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2006年10月30日 (月)

ポジティブリスト制

 今年の新蕎麦は、お客さまにも好評。はっきりとした香りと食感を感じることが出来る。

 蕎麦の到着が遅くなったのは、ちょっとした農業制度の変更も関係しているらしい。
 蕎麦に限らず、農作物は「残留農薬」の検査を受けるのだが、この春から、この制度が変わった。

 今度の制度は「ポジティブリスト制」という。

 なんだそれ。日本語で名付ければいいのに、どうしてやたらカタカナ名を付けたがるのかな。そうか、お役人は、きっと、漢字を書くのが嫌いなのだ。もしかして、書けなかったりして。
 はい、「じゅたくしゅうわい」と書けますか。

 日本語で言えば「積極的評価法」とでも言うのだろうか。それとも「革新的残留農薬検査基準」とでも言うか。
 つまり、いままでは、残留してはいけない農薬を表にしてあったが、今後はいっさい農薬が残ってはいけないことになる。逆に、いくつかの農薬については、多少の残留は認めましょうと言うことだ。

 いままでは全ての農薬に付いて検査していたが、農薬の管理を徹底して、残留する恐れのあるものだけを調べるようにしたらしい。輸入品も含め、農薬の種類が増え、検査が煩雑になったからだね。

 蕎麦はほとんど農薬を使わないで栽培される。
 だったら、残留農薬なんか、関係ないではないかと思うがそうもいかない。

 前作の作物で農薬を使えば、それが土の中に残っているかもしれない。
 隣の畑で消毒をすれば、多少は蕎麦の方にも舞っていくかもしれない。
 だからやっぱり、きちんとした検査をしなくてはならないのだ。

 制度は今年から変わったばかり。生産現場では、多少の混乱があるらしい。
 なにげなく食べている野菜だけれど、こうして厳しく安全が守られているのだね。

 でも、寄ってくる虫を、一瞬で殺してしまうような薬や、殺菌剤を与えなければ育たないような野菜を作って、また、膨大な手間をかけて検査する。
 よくわからないが、どこかが、何かが、間違っているのではないかな。そんなことはないのだろうか。

 「受託収賄」です。お役人の皆様。

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2006年10月29日 (日)

毒キノコより熊が恐い。

 だいぶ前のこと、紅葉の季節に山の中にあるそば屋へ行ったことがある。
 店の壁に、「キノコの天ぷら」などと書かれた張り紙があったので、てっきり山のキノコの天ぷらと思い、ちょっと高いが頼んでみた。
 出てきたのは、なるほど、エノキにマイタケ、シメジにシイタケ。おお、きのこだ。近所のスーパーでパックされて売っているキノコが、こんな山奥で食べられるなんて。と、怒り心頭に感激して帰ってきたことがある。

 これと同じ失敗を、数人の仲間達と山に行ったときにしてしまった。
 ある山の中の食堂で、みんなでキノコ鍋を頼んで食べたのだが、中身はどこにでもある栽培されたキノコ。こんなもの食べるために、わざわざこんな山の中まで来たのかい。と文句たらたら。
 その帰りに寄った、観光地の売店に「キノコ汁」なんて書いてあるので、期待せずに頼んだら、これが本物の山のキノコ。売店のベンチに並んで食べたら、これがうまいこと。思わずおかわりをしようと思ったが、「キノコ汁」の下に値段が書いてない。幾ら取られるのか、不安があったのでちゅうちょした。
 後で聞いたら、一杯200円だって。なんだ、もう一杯頼めばよかった。

 この季節、「キノコそば」なんぞを出してくれるそば屋さんもあるが、まず、山のキノコを使っているようなところはないだろうな。わざわざ、山の中まで行ってもこの有り様だもの。
 でも、店をやっている人が、キノコ好きだったりすると、ちゃんと本物が出てきたりする。長野市内でも、そういう山のキノコを食べられるそば屋があるのを知っている。

 先日、鬼無里の奥の方まで行って来た。ちょっとしたハイキングと紅葉狩り。
 遊歩道を歩いていたら、木の株からにょきにょき出ているキノコを発見。これは何だと、と思ったが、何となく食べられそうな気配。だから両手に一杯ぐらいもって帰った。
 調べてみると、どうやら「クリタケ」のようだ。汁にして食べてしまったが、今のところ私も連れ合いも生きているので、大丈夫のようだ。

 ということで、キノコの目利きがよくできない「手打ちそば屋かんだた」で、山のキノコが出てくるのは、もう少し「人体実験」を繰り返してからになりそう。

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2006年10月28日 (土)

「善」の字が牛に似ているとも言われている。

 「手打ちそば屋かんだた」は蔵の中にあるのだが、周りは建物に囲まれてしまって、その外観は全くみることができない。
 春先に、天井の出窓のところに、鳩が巣を作ってしまったようで、バタバタと羽音がうるさい。気になるので中から梯子をかけて、小さな出窓を開けてみると、その外に、なんと、小さな鳩の赤ちゃんがニ羽、ちょこんと座っているではないか。
 まだ、タマゴから孵って間もないのだろう。怖がっているわけでもないだろうが、真ん丸い目玉で、こちらを見つめている。

 しめしめ、鳩の丸焼きが喰えるぞ。
 そう思ってそのニ羽を捕まえ、、、、ることは、さすがにできなかった。

 せっかく生まれたばかりの鳩の子だ。まあ、大きくなるまで放っといてやるか。
 ということで、そのまま窓を閉めておいた。しばらくは親鳥がうるさく翔いていたけれど、やっとこのごろ静かになったみたいだ。

 恐れ多くも、善光寺のお膝元で、鳩を捕まえるなんて、できないよね。

 今、シートを被って修復工事中の、善光寺三門に掲げられている「善光寺」の額は、「鳩字の額」とも呼ばれている。
 その「善光寺」と書かれた三文字の中に、鳩が隠れているんだ。何羽いるのかお探しあれ。いまは工事中なので、本物は善光寺史料館に収められているけれど、実物大のコピーが掲げられているので、見ることができる。
 たしか、長野駅のコンコースにも置いてあったような気がした。

 だから、善光寺と鳩とは繋がりがあるのだ。
 でも、また、出窓に、愛の巣を作られても困るので、寒いうちになんとかしよう。

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2006年10月27日 (金)

生意気な高校生。

 水回しをして、そば粉をまとめる時、手のひらに感じる、ふわっとした感触。
 ぐっと押さえつけると、向こうも、負けるものかと押し返してくる。

 ああ、これが、新蕎麦の感触なのだな。

 まるで生意気な高校生の坊主。
 ちょっとばかり、世の中のことを知ったからって、まるで自分の天下を盗ったような不遜な態度。
 なにかを言えば、その十倍ぐらいの言葉が返ってきそうだ。
 そしてなにより、周りに青臭い匂いをぷんぷんと振りまいている。

 やっと届いた「北海道産」の新蕎麦。
 待っていたかいがあって、いい蕎麦になっている。
 今年の北海道産も、順調な収量。今のところ、長野県産も順調に育っているようだ。う〜ん、これはいいぞ。

 新そばは、香りもいいが、食感も違う。
 茹で上がりが、プチっと、ふわっとしている。
 この喉越しが、この季節を待つことの醍醐味だね。

 いまは生意気な高校生ぐらいだが、しばらくすると、もっと落ち着いて、人生の味が出るように、甘味も付いてくる。
 蕎麦もそうやって、成長するんだね。そう言って勝手に育てているが。

 それなりに季節の変化を楽しみたいものだ。
 くれぐれも「ひねたオジさん」や「かしましオバさん」にはなってもらいたくないけれど。
 えっ、あなたのことではないですよ。

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2006年10月26日 (木)

25才はお肌の曲り角。

 そんなコマーシャルが流れたことがあったっけ。
 これは、女性の心理をついた、実にうまい宣伝文句だ。
 まだまだ、肌の手入れなんぞ早いと考えていた年齢層まで、化粧品の販売の対象にしてしまったのだ。
 餌は「おどかし」。
 少し前に問題になっている、リフォームやシロアリ駆除の悪徳業者の手口とにている。
 「このままだと、家の土台が腐りますよ。」
 そう言われれば、気にならない人はいないだろう。そうして床下に、大した意味もなく換気扇を付けたり、薬を撒いたりするんだね。
 私も肌が荒れているかもしれない、そんな危惧をあおることで獲物釣ってしまう、化粧品会社の策略たるもの、大したものだ。

Tiji  蕎麦を打つ時には、いつも蕎麦の生地の肌を気にしている。

 練ることを「つやだし」ともいうが、しっかりと均一なツヤのある玉に練りあげないと、きれいに伸ばすことができない。
 伸しも、蕎麦の色やツヤが、むらのない、弾力のある肌を保つように広げていく。急ごうと力を入れ過ぎれば、表面に水が浮く。そうすれば茹で時間がかかるようになる。
 かといって、時間をかければ、蕎麦はすぐにお婆さんの肌になってひび割れてくる。

 蕎麦は、肌が曲がらないように伸ばすことが必要。
 もし曲がってしまった時には、マ○ダムジュジュを使ってみよう。
 あっ、もう手遅れだって。

 

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2006年10月24日 (火)

きれいな水のあるところ。

 蕎麦という食べ物は、大量の水がないとできない。
 日本は、良質の水に恵まれているから、こういう蕎麦切りという食べ方が、発達したのだろう。

 これが外国で蕎麦を打って、茹でるとなると、大変だろうなと思ってしまう。
 水道の水がそのまま飲める、なんていう国は、限られているらしい。

 例えば前に行ったことのあるメキシコ。
 安ホテルに止まると、廊下にでっかいガラスのビンが置いてあって、飲む時はこれを飲むようになっている。
 水道の蛇口をひねれば、ちょっと勢いが心細いけれど、水は出てくる。別に汚れていないし、この水で顔を洗い、歯を磨き、うがいもした。だけど、飲むのはだめらしい。消毒がされていないのだ。

 メキシコ人の家でほうれん草のお浸しを作ったら、茹でたほうれん草は、最後は殺菌剤の入った水で洗えという。バクテリアがついているかもしれない、というのだ。へえ、バクテリアねえ。
 この国で、そば屋をやっていれば、蕎麦を茹でて、水で洗ったら、最後はやっぱり殺菌剤入りの水で洗わなければいけないのかな。

 その点、スペインのマドリッドは、水道の水がそのまま飲める(あまりお薦めしないけれど)、外国では珍しい都市だ。
 スペインでは、あとは、南部のグラナダあたりだろうか。他の町では、飲めないことが多いのでご注意を。

 だから、マドリッドかその周辺ならば、まあ、そば屋をやっても、日本と同じように水が使えるわけだ。これって大切なことだよね。
 あとはどうやって、スペイン人にそばを食べさせるか、、、だな。

 ということで、「手打ちそば屋かんだた」のスペイン進出計画は、着々と進行中(?)。
 メキシコはアカプルコで、ハリウッドスターに蕎麦を食べさせるという案も魅力的なのだが。

 まあ、夢は見るためにあるのだから。

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2006年10月22日 (日)

麻薬の代わりに蕎麦を。

 ミャンマー、タイ、ラオスの国々の山岳地帯は、ゴールデントライアングル(黄金の三角地帯)と呼ばれている。
 えっ、金が採れるのかって?
 いやいや、ここで栽培されているのは、ただの草。でも、ここでの特産品を、特に欲しがっている人たちがいるようだ。
 まさか、日本にはいないよね、そんな人は。

 この山岳地帯に住む人たちは、貧しさに追われ、そのためにかっての植民地としての支配国であるイギリスの置きみやげ、ケシを栽培するようになった。
 そう、麻薬(あへん)のもととなる草だね。

 でも、数年前から、ミャンマーの山岳地帯では、少しづつではあるが、ケシの代わりに蕎麦を栽培するようになった。
 これは日本政府の援助を受けたもので、日本の民間団体が、現地での栽培指導をしているとのことだ。

 麻薬の代わりに蕎麦を植えよう。
 そういう取り組みが行われているんだね。

 まだ、ほんの僅かではあるけれど、ミャンマー産の蕎麦が日本に輸入されている。へえ、そうだったんだ。
 今、日本の輸入のほとんどを占める中国産のそば粉の価格が上がっているところだ。ひょっとしたらミャンマー産の蕎麦が注目を浴びるかもしれない。

 蕎麦は、日本では多くの人を飢えから救ってきた実績がある。
 これが、ミャンマーで、農民たちの救いになり、世界から麻薬を撲滅するための手段となればいいと思う。

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2006年10月21日 (土)

戸隠蕎麦は「ぼっちもり」

 「手打ちそば屋かんだた」で出している蕎麦は、いわゆる江戸打ちというもので、細く軽いそば。そして、せいろにバラッと広げて盛るのが普通だ。

 長野の戸隠には、また違った蕎麦の伝統がある。
 面白いのは、その蕎麦の盛り付け方だ。
 茹で上がった蕎麦を、冷水に放った後、水を切らずに、蕎麦を一口ずつまとめて、ザルに盛る。いわゆる「ぼっちもり」という盛り方だ。
 これが戸隠蕎麦の、見た目での特色と言える。

 ちょっと試しに、「かんだた」の蕎麦で、この「ぼっちもり」をやってみた。

Bochimori1 水に放った蕎麦を、人さし指で引っ掛けてすくいあげる。
 それを折るようにして、ザルの中央に置く。
 それを繰り返して、ザルに盛っていく。
 五つの塊に分けて盛るのが基本なのだそうだ。

 昔、戸隠の人に蕎麦打ちを教わった時にも、やったような気がするが、ちょっと記憶があやふや。
 これだと短く切れたような蕎麦は指に引っ掛からないので、水の中に残ってしまう。慣れればけっこう手早く出来るかもしれない。

Bochimori2 一応それらしくなったけれど、細い蕎麦では、こういう盛り方をしても迫力がなさそうだ。
 やはり、水切りをしていないので、水が垂れるし、麺が横のなっているので、いつまで経っても水が切れない。

 やはり、この盛り方は、戸隠の荒々しい感じの蕎麦に合っている。
 蕎麦によって、それなりに盛り方も工夫されているんだね。


 

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2006年10月20日 (金)

蕎麦なんか、見たくもない。

 前に居酒屋をやっていた時に、あるお客さんが言う。

 「蕎麦なんか嫌いだ。見たくもない。」

 私より少し上の世代の方。若い時から苦労をされて、今では小さな会社の社長さん。なかなか、精力的な感じの方だ。

 「子供の頃に、蕎麦をさんざん喰わされた。だから、もうたくさんだね。」

 そう言って、聞かせてもらった蕎麦の話。
 なるほど、人にはそれぞれに体験があって、そういうことがズッと心に残るのだね。

 その社長さんの育った家は、山の中にあった。どの家も同じように貧しく、そして食べ物が少なかった。
 食事と言えば、畑の野菜ばかり。秋に採れる、柿やサツマイモが子供たちの楽しみだった。

 当時の子供たちは、家のためによく働かされた。
 学校から帰ると、桑の葉摘みに行かされたそうだ。家にいる「おかいこ様」に食べさせるためだ。急な山の斜面にある桑畑を、カゴを背負って、何度か往復をする。ちょっとでもサボると親父さんに叩かれたという。
 家に戻っても、まき割りや風呂のたき付けなどをやらされた。
 そして、夕食は、蕎麦の粉を湯で練って、葉っぱばかりの浮いたみそ汁に入れたものだったという。ときには、長い蕎麦に打って、やはり、みそ汁にとうじて食べたのだ。
 山の中では、わずかな米しか採れなかったから、蕎麦が大切な主食だったんだ。

 その社長さんは、子供の頃、「白いご飯を腹一杯食べたい。」そう思いながら、みそ汁に沈んだ蕎麦を食べていたそうだ。

 たかだか50年ぐらい前のお話し。その頃の山の中の人たちは、文字どおり、食べるための厳しい生活をしていたのだ。
 今の時代からは、想像できないけれどね。

 子供の頃の辛い思い出が、その方を蕎麦から遠ざけている。
 そういう経験が努力を生んで、立派な会社を率て行くことができるのだろう。

 山の中で育った年配の方の蕎麦に対する思いには、複雑な「気持ち」があるのかもしれない。

 「蕎麦の自慢はお里が知れる」

 この江戸時代のことわざの様に、蕎麦と言うのは貧しさの象徴でもあったんだ。だから、この時代になっても、素直に蕎麦を食べられない、わだかまりのある人も、このようにいるのだ。

 でも、そういう人も、きっといつかは蕎麦を食べてみるに違いない。
 そういう時に、
 「あれ、蕎麦ってこんなにおいしいものなのだったんだ。」
 そう思わせられるような蕎麦を作らなければ。


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2006年10月19日 (木)

「砂場」の起こりは関西だって

 江戸そばの流れを汲むといわれる三大のれんと言えば、「やぶ」「更級」「砂場」だ。
 どの店も江戸時代の文献にその名が載り、長い年月の間に様々な系列が出来、「本店」「分店」「総本家」など入り乱れながら、現在に続いている。

 短く見積もっても、ざっと200年以上は、のれんをかけ続けているのだから、大したものだ。
「手打ちそば屋 かんだた」なんぞ、まだ、その百分の一ぐらい。先は長いぞ、がんばろう。

 どれも江戸文化の担い手であったろうかと思ったら、「砂場」というのは、もともと大阪の店だったそうだ。それがどういう訳か、江戸に出店。最初の頃は「大阪砂場そば」の看板をかかげ、大阪系であることをアピールしていたそうだ。
 つまり、最初は関西系の味だったわけだね。
 それから、多少の変革はあったろうが、今でも「砂場」のつゆは薄めだという。
へえ、そうだったんだ。
 私は「砂場」系では、暖かい種物が好きだったけれど、そんな謂れがあったんだね。今度東京に出たら、試してみよう。

 なるほど、大阪から江戸に進出したそば屋があったのだね。
 よし、私も、長野から「スペイン」に進出するぞ。

 いつのことやら。



 

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2006年10月17日 (火)

そば粉が入っていなければ「そば」と呼べない。

 本日10月17日は、「沖縄そばの日」だそうだ。

 沖縄そばは、小麦粉から作られる、うどんとラーメンの中間ぐらいの麺。それを独特のスープで食べる。
 古くからの伝統食で、沖縄では広く親しまれているらしい。

 さて、沖縄が日本に返還された時、日本のお役人が、この沖縄そばに、いちゃもんをつけた。
 「そば粉が入っていないのに、『そば』を名のるとはけしからん。『そば』と言うのであれば、そば粉を30パーセント以上入れろ。」

 驚いたのは、沖縄そばで長年商売をやってきたおっちゃん達。
 今さら親しんだ「そば」の名を、急に「うどん」にしろ「ラーメン」にしろと言われても、ピンと来るものではない。
 それで、気長な説得の末、ついに「本場 沖縄そば」の名前の使用を認めさせたのだそうだ。それが28年前の今日のことなんだね。

 そば粉が入っていなくても、長くて細い麺のことを「そば」と呼んできたのだけれど、お役所の見解は違うらしい。
 「そば」と表示するには、そば粉が3割以上入っていなければいけないのだ。

 でも、巷に溢れている「中華そば」なんてどうなの。
 誰も「中華そば」と聞いて、そば粉が入っているなんて思わない。
 でもこういうのも、そば粉が入っていないから、お役所的には使用禁止のはずだけど。

 「焼そば」なんか、「中華麺焼き」「焼きラーメン」にしなければいけないし、「そばめし」はどうなるのだろう。

 

世の中のすべての「中華そば」「焼そば」「そばめし」は、そば粉が30パーセント以上含まれていなければ、その名前を改めるべし。

 そんな通達が出るかもしれないな。締め付けの強い昨今だから。

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2006年10月16日 (月)

うまいものは手間がかかる。

Nerimiso 本日は練り味噌づくり。
 二種類の味噌を合わせて出汁で溶き、時間をかけて練り上げる。
 この味噌は、鴨肉と合わせて「鴨味噌」を作ったり、田楽のときに使ったりする。他に焼き物や煮物のタレにすることができる重宝な味噌なのだ。

 ただ、作るのが手間。
 だいたい四時間ぐらいかかる。それに焦さないようにするため、ずっとかき回していなければならない。
 つまり、付きっきりということ。ゲッ!

 その間、メキシコのアイドルグループ「RBD」のCDを聞いていた。
 テレビドラマから産まれたという、若い6人の歌。まあ、歌はともかく、ノリのいいリズムが心地よい。

 ということで、今回の練り味噌には、メキシカンポップスの隠し味が効いている。
 タコスのソースの様に、決して辛くはないのでご安心を。

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2006年10月14日 (土)

「ぽろたん」ってなに。

 今日のニュースから。
 茨城県にある果樹研究所が、栗の新品種育成に成功した。
 その名も「ぽろたん」。

 加熱すると渋皮がポロンとむけるから、この名前が付いたとか。
 つい先日、我が家では栗ご飯をいただいたばかり。でも栗って、あの皮をむくのが大変なんだよね。渋皮が簡単にむけるなんて、いいかもしれない。
 市場に出回るのは、まだまだ先になるらしい。

 でも、このネーミングって、栗とは思えない名前。浸透するかな。

 ちゃんとこうして、品種の特性を研究しているところがあるんだ。
 植物の研究って、年月のかかる地道な仕事。蕎麦もきっとどこかで、研究されているのだろうね。
 農家の人たちの作りやすい、おいしい蕎麦が開発されるといいものだ。

 でも「ぽろたん」て、誰が名付けたんだろう。


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2006年10月13日 (金)

花でもてなす。

 長野の蕎麦の花も、いよいよ終わり近付き、収穫のタイミングを待つばかりとなったのだろうか。まだ早いだろうか。
 「かんだた農園」のそばの花は、今が盛り。

 

蕎麦はまだ花でもてなす山路哉  

 この芭蕉の句碑が長野にあるらしい。
 へえー、どこだろう。
 芭蕉は長野に来たのだろうか。

 と思って調べてみたら、この句は今の三重県の伊賀に居た芭蕉を、弟子がはるばる訪ねて来た時に詠まれたもの。
 せっかく来てもらった山家には、何もない。せめて、蕎麦でも食べさせたいと思うが、今は、花が咲いているだけ。せめて、花でも見て楽しんでほしい。
 
 私の勝手な解釈だけれど、こんな感じなのかな。違うかもしれないが。

 長野のどこかの蕎麦畑の近くに、確かにこんな句が似合うのかもしれない。

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2006年10月12日 (木)

花は赤いが実は何色?

Akasoba_1 店の入り口の、赤蕎麦の花が今、盛んに咲いている。

 さて、この赤蕎麦の実、果たして何色をしていると思いますか。

  1、黒い鞘の中に、薄いピンク色の実
  2、普通の蕎麦と同じで黒い鞘の中に、白っぽい色の実
  3、赤い鞘の中に、薄いピンク色の実

  今年はけっこう赤くはなったが、まだよく赤みが出ていない気がする。気候のせいなのだろうか。
 話しに聞けば、ヒマラヤやネパールの方では、まるで赤いじゅうたんを敷き詰めたように、蕎麦の花が咲くという。
 寒さに当たった方が、花の赤さが増すらしい。
 だから今年は去年より遅めに種を蒔いたのだが、9月が気温が高かったので、結果としては同じようになってしまった。

 さて、この蕎麦からできる実は、薄いピンク色をしていて、その粉で蕎麦を作ると、ピンク色の蕎麦ができる、、、、、といいのだけれど。
 残念ながら正解は2番。普通の蕎麦と変わらないのだ。

 収穫量は、白い花の蕎麦より劣るので、もっぱら観賞用ということらしい。蕎麦の実が落ちにくいので、冬を越えて収穫することができるという話を聞いたことがある。どうなのだろう。

 長野県でも南部の方で、この赤い花の蕎麦を食べさせてくれるところがあるみたいだ。味のほうはどうだろうか。

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2006年10月10日 (火)

二晩置いたらどうなるのかな。

 よく、蕎麦の「三たて」などといい、碾きたて、打ちたて、茹でたてがいいというのだ。でも、そんなことは、「当たり前のこと」。
 コンビニでも「焼きたてのパン」が売られている時代。こんな言葉を売りにしているような蕎麦店は、かえって怪しい。

 ところが、けっして、この「三たて」がいいとは限らないのだ。

 特に打ってからの蕎麦は、少し置いていいた方がいいという人もいる。
 打ちたては、打ち粉が馴染まずに、釜の湯に浮いてしまうので、意識して湯に回さないといけない。
 私の蕎麦だと、打ってから一時間ぐらい置いて茹でた方がいいような気がする。

 蕎麦粉だって大変だ。
 石臼で碾かれて粉になって、袋にはいってやっと落ち着けるかと思ってら、いきなり冷水を浴びせられるのだ。
 その上ぎゅうぎゅう捏ねられて、叩かれて、刻まれてと手荒い仕打ちを受けるのだ。
 ゆでられる前に、「俺は蕎麦になったんだぞ」という自覚を持つ時間が必要なのだ。

 粉の種類によっては、冷蔵庫で一晩寝かした方が、うまいというのもあるそうだ。更級などは、一晩置くことで甘味が増し、透明感のある麺に茹で上がる。
 だから、そのようにして、蕎麦を仕込んでいる店もある。今は湿気を保ついい冷蔵庫もあるしね。

 でも、それは、食感を楽しむための特別のそば粉の場合。
 普通のそば粉で作るそばはそうはいかない。
 香りが変わってきてしまうのだ。
 うちの蕎麦でも試してみたが、一晩置くことによって、確かに甘味は増すが、食感と香りは失われる。
 やはり、打ってから、数時間以内に茹でた方がよさそうだ。

 以前に、あるそば屋で、すでに赤くなった蕎麦を食べさせられたことがあったけれど、あれは、いったいどのくらい置いておいたものなのだろうか。
 打ちたてと言いながら、朝作った蕎麦を、夜食べさせる店はザラにある。
 だってその日に打ったのだもの、打ちたてじゃないか。
 はいはい確かに。

 

「手打ちそば屋かんだた」は、打ってから五時間以内の蕎麦をお出ししています。

 こんどから、打ちたてと言わず、こういう看板を作ろうかな。

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2006年10月 9日 (月)

昔は暴れ獅子と呼ばれていた。

 「手打ちそば屋かんだた」は、権堂という長野の古い繁華街の、横小路の、さらに行き止まりの路地裏の蔵の中にある。

 蔵づくりだから、窓がない。音も聞こえてこない。
 今、果たして、晴れているのか曇っているのか。はたまた明るいのか暗いのか、中に居ると全く分からないのだ。
 ましてや、表通りが賑わっているのか、お祭りをやっているのか、それとも、誰も歩いていないのか、そんなことを知る由もない。
 きっと、すぐそこで火事があっても、隣の家が隕石が落ちてつぶれても、ティラノザウルスがのっしのっしとアーケードを歩いていても、なにも知らずに蕎麦を茹でていることだろう。

 だから、昨日は表参道がずいぶん賑わったことなど、知らなかった。
 今日は、やけに忙しいな、あれれ、蕎麦がなくなっちまったよ、などと慌てていただけだ。

 夕方、ふと外に出てみたら、権堂の獅子と屋台がアーケードを通るところだった。
 これがあの「勢獅子(きおいじし)」か。
 恥ずかしながら、実際に踊っているのを見たのははじめて。
 おお、大きな頭だ。これが右に左に、立っている人間を威嚇しながら練り歩く様は、迫力があって面白い。
 獅子頭に続く幕の中には、十人ぐらいの人の足が見えたけれど、あれだけの獅子を持っているのは大変だろうなといらぬ心配。
 それに引かれる山車も立派。中でちゃんと、三味線と笛と太鼓のお囃子をライブで響かせている。

 明治の始め、祭りを盛り上げるようにと、誕生したばかりの県の御墨付きを貰ったという、権堂の勢獅子。
 せっかくの人出。こういうので人を楽しませる趣向はいいことだ。

 中に顔見知りの近所の方がいた。すみません、お手伝いできなくて。こうして伝わっているものがあるのだな。この町には。

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2006年10月 7日 (土)

一人前を重さではなく、本数で決めたらどうだろうか。

 他のそば屋へ行くと、できるだけ厨房が覗けるような席に座ることにしている。まあ、そば屋だけではないけれどね。
 厨房には、その店の工夫が詰まっているから、見ているだけで面白いのだ。

 さて、一人前の蕎麦の量は、店によって違う。
 同じ一人前でも、多かったり少なかったりするので、初めての店では迷うことがある。
 かって、大盛りを頼んで、後悔したことが何度あったことか。

 って、今日の話は、盛りの多い少ないではなく、その一人前の量を、どうやって量るかということ。秤(はかり)で量るのだろうか。

 昔のそば屋は忙しかった。(今でも忙しいところはあるが)
 釜前の人は、箱から蕎麦を取り出し、どんどんと茹でていた。
 それを「溜め」に置き、盛り出し専門の人が、器に分けていた。
 一人前の量は、それこそ、勘と経験で振り分けていたのだ。

Fune 私は、まだまだ未熟者なので、勘で一人前、二人前、三人前と蕎麦をつかむことができない。やれば出来るかもしれないけれど、ちょっと、自信ないな。
 だから、打った蕎麦を、箱(フネという)にしまう時に、一人前ずつ量ってしまっている。
 これなら、人数分の山を釜に入れればいいのだから、注文を受けたときは楽でいい。

 ところが中には、注文を受けてから、秤に蕎麦を載せている店もある。
 これは、メニューによって量を変えたりしているところもあるので、そういう配慮なのかもしれない。
 でも、肉屋じゃあるまいし、目の前で量るのもどうだろうか。

 いや、物事には正確さが必要。
 同じ一人前を頼んだのに、その時によって量が多かったり、少なかったりするなんて言語道断。目の前に、大きな秤を置いて、お客さまに分かるように、厳格に量るべきだ。
 という人もいることだろう。

 たとえ量って茹でたとしても、切れたり引っ掛かったりして、なくなる麺もあることだろう。
 なんだ、一人前の量なんて、結局は適当なんじゃないか。

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2006年10月 6日 (金)

「おとうと」は古い映画

 市川崑監督の映画、「おとうと」に出てきた田中絹代は、小説家の一家に後妻としてやってくる。彼女としては珍しい、あくの強い女性を演じている。
 その家には、十代後半の姉弟がいる。この二人が、なかなか新しい母になじめない。特に弟は、次第に心が荒れていく。その弟を気遣う優しい姉。しかし、弟は病に犯されていた。

 もう、大分前に見た映画なので、よく覚えていないけれど、たしか、そんな筋だった気がする。
 えっ、もう45年も前の映画なの。
 私はたしか、どこかの名画座で見たような気がする。あのころはビデオなんてなかったからね。
 姉役の岸恵子がとてもよかったことを覚えている。

 実は、先日お客さまに蕎麦がきの作り方を教えてほしいと言われた。
 それで急にこの映画のことを思い出したのだ。

 田中絹代が、家族のことを顧みない小説家の夫に、愚痴っぽく話す。
 誰々に何かをあげたのだが、お礼にそば粉を貰った。せっかくいいものをあげたのに、そば粉じゃ合わないわ、、、みたいなことだったと思う。
 そして、お椀に入れた粉に、火鉢にかかっていた鉄瓶から湯を注ぎ、蕎麦がきを作って食べはじめるのだった。

 なにか、この家族の雰囲気をよく表しているような場面だった。
 そして、ああ、昔はどこの家にも火鉢があって、鉄瓶がかかっていて、ああいう風に簡単に蕎麦がきができたのだ、と感心してみていたのだ。
 だから、他の場面はよく覚えていないのだけれど、ここだけが頭に残った。

 不思議なことに、いまだに、蕎麦がきというと、田中絹代がお椀をかき混ぜている光景が浮かんでくるのだ。
 古い映画だけれど、もう一度見てみたいものだ。

 蕎麦がきは、そば粉に熱湯を注ぐだけの、簡単な料理。
 私もそば粉の味を確かめる時に作ったりする。
 でも、かき回すのがけっこう大変なのだよね。

 お客さんにお教えしたのは、別の方法。
 そば粉を、ダマにならないようにぬるま湯で溶き、鍋で加熱するのだ。
 この方が、蕎麦がふわっとなるので、かき混ぜるのが楽だ。

 弟役は、確か川口浩だった気がした。ちゃんとした役者だったんだね。






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2006年10月 5日 (木)

たぬきがタマゴを産むと、、、。

  長野の中心部から、10キロほど行ったところにある、城下町「松代」。ここには、歴史的な建物や、古い町並みが、まだところどころ残っている。
 さて、この松代の山には、たぬきが多く生息しているらしい。

Tanuki 話は変わって、まもなく開かれる「ながのコナモン・フェスティバル」。「かんだた」では、この催しに協賛して、特別メニューを用意した。
 題して、松代産地卵を使った「たぬきのタマゴでせいろそば」。

 これを聞いて、「えっ、たぬきって卵を産むの?」とマジにボケてくれたあなたは、とても粋(いき)なお方。
 大抵の方は、眉をピクピクさせるだけなのだ。

 そろそろ風が冷たく感ぜられる季節。その季節に、冷たいお蕎麦を暖かい汁でいただこうという趣向。たぬきに化かされた気分でお試しあれ。

 以前にも書いたが、天かすを入れた蕎麦を、「たぬき」と呼ぶのは、関東の人だけらしい。天ぷらの「種抜き」が、いつのまにか「たぬき」に変わったらしい。

 東京で、老舗のそば屋のお品書きを見てみると、けっこう動物の名前が出てくる。
 「鴨南蛮」「かしわ蕎麦」なんていうのは材料の名前そのもの。
 他に「たぬき」はあっても「ねこ」は無し、「きつね」はあっても「いぬ」は無し、「大猿」は居ても「小猿」は無し。
 ええ、「大猿」?
 ちょっと苦しいけれど「大亀」もいるぞ。

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2006年10月 3日 (火)

もってのほかの蕎麦

 菊の御紋章は天皇家のもの。その菊の花を食べるとは「もってのほか」だ。ということで、新潟から東北地方にかけては、食用の菊の花のことを、こう呼んでいるそうだ。
 でも、この菊の花、出汁を利かせて酢の物にすると、ちょっと病みつきになる。ほろ苦さと強い香り。やっぱり大人の味なのか。

 本日は「十割そばの夕べ」。
 皆さん、お忙しいところをご来店いただき、ありがとうございます。

Kikukiri 本日の余興は、菊花切り。
 御前粉に菊の花を練り込んでみた。
 食べてみると、けっこう菊独特の青臭い匂いがする。あまりうまいものではないかも知れないが、まあ、季節の香りということでお許しを。
 茹でると、黄色がひき立つので、ちょっと上品な色合いのそばになった。

Menyu よっぽどカボチャのそばを作ろうかと思ったのだけれども、もう少しのところで、取り止めた。
 まだ、畑でとれたカボチャがごろごろしているので、来月はやってみようかな。みんなに「やめてくれ」といわれているけれど。

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