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2006年10月 9日 (月)

昔は暴れ獅子と呼ばれていた。

 「手打ちそば屋かんだた」は、権堂という長野の古い繁華街の、横小路の、さらに行き止まりの路地裏の蔵の中にある。

 蔵づくりだから、窓がない。音も聞こえてこない。
 今、果たして、晴れているのか曇っているのか。はたまた明るいのか暗いのか、中に居ると全く分からないのだ。
 ましてや、表通りが賑わっているのか、お祭りをやっているのか、それとも、誰も歩いていないのか、そんなことを知る由もない。
 きっと、すぐそこで火事があっても、隣の家が隕石が落ちてつぶれても、ティラノザウルスがのっしのっしとアーケードを歩いていても、なにも知らずに蕎麦を茹でていることだろう。

 だから、昨日は表参道がずいぶん賑わったことなど、知らなかった。
 今日は、やけに忙しいな、あれれ、蕎麦がなくなっちまったよ、などと慌てていただけだ。

 夕方、ふと外に出てみたら、権堂の獅子と屋台がアーケードを通るところだった。
 これがあの「勢獅子(きおいじし)」か。
 恥ずかしながら、実際に踊っているのを見たのははじめて。
 おお、大きな頭だ。これが右に左に、立っている人間を威嚇しながら練り歩く様は、迫力があって面白い。
 獅子頭に続く幕の中には、十人ぐらいの人の足が見えたけれど、あれだけの獅子を持っているのは大変だろうなといらぬ心配。
 それに引かれる山車も立派。中でちゃんと、三味線と笛と太鼓のお囃子をライブで響かせている。

 明治の始め、祭りを盛り上げるようにと、誕生したばかりの県の御墨付きを貰ったという、権堂の勢獅子。
 せっかくの人出。こういうので人を楽しませる趣向はいいことだ。

 中に顔見知りの近所の方がいた。すみません、お手伝いできなくて。こうして伝わっているものがあるのだな。この町には。

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