だ。
柱を削るのも、板に挽くのも、
木を組むためのホゾを彫るにも、
すべて、人の力でやったのだ。

三百年前、
この立派な建物を建てるために、
いったいどんな道具が使われ、
どのような工夫があったのか、
ちょっと気が惹かれる。

さて、その三百年前に、
そばはどのように食べられていたのか。
実は、すでに製粉と製麺に関しては、
かなりの技術があったらしい。
今とほとんど変らない形の麺は、
この時代には作られていたそうだ。

でも、汁が違っている。
なぜなら、この時代、
まだ、醤油が一般に広まっていなかったのだね。

だから、
そばは、ぱらぱらとチーズを振りかけて、
手づかみで食べられていた、、、、
なんて冗談を、今回のメールマガジンに書かせて頂いた。

よろしかったら、こちらをごらんあれ。

その頃食べられていた、味噌垂れの汁を、
当時書かれた本を参考に作ってみた。
そのしょっぱい汁で食べるそばを、
題して「精進味噌垂れ、三百年そば」
ちょうど長野の中心市街地で行われている、
「ながの・コナモン・フェスティバル」にあわせて、
今月、28日まで期間限定で、提供させて頂いている。

実はこの汁、
ちょっと恐い汁だ。
出汁も甘味も使っていないので、
そばの味が、ガツンと口に当たるのだ。
汁の味で、そばを包む訳にはいかない。
しっかりとそばの味を作らないと、
ただ、しょっぱいだけの汁になってしまう。

う〜ん。
むずかしい。
でも、でもこういう食べ方も、
おもしろいなあと、
かなり本気で思っているところだ。
よろしかったら、お試しあれ。


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2007年10月16日 (火)

日本一のソバどころはどこ?

歌の文句ではないけれど、
青森駅は、まさに終着駅という感じのする駅だ。
3本のホームと、何本かの線路が、
すべて海に向かって終わっている。
本当に、ここから先はありません、
という感じなのだ。

昔は、ホームの先を海に向かって歩くと、
そこに、北海道行きの連絡船の乗り場があった。
若い時、私は何度かこの青森駅で列車を降りたが、
ついに、この連絡船に乗る機会はなかった。
北海道がよく見えるという話を聞いて、
津軽半島の先端、竜飛岬まで行ったが、
11月だというのに猛吹雪。
どうも、北海道に嫌われたらしい。

という訳で、私はまだ、
北海道には行ったことがない。
でも、私が行こうが行くまいが、
北海道は、日本のそばの、一番の産地なのだ。

この北海道で作られるそばの九割が、
「キタワセソバ」という品種。
これは、在来種から選別を繰り返して、
育ち方、草丈、粒の大きさなどが揃うようにし、
栽培しやすく、収量が多くなるようにしたもの。
平成元年に、北海道農業試験場で育成された、
新しい品種だ。

でも、広い畑でも、均一なソバが出来るので、
すぐに普及したのだね。

さてさて、北海道の中でも、一番広いソバ畑を持つのが、
幌加内(ほろかない)町。
何処にあるのと思って、地球儀を見るが、
やっぱり載っていない。
四角い北海道の、
真ん中より少し北へ行ったところのようだ。
ここは、寒いところ。
それも、半端ではない寒さ。
なにしろ、氷点下41.2度を記録した、
日本一寒いところなのだ。
ここで、作られるソバは、定評がある。

十勝の方へ下れば、
質の高いソバで有名な新得町、鹿追町がある。
さらに、江丹別や浦臼町、清里町、
一番北の音威子府(おといねっぷ)などの名があげられる。
ほかにも、たくさんのソバの産地があるのだ。

北海道のソバの魅力は、
何といっても、その、品質の安定性にあるらしい。
大規模な農場で作られ、
しっかりとした、乾燥施設、貯蔵施設もある。
栽培方法も研究され、
連作障害を防ぐための輪作も行われているそうだ。

広いソバの耕作面積を持つ北海道。
でも、その畑は、
ソバだけのために使われているわけではない。
ソバがその畑で育つのは、
3か月から4か月のあいだ。
その他の季節には、
麦が育てられたり、マメが植えられたり、
牧草などを育てるために使われている。
いわば、ソバは、裏作のようなもの。

でも、しっかりと、大切に、
ソバは育てられているのだ。

もうすぐ入って来るのが、
この北海道産の新そば。
私も、しっかりと、大切に、
とんとんとそばを作ることにしよう。


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2007年10月15日 (月)

日本一の米どころはどこ?

私が小学生だった頃の話。
新聞に、北海道の米の収穫量が、
二年連続で、
それまでトップだった新潟県のそれを、
上回ったと書いてあった。

そうか、
日本で一番たくさん米が作られるのは、
北海道なんだ。
私は、そう納得した。
だから、学校で行われた試験で、
「日本で一番お米の穫れる都道府県はどこでしょう。」
という問題に、
自信をもって「北海道」と書いたのだ。

ところが、結果は「×」。
当時は、先生に意見することなど、
出来る雰囲気ではなかった。
でも、勇気を出して聞いてみた。
新聞には、北海道が一番と書いてあったと。

そうしたら先生は答えた。
「教科書に書いてあるでしょう。
一番米の穫れるのは新潟県だって。」

小学生にして、
「机上の学問」の意味を知ってしまった私。
以後、学校の教科書は、
もっぱら昼寝の枕のためにある、
と割り切ることにしたのだ。

さて、北海道は、広大な作付け面積を背景に、
米の収穫高を延ばしていった。
でも、昔は、北海道の米は、
量は多かったけれど、
あまり良い米ではなかったんだね。
ところが、最近は、
農家の人たちの努力で、
おいしい品種が作られるようになったそうだ。

北海道の、厳しい自然の制約を受けながら、
おいしい米を作る工夫を重ねていった。
全国的な気温の上昇で、
かえって、南日本の方が、
良い米が採れなくなったこともあって、
今、北海道の米が注目されているんだね。

北海道の人たちの、
地道な努力のおかげなのだ。

米ばかりではない。
そばだって同じ。
栽培され始めたころは、
味がないなどと、
厳しい批評にさらされた北海道産のそば。
でも、さまざまな改良によって、
いまや、全国の四割近いそばを生産し、
その安定した品質が高く評価されている。

その北海道のそばって、
どのように作られているのだろうか、、、

なんて話はまた今度。

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2007年10月13日 (土)

紅白そばの花

畑の雑草状態のそばの花。
あとから生えてきた赤そばが、
ずいぶんと色付いてきた。
やはり、この花は、気温が下がってくると、
その色が鮮やかになる。
独特の赤い色だ。

Akasoba こうやって、一緒にいければ、
紅白そばになる。

でも、以前にも述べたように、
赤い花を咲かせるそばだけれど、
実は黒くなり、普通のそばと変らない。
ピンク色のそばが出来れば面白いのだが。

さて、今年は、さまざまな事情から、
新そばの出荷が遅れている。
収穫したてのそばは、味がないので、
粉屋さんは、
熟成の具合を見計らって製粉をはじめる。
もちろん最初は北海道産となる。
それから徐々に長野県内産などが入ってくる予定。

聞いた話では、各地とも収穫は順調とのこと。
でも、出来具合はどうなのか。
楽しみな季節だ。

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2007年10月11日 (木)

ビンテージそばの可能性。

「人は皆、自分のことを上質なワインだと思っている。
 だから、年が経てば経つほど、価値が上がると思っている。
 でも、実は、飲み頃を過ぎて、酢になりかかっていることに、ほとんどの人は気が付かないんだ。」

クエンティン・タランティーノ監督の映画、
「パルプ・フィクション」の中に、
このような台詞があった。

ブルース・ウィリス演ずる熟練のプロボクサーに、
ギャングの親分が、八百長を仕掛けようとして、
説得する時に使われる言葉。

だから、そろそろ、実力で勝負することに、
見切りを付けたらどうかと、誘いを掛けているのだ。
なるほど、人に話を伝えるには、
このような、たとえ話を用意しておくといいんだね。

この話のように、
すべてのワインが、年とともに熟成する訳ではない。
造りのいい、限られた年に作られたワインだけが、
年月を味方に付けるのだ。
多くのワインは、まあ、早めに飲んでしまった方が、
無難なのかもしれない。

さて、日本酒は、今までほとんど、
何年も貯蔵して飲まれるようなことはなかった。
冬に仕込まれた酒は、
ほぼ一年の間に出し切ってしまうのが、
いわば常識だった。

蔵から出され、瓶詰めされた酒は、
そうそうに、喉を潤すために使った方がいいとされてきた。

でも、最近は、酒造技術の発達とともに、
貯蔵酒、いわゆる古酒が研究されるようになったのだ。

酒造組合の試飲会へ行っても、
この古酒を飲ませてくれるところが増えてきた。
二年、三年は当たり前、
五年、そして十年なんてものもある。

味わいもさまざまだ。
糠味噌のような、つんとする酒もあるし、
ただただ酸っぱいものもある。
でも、中には、今までの酒にはない、
独特の香りを放つ酒がある。
とろっとした、濃いエキス分を感じる。
う〜ん、これは、日本酒とは別物だぞお。

そんな訳で、古い酒が、すべて悪い訳ではない。
ある質の酒を、ある条件で保存すると、
また違った味わいのある酒に変っていくのだ。
この作り方は、まだ、確立されていないから、
各蔵で、試行錯誤をかさねているところ。

これからは、○○蔵の××年もの、
なんて言うブランドが確立されるかもしれない。
すでに、古酒を配合して、
独特の味わいの酒を売り出しているところもあるんだ。

日本で一番値段が高い、
と言われている酒を造っているのが、
茨城にある酒造。
ここの日本酒は、
ニューヨークの一流レストランで、
ロマネコンティ等と並んで、
一本百万円位で売られているそうな。
何でも、欧米のワインの専門家に高い評価を得たとか。

私も飲みに行きたいけれど、
アメリカまでは、なかなか時間がなくて、、、、
と負け惜しみ。

この酒も古酒を使ったものなのだそうだ。
日本酒の新しい可能性を持つ、古酒。
もっと注目されていいだろう。

そうか、酒だって、
置いておけば、うまくなるものがあるのだ。
そばだって、置いておけば、
おいしくなるものがあるかもしれない。
「○○年ものの古そばを使ったせいろ」
なんて、面白いかもしれない。
えっ、食べたくないって。
いや、そういう常識を、、、。

皆さんは、年とともに、
いい味になっていますよね。

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2007年10月 9日 (火)

私は酒が苦手、酒は光が苦手。

ここのところ、酒の話ばかりで、
いったい、そばの話はどうなったのかと、
怒られそうだ。

今年は、いろいろな理由があって、
新そばが遅れている。
もう少しお待ちを。

ということで、今日もしつこく酒の話。

知り合いから聞いた話。

ある人が、仕事のお得意さんから、
「越の○○」なるお酒を頂いた。
とにかく、名前だけは有名な酒。
その人は、ありがたがって、
自宅の床の間に、ずどんとその酒を飾っておいたそうだ。

こんな有名な酒があるなんて、
みんなに自慢できる。
いい機会があるまで、こうして飾っておこう。

そうして、来る人には、その酒を、
見せびらかしていたのだ。

やがて、親戚みんなが集まる席があって、
その酒を、いよいよ、開けようということになった。

さあ、これが、有名な「越の○○」だぞっと、
皆で乾杯。
一口飲んで、あれ、みんな黙ってしまった。
おいしさに、声も出なかったのだろうか。

やがて、一人が言った。
「ずいぶん酸っぱい酒だなあ。」
「なんだか、色が黄色っぽいけれど。」

一年近く、明るい床の間に置かれた酒は、
見事に変質していたのだ。
それでも、その人は、
意地で「おいしい、おいしい。」と言って飲んだとか。

日本酒は、すごくデリケートなものだ。
その置かれた環境によって、
味が変わってしまうことがある。
特に、光には弱いのだ。
多くの日本酒の瓶が、茶色をしているのも、
この光を防ぐためのもの。

酒屋やスーパーの、
明るい店頭に並べられた酒も痛みやすい。
だから、心ある酒屋さんは、
明るいところに並べるのは空の瓶で、
あとは、暗いところに置いてあったりするのだ。

日本酒には、特に賞味期限はないようだが、
おいしさを味わうには、新しい方がいいようだ。
ラベルの右下に、
出荷された年月が標されているのでご参考に。

いくらいい酒を貰ったからといって、
明るいところに飾っておかない方がいい。
箱などに入れて仕舞っておいて、
早めに飲んでしまうに限る。

そばも打ちたてがおいしいように、
酒も、蔵からおろしたての方がおいしいのだね。

でも、でも、世の中には、
へそ曲がりな人もいて、
古くなった酒が好きな人もいるそうだ。
どんなにへそ曲がりでも、
古くなったそばを好きだと言う人はいないけれど。

そんな古くなった酒の話をすれば、、、。
で、まだ、酒の話は続くようだ。

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2007年10月 7日 (日)

時間の力

フランスはボルドーと言えばワインの産地。
その中でも、サンテミリオンといえば、
ワイン好きの方なら、思わずよだれが出てしまう、
銘酒の生産地。
小高い丘の上にある、中世風の町をぐるりと囲んで、
たくさんの醸造所があり、味を競っている。

友人の案内で、そのうちの一つの醸造所を訪ねた。
もう、二十年近く前のことだ。

オーナー自らの案内で、ワインの眠る蔵に案内してもらった。
建物は古いれんが造りだが、ワイン樽の置かれている蔵は、
きっちりと空調が利かされていて、ひんやりする。
一年前に仕込まれた、ワインが詰められた樽が、
壁に飾られたマリア像によって、しっかりと見守られている。

樽からすくったワインを、「試し」だよ、
と言ってグラスに注いでくれる。
大きめのグラスに、ワインをたっぷりと注ぎ、
グラスを持ち上げて、色を見る。
ぐるぐると回して、アルコールの粘りを見る。
鼻を近付けて匂いを嗅ぐ。
そして味を見る。

「これはまだ、味あう段階のワインではない。」
オーナーはそういって、足下のバケツに、
残ったワインを捨ててしまう。
ええ、捨てちゃうの。
口の中で、シュワシュワしていて、
美味しいのに。
と、ごくごく飲んでしまった私。

約一年、樽の中で育ったワインは、
今度は瓶に詰められ、
薄暗い蔵の中に寝かされて、
静かに熟成の時を待つ。
広大な蔵の中で、
膨大な、もの言わぬワインの瓶に囲まれた時、
人の力では、どうしようも出来ない、
時の力を感じる。
この、時の流れの中で、
人間は、無力に等しいのだ。

そして、人間の出番である、
熟成の時を、ひたすら待つより他はない。

同じ醸造酒である日本酒も同じ。
冬に仕込まれた酒は、
じっと、蔵の中で、熟成の時を待っている。
造りの季節でない時に、
酒蔵を見学にいくと、
蔵には動きはなく、
ただ、ある種の、緊張した時間が流れている。

ステンレスや、ほうろうの桶に入れられた酒が、
まさに熟成の時を待っているのだ。
日本の酒蔵も、フランスのワインの醸造所も、
同じような、時の力を宿しているのだ。

幸いなことに、日本酒の場合は、
ワインより短い時間で、熟成の時がやってくる。
さあ、これからの季節。
そうやって、時間が、
人間にバトンタッチしてくれる季節なのだ。

秋の新酒を、
心して、味わおう、楽しもう。

あ〜あ、嫌だね飲ん兵衛は。
ああのこうの、理屈を並べて。
だから、私は酒が苦手なのだ。


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2007年10月 4日 (木)

見た目はおしゃれだけれど。

さて、私が苦労して、選んだ酒の話は、
またあとで。
ちょっと、トラブルがあったもので。

最近は、飲みに行って、
ちょっと高い酒を頼んだりすると、
しゃれた、片口なんぞに入れて、
出してくれるところが多い。
そば屋でも、そのように出されるところもある。

焼き絞めの焼き物の片口に、
これまた、オシャレなグラスなんかで出されると、
おお、なかなかいいね、、、
という感じになるようだ。

でも、でも、
酒が苦手な割に、
酒にうるさい私としては、
ああ、この店は、
酒を知らない方がやっているのだな、、と思ってしまうのだ。

片口のように、口が大きくあいた器からは、
酒の香りが、あっという間に抜けてしまう。
何しろ今まで窮屈な瓶に入れられていたお酒。
急に広々としたところに出されて、
エエイ、これは気持ちいいぞって、
たちまち、どこかへ行ってしまう香りがあるのだ。

香りを楽しむ吟醸酒などは、
むしろ、口のつぼまった徳利で出すべきかもしれない。
そのほうが、いつまでも、
新鮮な出会いがある訳で、
空気に触れる面の大きい片口は、
最後の方には、残り物的な香りしか無くなってしまう。

伸び切ったそばを食べているみたいだ。

だから、酒を片口で出された時には、
大急ぎで飲まなくてはならないのだ。

そうか、店の人は、
早く酒を飲んで、とっとと帰ってもらいたいから、
片口で酒を出すのだな。
そこまで読んで、
あえて、片口で酒を出しているのだとすれば、
う〜ん、手強いぞ。


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2007年10月 2日 (火)

そばとは思えない色。

今日は恒例の「十割そばの夕べ」。
皆さんご参加ありがとうございました。

今日の変わりそばは、皆さん驚いたみたい。
何しろこの色だものね。
このところ、薄い色が続いていたので、
ここで一気の挽回。

Akapiiman さてこれは、なんなのでしょう。
刺身用のニンジンのつまだって。
まあ、そのようにも見えてしまう、
このどぎつい色。

一口食べれば、口の中が火傷しそうな色合いだ。

でも、食べてみると、野菜独特の、
青臭い香りと、噛み締めるような甘さが。

赤ピーマン切り、つまり「パブリカ」切りというわけ。
で、またまた遊んでしまった、
「十割そばの会」だった。
かな。

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