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2007年2月26日 (月)

「もう恥はさらせない」

新聞によれば、落語家の三遊亭円楽が引退を表明したという。
脳こうそくで倒れ、その後リハビリを続けて、高座に復帰ししたものの、思うように語れないとのことで、自ら引退を表明したのだ。

円楽といえば、テレビの「笑点」で有名だが、古典落語も味がある。師匠の円生ゆずりのいい噺をする。
この人は、協会が違うので、普通の寄席には出ないのだが、どこかの落語会で聞いた覚えがある。声の大きい、迫力のある話し方をするひとだ。

噺家(はなしか)にとって、思うように話せないということほど辛いことはないだろう。自らの芸の厳しさ故、自分自身で引導を渡したのだろうなあ。

最後の高座の出し物が「芝浜」だって。
泣かせるじゃないか。
この噺、古典落語の中でも有名な人情話。夫婦の情愛を描いた話なんだ。
そんな話で、高座を締めくくったのだから、いいじゃないか。

引退の話で有名なのは、先代の桂文楽。
この人は、精密精緻な落語をすることで知られていた。
出し物は30ぐらいと少ないが、その一つ一つが、充分に練り上げられていた。
その人が、高座の途中で言葉がふと出なくなってしまったそうだ。
そして、「勉強し直して参ります」といって高座を降り、そのまま引退してしまったという。

う〜ん、厳しきかな芸の世界。
そば屋だって、このくらいの覚悟が必要なんだ。
すくないメニューであっても、その一つ一つに、きっちりとした仕事をしなければ。
それができないのならば、仕事を辞めてしまうぐらいの覚悟がなければ。

と、ここで終わってしまっては、説教話みたいで面白くない。

落語界で、この「型にはまった」文楽と並び称されるのが、「天真爛漫な」志ん生。
この人は,噺の数も多いが、演ずれば毎回違う。
その場の雰囲気で語る、まさに、志ん生本人が落語のような人。
少しぐらい間違えようが気にしない。それさえも笑いにしてしまうのがこの人の強さなのだ。

文楽的か、志ん生的か。
落語の世界では、よく語られるテーマだ。

そば屋でもそうだろう。
お客さまの要求に答えて、臨機応変に対応できることも、大切なのだ。
そのほうが、喜んで頂くこともある。

そば屋の世界にも「文楽的そば屋」と「志ん生的そば屋」というのがあるかもしれない。
どちらがいいとか、ということはないだろう。
それぞれに、それなりの修業をおさめてたどり着いたやり方だから。

えっ、お前はどっちだって。
私なんぞ。まだまだ前座で、師匠の座布団を引っくり返している身分。
とてもそんな大師匠のまねごとなんぞは、、、。

どちらにしても、円楽は「文楽的」の方を選ばれたようだ。
いまさら「志ん生的」になれといっても無理な話。
長い間、私達を楽しませてくれてありがとう。
まだまだ、高座以外の場所で活躍してほしい。

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2007年2月24日 (土)

「そば好き」の人は、○○には向かない。

さて、昨日に引き続き、昔、ある飲み屋さんで会った、コーヒー豆の営業をしている方のお話し。
酒を飲みながら聞いた話しで、もう一つ、気になったことがある。

その方は、もちろん自分の受け持ちの店ばかりでなく、様々な店にも、売り込みに行ったりする。
だから、たくさんの店の状況を、よく見て知っているのだ。

その営業の人の話しでは、喫茶店の経営に向かない人というのがいるそうだ。
ええっ、どんな人だろう。
コーヒーの味が判らない人かな。
手先の不器用な人かな。

いいえ、
正解はこれ。
「自分がコーヒーを好きな人」なのだそうだ。
こういう人が店をやっても長続きしないという。

なるほど、コーヒー好きだから、お客さんに出すコーヒーを、みんな自分で飲んじゃうのだ、、、、、ということではないらしい。

コーヒー業界では、喫茶店を開く人や、飲食店で働いている人を対象に、セミナーなどを開いている。
コーヒーの種類や歴史、おいしい作り方などを教えているらしい。
なにも知らない人は、一生懸命その内容を覚え、きちんとその通りにコーヒーを作る。
ところが、「コーヒー好き人」は、そんなこと知っているよ、俺には俺のやり方があるよ、という感じで、そのとおりにしないことが多い。
だから、作るコーヒーにムラが出来たり、収益が悪くなったりするそうだ。

ふむ、なるほど。
でも、そのくらいのことで、店がつぶれるのかなあ。

実は、「コーヒー好き」の店は、同じような「コーヒー好き」の人にはいいのだが、「コーヒー初心者」には、入りづらくなってしまうことが多いのだ。
自分がコーヒー好きだから、来るお客さんもみんなコーヒー好きだと思ってしまう。
自分の「コーヒー好き」の世界に入ってしまって、ほかの人が入りづらくなってしまうのだ。

う〜ん、山登りに例えれば、先に一人でとっと登って、山頂から、まだ麓にいる人に向かって、「おおい、早く来いよ、こんな山が登れないのか。」と威張っているようなもの。

だから、「コーヒー好き」の店は、一部の人たちからは喜ばれるけれど、多くの人にとって、足の遠いところとなる。
すなわち、「コーヒー好き」は喫茶店をやると、失敗することが多い。
そういう話しに落ち着くのだ。

長い間、コーヒ豆を売りながら、そういう世界を見てきた人の言葉だ。
本当なのだろう。

ちょっとまてよ。
この話。
「コーヒー」を「そば」に置き換えたらどうなのだろう。

う〜ん、あるある「私はそば好きだから、、、、」と威張っている店。
きっとそのあとには、「、、、私の作ったそばは、間違いがない。」
と続くのだろうな。
間違いがあるかどうかは、お客さんが決めるのにね。

そう、主人が「私はそば好き」といっている店、あぶないぞ。
えっ、まさか「うち」のことではないだろうな。

そばを食べていただくのが好き。
そば屋の仕事が好き。
そういう風にならなくては、、、。


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2007年2月23日 (金)

値切ればいいっていうものではない。

昔、飲み屋でよく合う人に、コーヒーの営業をやっている人がいた。
もう、だいぶ昔の話。
行きつけの店の常連で、いろいろと仕事の話を聞いた覚えがある。

その人は、喫茶店やケーキ屋さん、レストランなどの飲食店に、注文されたコーヒーを届ける仕事をしている。
さて、そのお客さん、つまりそれぞれの店によって、届けた時の対応がずいぶん違うそうだ。
横柄なところもあれば、明るく迎えてくれるところもある。持っていくと、すぐに秤で重さを確認する店や、ただ、事務的にコーヒーを受け取るところもある。少し世間話をしていけるところもあるし、話もしないところもあるという。

一番困るのは、支払いの悪いところだそうだ。
個人でやっている店など、けっこうあるらしい。
そういう店ほど、文句を付けたり、値切ったりするらしい。

ある店では、高級なコーヒー豆を使っているし、それを売り物にしているのだが、
支払いの段階になると、あれこれ言って、かなり値切るのだそうだ。
値切られた分は、営業マンである彼が自腹を切らねばならないのだ。
その店に行くのが、嫌になった。

でも、ある時、そっと、一つ格下のコーヒ豆を持っていった。
コレならば値切られても、採算は合う。
でも、何か言われたらどうしよう。
ひょっとしたら、お得意さまを一つなくすかもしれない。
ところが店主は、いつもと同じように、
ただ値切っただけで、味については文句を言わなかった。

調子づいた彼は、さらに格下のコーヒー豆をその店に納めることにした。
味については、なんのクレームもなく、
店主は、「俺は商売上手だ」と思いながら、
豆代を値切って払い、営業マンは、困った顔をしながらも、
内心、「ざまをみろ。コーヒーの味も分からないくせに」と、
その店を馬鹿にしていたのだ。

とても嫌な話だ。

一番かわいそうなのは、その店にコーヒーを飲みに行くお客さまだろう。
高いお金を払って、おいしいコーヒーを飲んでいるつもりが、実は、それほどのものではなかったのだ。
その店のその後を聞かなかったが、どうなったことだろう。

私も商売をしているので、いろいろなところから仕入れをするし、支払いもする。
特に営業の人は、私の知らない情報を持っているので、いろいろと話を聞くようにしている。
仕入れ関係の人たちと、いい関係になれば、ときには無理を聞いてもらうこともあるし、こちらが聞くこともある。
仕入れたそば粉に、うるさく注文をつけることもあるけれど、それはそれで、こちらの要求を伝えるだけ。けっして、それを押し通すわけではない。

そば粉屋さんにしても、節屋さんにしても、それぞれが対等に、そしてある程度の緊張感を持った関係を築いていければと思う。

格下の豆を持っていくコーヒー屋さんと付き合った喫茶店は不幸だ。
でも、それを招いたのは、その店のご主人。

もっと世の中、買うほうも売るほうもWin-Winの関係になれればいいのにね。
えっ、なんだ、この言葉は。

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2007年2月22日 (木)

そばの食べ方に決まりはないけれど。

今月のメールマガジンでは、そばの食べ方について書かせて頂いた。
こちらをご参考に。
まあ、そばの食べ方は、人により違うので、あまり、「こうでなければ。」などと、押し付けてはいけないものだ。

でも、私の子供の頃など、うるさく言う人がいた。
近所のそば屋で、くちゃくちゃとそばを食べていると、
「江戸っ子が、そんなそばの喰い方をするんじゃねえ。」
と言われて、見も知らずの親父から頭をたたかれた。
そば湯なんぞ、かき回して飲もうものなら、
隣近所から「あの人は意地汚い」と指をさされたものだ。

だから、お客さまが、くちゃくちゃとそばを食べると、
つい、頭をたたきたく、、、、、なることはない。
今の時代、そういう食べ方もありなのだ。
ただ、北朝鮮から核ミサイルを借りてきて、
頭にぶつけてやりたい、、、、、、気もしないことは、、、ないけれど。

最近、面白い食べ方をする方が増えたきた。
若い男性でもいるが、女性の場合が多い。
せいろに盛られたそばを、何度も箸でつまみ直している。
つまむごとに、箸をくるっとまわして、そばを団子のようにしているのだ。
そして、ある程度の団子が出来上がると、おもむろにそばを取り上げて、汁につけて召し上がっている。

そのほうが食べやすいのだろうか。
それとも、単なるくせなのだろうか。

私はひそかにコレを「スパゲッティ喰い」と呼んでいる。
ちょうどスパゲッティを食べる時、フォークに巻き付けて、
団子にしているのと同じようだからだ。
(フォークにスパゲッティを巻くのは。アメリカ人と日本人だけだって言う話を聞いたことがあるが、真相は不明。)

この食べ方では、食べるのに時間がかかる。
そばが伸びてしまわないか、
見ているほうとしては心配になるが、
お客さまのほうとしては、
一生懸命団子づくりに励んでおられる。

様々な食べ物が溢れている今の時代、
そばの食べ方も変わってくるのかもしれない。
昔ながらの、「そばはこう喰うものだ!」
なんていうのは、化石になりつつあるようだ。

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2007年2月20日 (火)

「ささら」は細かく割った竹を束ねたもの。

さて、一日の営業が終わると(もっとも、昼だけだけれど)、厨房内の片づけが始まる。
油地獄などという、油を使うメニューがあるので、コンロ周りはまめに掃除をしないといけない。
まあ、さぼる時もあるけれど。

Sobagama_1 大切なそば釜の掃除。
お湯の熱いうちに、ふちについた汚れを落としていく。
その時に使うのが「ささら」という道具。

昔は、普通の家庭でも使われていたらしいが、今ではたわしやブラシなどに取って変わられて、あまり使われないみたいだ。
これは、竹を細かく割ったものを束ねたもの。
先のほうで鍋の汚れをかき落とすようにして使う。

そば釜のように、まだ、熱いものを洗う時にいい。
よく、中華料理屋さんなどでは、熱い鍋を洗うのに使っているのを見かける。

新しいうちは固くてちょっと使いにくいが、使っていくうちに、竹が柔らかくなって使いよくなる。
このまえ、100円ショップで小さいのを売っているのを見たので、いまだに家庭でも使う人がいるのかもしれないね。

この「ささら」が大活躍をしているのが、北海道で路面電車の除雪をしている、通称「ささら電車」だ。
竹の「ささら」を何十本も並べて回転させ、路面の雪をかきとっていくのだ。
もう昔からの方法で、やっぱり竹でなくてはいけないらしい。

今は、なにをするにも、新しい、便利な道具が出来ているけれど、やっぱり昔からのものがいい時があるのだね。

さあ、こんなことしていないで、掃除しなければ。

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2007年2月18日 (日)

本物の「みりん」を、、、、飲んでもおいしい。

「手打ちそば屋 かんだた」では、蕎麦の汁には砂糖を使わず、「みりん」と「醤油」だけを合わせた「かえし」を使っている。

「みりん」というのは、皆さんご存じの通り甘味のある調味料。
これは、もち米と米こうじを合わせて発酵させ、さらに本格焼酎を加えて熟成させたもの。あの甘味は、米の中の成分から生まれてくるものなのだね。

この「みりん」はもともとお酒として作られていたもの。
だから、そのまま飲んでもおいしい。
「アイスワイン」等という高価な甘いワインが珍重されているが、この「みりん」だってオツなものだ。
米焼酎で割って、氷を浮かべれば、夏の疲れた時の飲み物としては最高。
ほら、お正月には、清酒とあわせてお屠蘇(とそ)にしたりする。

昔から、身体にいい飲み物とされてきたのだ。

じゃあ、台所にある「みりん」を飲んでみるか。
ちょっ、ちょっと待った。

飲む前に表示を見てみよう。
ラベルの表示がちゃんと「本みりん」となっているだろうか。
スーパーで売られているのは、たいてい「みりん風調味料」。
これは、本来の「みりん」とは似て非なるもの。
だいいち、ほとんどアルコールが入っていないものが多い。

今では「本みりん」と書かれたものも、スーパーで置かれている。
でも、原材料の表示を見てみよう。
「米」「米こうじ」のほかに、「醸造用アルコール」「水あめ」「アミノ酸等」と書かれていないだろうか。

これは、安い日本酒と同じ。
アルコールで量を増やし、あとで味付けしたもの。
こういう「みりん」は飲んでも、ただ口の中が甘くなるだけ。

Mirin 本来の「みりん」は、そういうものを使っていないもの。
ぜひ、酒屋さんで手に入れてほしい。

でも、買おうとしたら、ええ、こんなに高いの〜。
そう、普通の日本酒よりは高い。
純米酒クラスの、それもちょっといい純米酒クラスの値段がする。

でも、こういう「みりん」を料理に使うと、まろやかさが、味の含みが全然違うのだ。
特に、煮物料理をする時は、煮崩れを防ぎ、ツヤのある料理に仕上がる。

近年、糖尿病や高血圧などが、多いのも、砂糖を使った料理が多いから。
本当の「みりん」を使い、本当の味を知り、本当の健康を手に入れて頂きたい。
そういうことで、「手打ちそば屋 かんだた」で使っている「みりん」はこれなのだ。

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2007年2月17日 (土)

短い営業時間のわけは。

「手打ちそば屋 かんだた」の営業時間は、昼の十一時から午後三時まで。
へえ、いいね。
楽な商売をしているねって、よく言われる。
夜がヒマでいいね。なんて嫌みを言われたりする。

たしかに、四時間しかない営業時間。
ほかの人からみれば、その時間しか働いていないように見えるんだね。
私も、もともと働くのが嫌いだから、
このくらいなら楽が出来るかな〜〜〜なんて思っていたら、
何のことはない、現実は厳しい。

毎日、朝の六時過ぎに家を出て,帰るのは十時過ぎ。
休みは週に一日だけ。
それがずっと続くのだ。

そば屋の仕事は、手間のかかる仕事が多い。
そばを打つこともそうだが、つゆの仕込み、いなりの皮の煮炊き、
突き出しの煮物、そば豆腐などの一品の用意、
ようかんなどの甘味の支度。

既製品をいっさい使わず、すべてを自家製で作るというのは、
思っているより時間がかかる。
いや、私自身が考えていたより、手間がかかるものだ。

でも、少しでもおいしいものを味わって頂きたい。
安心の出来る食材を使いたい。
ほかにはない味を楽しんで頂きたい。
そう思うと、それだけの時間を費やして、
営業時間である「四時間」に合わせて、
しっかりとした準備をしたいのだ。
特に、打ったそばの賞味時間はせいぜい5時間ぐらい。
そのくらいのおいしい時間にそばを食べて頂きたいのだ。

そうは言ってもまあ、私は、どちらかと言えば、
好きなことをやっているので、たとえ長時間の仕事でも、
楽しんでやっているのかもしれない。
こうしてブログも書けるしね。

世の中はコンビニ時代。
食べたい時に、食べたいものが食べられるのが当たり前の時代。
でも、皆さんにはご迷惑をおかけしますが、
しばらくは「四時間」だけの営業時間でお願いしたい。
そのかわり、しっかりとしたものを、用意しなくては。
手打ちそば屋は、眠れないのだぞ!

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2007年2月16日 (金)

寒い季節の「花巻き」

善光寺周辺では、灯明祭りが行われ、多くの人で賑わっている。
普段見なれた風景も、夜の薄明かりの中で、また違った趣が感ぜられる。
表通りの賑やかさより、善光寺周辺の宿坊の通りの静けさが、私は好きだけれどね。

毎回様々な行事が追加され、いいイベントになったと思う。
あと、二日だけなので、ぜひお出かけを。
あっ、三時からの七福神めぐりにも御参加くださいね。

これだけの人出で、善光寺周辺のおそば屋さんは、賑わっているみたいだ。
やっぱりこういう時は、暖かいそばということになるのだろうか。

さて、暖かい種物で私が好きなのは「花巻き」。
えっ、なんだそれっ、という人もいるかもしれない。
かけそばに、海苔をかけたそばのこと。
単純だけど、奥の深い種物なのだ。

皆さんは、海苔の旬をご存じだろうか。
今や、海苔は冷凍保存によって、一年中均一な製品が出回っている。
でもね、香り高い新海苔がでるのは、本当はこの寒い季節なんだ。
だから、昔の人は、冬のこの種物を珍重したのだね。

スーパーなどで売っている海苔は、たいていオニギリ用か、のり巻き用で、固いものが多い。
こういう、下手に噛めば歯が欠けるような海苔は(どんな歯をしているのだ)、「花巻き」には向かない。
そばの上で、とろりとろりと溶けていくような海苔がいいんだね。
つまり、ちょっといい海苔を使わないと、このメニューの醍醐味がなくなっちまうわけだ。

この花巻きには、薬味にネギを使わないのが原則。
でも、大抵の店では、別皿にネギを盛ることが多いようだ。ワサビを添えるところもある。
昔は、蓋をして出されたもので、蓋を開けた時に、海苔の香りがプンとして楽しかったが、このごろでは、ほとんど蓋を使っていないようだ。

このそばは、酒の肴にもなるし、その店が、どれだけの器量を持っているかの目安にもなる。つまり、少しはましな海苔を使っているかどうかだね。

それなら、お前の店でもやればいいじゃないかって。
いえ、私の店は、あくまでも、そば、そのものを楽しんで頂く店ですから。
まあ、そのうちに、、、。
有明海があんな状態になったので、、、、、福岡産や佐賀産の高級海苔が手に入りにくくなったし、、、、。
まあ、そのうち考えることにしよう。

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2007年2月15日 (木)

カナダでそばの品種改良。

カナダで研究開発されたそばの品種で「KOMA(コマ)」というものがあるらしい。

カナダは、安い中国産に押されるまで、日本のそばの主要な輸入先だった。
そばを食べる東欧からの移民が多かったので、けっこうそばの栽培が盛んなのだって。

そばの安定供給のために、日本の商社や業界団体が後押しもしているせいもあり、そばの品種改良などの研究が行われている。

そばと言う植物は、栽培植物として、決定的な欠陥を持っている。
それは、ヘテロスタイリーと呼ばれるものだ。
前にブログで書いたのでご参照を

この性質があるために、そばは他家受粉、つまり、虫などによって花粉を運ばれないと、受粉しない、実にならないのだ。
いくら花がたくさん咲いても、そのすべてに実の付くわけではない。
それが、そばの反当たりの収穫量をすくなくしていたり、天候による収穫量の不安定さの原因であったわけだ。

ところが、このカナダで開発された品種は、すべてではないが、自家受粉で実をつけることができるという。
これは、遺伝子組み替えなどの操作ではなく、様々な性質のそばをかけ合わせてつくったものだという。

それによって、単位面積辺りの収穫量が増え、計画的な栽培が出来ると言う。

ふーん、そばの世界でも、そんな品種改良が続いているのだね。

もっとも、米だって、長い間の品種改良によって、病気に強い、寒さに強い、多収穫の稲が作られてきたのだ。
そばだって、そんな改良が行われていっても不思議ではない。

でも、コレを開発したのは、カナダの企業。
今の時代、特許だとか権利だとか、そんなことが普及に及ぼす影響は大きいことと思う。
日本でも、そういう研究をしているはずなのだけれど、ちっとも耳にしないな。

遺伝子組み替えのような方法は嫌だけれど、そばも進化していいと思う。
もっと、多収穫の、良質の成分を持つそばが普及されれば、また、そばの世界も変わってくるかもしれない。

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2007年2月13日 (火)

図太い神経の持ち主に見られているらしい。

「手打ちそば屋かんだた」のそばは、太いそばの多い長野では、ずいぶんと細めのそばになるようだ。

お客さまからよく聞かれる。
「この細いそば、手で切るのですか。」

いえいえ、とんでもない。
いくら私でも手では切れません。
見て下さい、この、もみじのような、かわいい手。
この手でそばを切ることはで来ません。

包丁を使わせて頂きます。

私の作る外二や十割のそばは、
包丁が利く、つまり切りやすいので、
すいすいと軽く切っていくことができる。
包丁を前に滑らしていくのが基本。

ところが、つなぎの割合の多いそばとか、
太めの、硬めに伸されたそばを切るには、
上から押さえつけるように切っていくという。
戸隠あたりで見かけるけれど、
畳んだところが、3センチも4センチもある生地を、
包丁を叩き付けるように切っている。
う〜ん、これはこれで難しそうだ。

作るそばによって、包丁も、包丁の使い方も違うのだね。

そば打ちを始めた人が苦労するのが、
この包丁を使った「切り」だ思う。
プロの人だって、きちんと角の立った、きれいに整ったそばを切るのは、やっぱり難しいはずだ。

私のそばだって、あっ、今日はチト太かったな、、、とか、
しまった細すぎた、、、、なんてことがある。
まだまだ未熟者。

また、お客さんに聞かれる。
「どうして、こんなに細くそばを打つんだい。」

はい、私の体型に合わせて、、、、、
いえ、神経にあわせて打っているからです。はい。

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2007年2月 9日 (金)

土、日の夕方に七福神巡りのご案内。

先日、テレビの取材があり、そばを打つところと、いくつかのメニューを撮っていった。
いつも思うけれど、テレビの取材って大変だ。
少しづつ、丁寧に撮っていくので、けっこう時間がかかる。
でも、映っているところをみると、「あれっ、これって私の店だっけ。」と思うぐらいにきれいに映してくれるのだ。
さすがにプロだ。

今回のスタッフも、口が上手。
カメラの前で、つい緊張してそばを打っていれば、
「いやあ、楽しそうにそばを打ってらっしゃいますね。」
なんていうから、つい、こっちもそういう気になってしまう。
そんな、ちょっとした言葉が、いい番組を作る基本なんだね。

そんな感じで、気持ちのいいスタッフが撮ってくれたので、
今回はそれほど緊張しなかった。
いえ、あくまでも「それほど」であって、やっぱり冷凍庫に三時間ぐらい閉じ込められていたようなギコチナさ。
でも、編集の仕方でどうにもなるからな、、、、とちょっと不安。
どうだろうか。

いつ放送だって。
えええっ、昨日だったの。
見なかった。
どんなふうに映っていたのだろう。

長野では明日から「灯明まつり」が始まる。
夕方から、善光寺をライトアップし、
周辺で様々な行事が行われる。
私の参加している「歴史の町長野を紡ぐ会」でも、
七福神巡りと紙芝居や語りによる行事を企画している。
詳しくはこちら

私も微力ながらお手伝いさせて頂くので、
ぜひご参加を。

 

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2007年2月 8日 (木)

テングサを使った「磯切り」もあるみたいだが。

長野は相変わらず、あたたかな晴天が続いている。
体は楽でいいが、いいのだろうか、これで。
そういう心配をしてしまいそうな陽気だ。
例年なら、もう、ワカサギ釣りに行っているのに、今年はまだ、氷が張っていないとのこと。ひょっとしたら、この冬は、ワカサギと出会わないで終わってしまうかもしれない。

さて、この火曜日は、恒例の「十割そばの会」。
今回は大勢の方にお越し頂き、ありがとうございました。

Isogiri 今回の変わりそばはこちら。
えっ、なんだこの黒いそばは。
しかも、いつもに比べてかなり太め。

古典的な、冬の変わりそばの中から、今回作ったのは「磯切り」。
つまり「海苔」を打ち込んだそば。
本来ならば、香りの高い摘み海苔を使うのだろうけれど、手に入らないので、焼き海苔を使った。いちおう「上から読んでも〜」の「山○山」の海苔。

海苔の繊維が大きいので、細く打つことができず、太めになった次第。
これを、海苔の香りを楽しむために、焼き塩で味わっていただいた。

あるお客さんいわく、
「これは、酒のつまみになるよ。」
ほかのお客さんいわく、
「しょっぱ〜〜〜い。」
あれあれ、塩のつけ過ぎだって。

ということで、今回も私は遊ばせていただいた。
来月は、、、、、また、考えておこう。

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2007年2月 4日 (日)

間食と食事の間の量は?

先日、家の近所の定食屋さんに入ったら、ご飯もおかずも、山と盛ってあってびっくりしてしまった。さすがにこの量は多すぎる。
私は、食べ物を残すのが嫌なので、頑張って食べたのだが、さすがに食べきれなかった。
若い人達にはいいのかもしれないが、、、、ということは、私はもう年寄りなのか。

初めて入る店で食事を頼む時、この量がどのくらい出てくるのか分からないので、つい警戒してしまう。
ちょうどいい量ならいいけれど。

そば屋だってそうだ。
そば屋によって盛りが違うから、頼んでみるまで、腹の希望にそえるかどうか、わからないのだ。

お客さまが持ってきてくれた新聞の切り抜き。
ここにもそばの量の、不透明さを指摘している。

だいたい東京のそば屋は、量がすくない。
特に老舗といわれるところほどそうなのだ。
その記事によれば、ある老舗では、一人前は120グラム。
なんだ、それなら「手打ちそば屋かんだた」と同じではないか。
と、よくみると、茹で上がりでこの重さ、と書いてある。

ということは、生麺だったら80グラムぐらい。
私の店の三分の二の量ということになる。

そばの起こりは間食。
だから、もともと量が少なかった、という説もある。

これは多分、江戸という大都会でのお話。
そばが食事であった長野や東北では事情が違う。
たっぷりと、ある程度の量があった方が好まれるみたいだ。

だいたい、そば屋は自家製麺が多いから、
一人前の量は、その店の考え方で決まることになる。
ラーメンなどのように、工場製麺が主だと、機械の規格などで、
自ずと量が決まってきたりするようだ。

でもね、ちょっと小腹がすいたから、
軽くそばでも食べようとしてそば屋に入ったら、
富士山か、マッターホルンかというぐらいそばが盛ってあっても困る。
そばを鱈腹喰うぞ、と思ってのれんをくぐったら、
ほんの三口で終わってしまうのも、寂しい。

お客さまにも、量を聞かれることがあるが、
どういう風に、それを伝えたらいいのだろうか。
う〜ん。
やっぱり一度食べてもらうとか、、、。
全然解決していない、、、さあ。

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2007年2月 2日 (金)

「薄ばか下郎」なんてひどすぎる

新聞によれば、日本魚類学会というところで、ある種の魚の改名を決めたという。
つまり「メクラ」とか「オシ」「イザリ」などの差別的な言葉を含む魚の名前を、外の名前に変えたのだ。
中には「バカジャコ」なんて名前の魚がいて、これなんぞ晴れて「リュウキュウキビナゴ」と呼ばれるようになるらしい。
なるほど、こういうところにも気を遣うのだね。

考えてみたら、かわいそうな名前の動物がいるものだ。
例えば、天然記念物に指定されている「アホウドリ」。
あれは、やっぱり「アホウ」な鳥なのか。
これはいまさら改名することはできないのだろうな。
これだけ一般的になると。

昆虫に「ウスバカゲロウ」と呼ばれるものがいる。
これは、幼虫の「アリジゴク」で二、三年過ごす。
そして、やっと成虫になったと思ったら、三週間しか生きられない、はかない虫なのだ。
それなのに、それなのに、
こんな名前をつけられてかわいそうに。

だって、「薄バカ下郎」だよ。

、、、、、、え、「薄羽カゲロウ」だったの。

ある観光地で、売店のお兄ちゃんが何か叫んでいる。
「・バカ・まんじゅうはいかがですか。」
おやっ、と思って聞いてみるけれど、やっぱり同じように聞こえる。
「名物の・バカ・まんじゅうはいかがですか。」

よく見てみたら、でかでかと「そば皮饅頭」の看板が。
お兄ちゃん、もう少しはっきりと発音してよ。

魚も鳥も虫も饅頭も、本来は、それなりの愛情を持って付けられた名前だろうけれど、やっぱり、読み方によっては、印象が悪いこともあるんだ。
名前って大切だね。
読み手の問題もあるかも知れない、、私の場合は。

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2007年2月 1日 (木)

そばは「毒」ではない。

やれやれ、やっと、納豆フィーバーが収まって、スーパーでも、今までと同じように納豆が売られるようになった。
いったい、あの騒ぎは何だったのだろう。
ああいう番組を作る方も作る方だけれど、それを見て、すぐに納豆を買いに行く方も行く方で、実に実に判断の基準が薄っぺらな感じがする。
と、他人のことはなんとでも言えるけれど。

どうも、ダイエットという言葉に、敏感に反応する人が多いようだ。

ラジオでも、テレビでも、やたらとダイエット関係の食品や器具が売られている。
エステなどでも、ダイエットコースが人気なのだそうだ。
高いお金を払って、効果はあるのだろうか。

実は、ダイエットと云うのは簡単なことだ。
食べなければいいのだ。
って、食べずにいられないから、みんな苦労しているんだね。

人間の体は、とにかくエネルギーを貯えようとする働きが強い。
これは、過去に、何回も飢えを経験してきているかららしい。
だから、人間の体は、来るべき飢えに備えて、余分なエネルギーをとっておくんだね。
考えてみれば、日本の国だって、つい50年ぐらい前までは、常に飢えに脅かされていたのだ。

だから、体重は、銀行貯金と同じで、いざという時のための貯えなのだ。
だったら、たくさんあってもいいじゃない。
でも、貯金があまりに多いと、命のろうそくが短くなるという。

人間の体重は、貯金通帳と同じ。
摂取したエネルギーから、消費したエネルギーを引いた時、
残りがあれば、貯金される。(体重が増える)
足りなければ、引き出される。(体重がへる)
たったそれだけのことだ。

ダイエットをしたいなら、
摂取エネルギーを減らし、
消費エネルギーを増やす。
たった、それだけのこと。

でも、、、。
でも、、、。
わかっているんだけれど、、、、、、、。

なにか、いい薬か何かあって、それで痩せられないかな、、、、。
ははは、あるある、そういう薬が。
これを飲めば、体重が五キロでも、十キロでも痩せられる。
そう、そういう薬。
「究極のダイエット薬」

これはもっと簡単な言葉にいいかえられる。

「毒」

そんな薬があったとしたら、人間の本来の機能を阻害するものに外ならないんだ。

○○で痩せた。○○がよく効いた。
そんな食品が、もし、仮にあったとしても、それは、あなたの健康を脅かすもの、つまり「毒」にほかならないだろう。
生命にとっての一番大切な、栄養を摂るという活動を邪魔するわけだから。
人間の体重は、貯金通帳の数字の出し入れでしか、調整はできないらしい。

さて、なら、摂取エネルギーを減らせばいい。
一般的なせいろそば一枚のカロリーは、ツユまで入れて300キロカロリーと少し。
そばは、健康的なダイエット食品なのだ、、、、。

ということで、今日も強引に「そば」まで話を持ってきたぞ。

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