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2006年12月23日 (土)

機械は手打ちを追い抜く。いつかは。

 昔、あるスキー場の近くに、「手打ち蕎麦」の看板を掲げる店があったので行ってみた。
 どちらかというと喫茶店という雰囲気の中で出て来たのは、まあ、苦労して作ったのだろうなと思われる蕎麦。
 ぼそぼそ、ぶつぶつ、ざらざら。まあ、たまにはこういう蕎麦もいいかな。

 他に客がいなかったせいもあって、奥から60代初めぐらいのご主人が出てきて声をかける。
 「どうです、やっぱり手打ちは違うでしょう。」
 「あっ、はい、やっぱり手打ちですね。」(おいおい、講釈するんじゃないだろうな)

 「機械ではこういう味はでないのですよ。」
 「そりゃそうでしょうね。」(だって、機械の方が上手だもの)

 「いいですか、手打ちの蕎麦がどうしておいしいかというと、、。」
 「はあ。」(あれ、始まっちゃったよ。)

 「機械には心がないでしょう、心が。そのてん、手打ちは心がこもっている。心を込めて作った蕎麦だからおいしいのですよ。」
 「そうですね。」(あ〜あ、こんな頑固親父に心を込められちゃって、俺に頑固が移っちまう。)

 さて、今でこそ手打ち蕎麦がブームになっていて、あっちでも手打ち、こっちでも手打ちと持ち上げられている。
 うちは機械だよ、なんていうと、なにか蔑んだ目でにらまれそう。

 でも、機械で打っても、おいしい蕎麦はおいしい。
 蕎麦のことをよく知り、長い間修行をした人であれば、機械でもすごくいい蕎麦が出来る。東京の老舗店の蕎麦などがそうだ。
 最近は手打ちばかりでなく、機械を使った蕎麦打ちも注目を浴びてきているようだ。最新の製麺機はよくできているし、店の状況によっては、積極的に使ってもいいと思う。 
 手打ち麺と、機械麺、比べてみても遜色はない。

 でも、手打ちには手打ちでしかできないことがある。
 機械にも、機械でしかできないことがある。

 その特質を生かして蕎麦を作らなければ、手打ちにこだわる意味はないのだ。心がこもっているとか、手のぬくもりを伝えるとか、そういう感覚的な問題ではなく、きちんと技術的に違いを見せなければいけないと思っている。

 あの親父さんに心を込められたから、どうやら私は頑固者になってしまったみたいだ。
 えっ、「手打ちそば屋かんだた」は機械を使わないのかって。
 だって、、、だって、、、。
 「かんだた」は貧乏だから、機械を買えないんだもの。
 だから当分手打ち。
 ずっと手打ち。

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