« 「そば好き」の人は、○○には向かない。 | トップページ | 殿様が食べたので御前そばとも呼ばれた。 »

2007年2月26日 (月)

「もう恥はさらせない」

新聞によれば、落語家の三遊亭円楽が引退を表明したという。
脳こうそくで倒れ、その後リハビリを続けて、高座に復帰ししたものの、思うように語れないとのことで、自ら引退を表明したのだ。

円楽といえば、テレビの「笑点」で有名だが、古典落語も味がある。師匠の円生ゆずりのいい噺をする。
この人は、協会が違うので、普通の寄席には出ないのだが、どこかの落語会で聞いた覚えがある。声の大きい、迫力のある話し方をするひとだ。

噺家(はなしか)にとって、思うように話せないということほど辛いことはないだろう。自らの芸の厳しさ故、自分自身で引導を渡したのだろうなあ。

最後の高座の出し物が「芝浜」だって。
泣かせるじゃないか。
この噺、古典落語の中でも有名な人情話。夫婦の情愛を描いた話なんだ。
そんな話で、高座を締めくくったのだから、いいじゃないか。

引退の話で有名なのは、先代の桂文楽。
この人は、精密精緻な落語をすることで知られていた。
出し物は30ぐらいと少ないが、その一つ一つが、充分に練り上げられていた。
その人が、高座の途中で言葉がふと出なくなってしまったそうだ。
そして、「勉強し直して参ります」といって高座を降り、そのまま引退してしまったという。

う〜ん、厳しきかな芸の世界。
そば屋だって、このくらいの覚悟が必要なんだ。
すくないメニューであっても、その一つ一つに、きっちりとした仕事をしなければ。
それができないのならば、仕事を辞めてしまうぐらいの覚悟がなければ。

と、ここで終わってしまっては、説教話みたいで面白くない。

落語界で、この「型にはまった」文楽と並び称されるのが、「天真爛漫な」志ん生。
この人は,噺の数も多いが、演ずれば毎回違う。
その場の雰囲気で語る、まさに、志ん生本人が落語のような人。
少しぐらい間違えようが気にしない。それさえも笑いにしてしまうのがこの人の強さなのだ。

文楽的か、志ん生的か。
落語の世界では、よく語られるテーマだ。

そば屋でもそうだろう。
お客さまの要求に答えて、臨機応変に対応できることも、大切なのだ。
そのほうが、喜んで頂くこともある。

そば屋の世界にも「文楽的そば屋」と「志ん生的そば屋」というのがあるかもしれない。
どちらがいいとか、ということはないだろう。
それぞれに、それなりの修業をおさめてたどり着いたやり方だから。

えっ、お前はどっちだって。
私なんぞ。まだまだ前座で、師匠の座布団を引っくり返している身分。
とてもそんな大師匠のまねごとなんぞは、、、。

どちらにしても、円楽は「文楽的」の方を選ばれたようだ。
いまさら「志ん生的」になれといっても無理な話。
長い間、私達を楽しませてくれてありがとう。
まだまだ、高座以外の場所で活躍してほしい。

|

« 「そば好き」の人は、○○には向かない。 | トップページ | 殿様が食べたので御前そばとも呼ばれた。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 「そば好き」の人は、○○には向かない。 | トップページ | 殿様が食べたので御前そばとも呼ばれた。 »